NO. 219 人柱 生贄 十字架  イースター





我が家に、韓国訪問の際に頂いた、鐘の小さい置物がある。


旦那が韓国出張の際、韓国の方に、慶州(キョンジュ)地方を案内していただいたとき、お土産としていただいたものだ。

私も出張に付いていったので、相手方様が、気を利かせて、観光に連れていってくださった。

慶州にある古墳を見た後に連れて行っていただいた場所には、緑青というのだろうか、うすい青緑色の大きな鐘が下がっていた。たぶん、博物館の外だったという記憶がある。


実は、この鐘は、鳴らすと「エミレー」という声が鐘の音に聞こえてくるとか、こないとか。

説明をきいたが、昔、この大きな鐘の鋳造がうまくいかず、何度も何度も、行ったが、それでもだめ。 そのため、小さい女の子が生贄(いけにえ)として選ばれ、溶けている銅の中に投げ込まれたという。

詳しくはこちらのWikipediaにて。


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学生のころ、横浜の港のあたりは私の「シマ」であった。YMCAでスキーのキャンプリーダーをしていたり、何かとあそこらへんで、知り合い、友人と「つるんで」いた場所。

今は、みなとみらいとか、レンガ倉庫という観光地になってしまったけど、以前は汚くて、ホームレスの方も普通に風景の中に溶け込んでいて、これぞ横浜、という場所だった。

行くときは、”国鉄”(今のJR)より安かった東横線を使い、の最終の桜木町で降りて、山下公園の方へ歩いていった。 




桜木町の駅は当時、木造で、ガード下があった。

駅の構内から出て、左に向かい、港に向かって歩き出すと、すぐに、橋を渡る。

弁天橋という。




わたって左側だと想像するのだが、江戸自体に作られた石を積み上げた岸壁があるとのこと。 司馬遼太郎さんの「街道をゆく」シリーズの横浜編に書いてあった。

本のページをめくると、開港後の横浜で、混血児の少年たちが労働に使われていた。この混血児の何人かが、弁天橋の人柱として、橋の下に埋められた、とのことだ。


穴を掘り、そこに入れ、と言われた。いやだと言ったので、無理やり突き落とされて、生き埋めにされた、ということらしい。


開港後、港ヨコハマには、外国人向けの遊郭があった。私がヨコハマをうろついていたころも、ソープなどが立ち並ぶ場所はあったので、過去をさかのぼれば、外国人向けの遊郭についての、資料はあるだろう。 紅葉坂の上にある図書館にあるかもしれない。


子供は生まれてくるものだから、外国人と日本人女性の人の間に生まれた外見の違う子供たちは、当然、差別の対象となった。


うちの子供たちも、生まれる時代が違っていたら、そういった差別の対象であったろう。


その後、みなとみらい騒ぎで、その橋は新しくなった。果たして、工事関係者はその名残をみつけたのだろうか。


日本に帰ったら、花をたむけようか。。



***

南方熊楠の本にも、人柱の話はでてくる。

大英博物館に詰めて研究していた人なので、その知識は膨大な人である。

南方熊楠は、人柱の話は世界各国にある、という。

(ちなみに、巨木も世界各国に言い伝えがある、というのは、とても面白く読んだ。)


以上、過去に読んだ本や、訪ねたところを記憶を頼りに挙げてみた。



旧約聖書を読むと、何万人がステーキやバーベキューをたべるれるんじゃないかって、くらい、動物のいけにえのことが書かれている。

人間が神様の約束に対して、そぐわないことを意識、無意識のうちにしてしまったことに対して、すんまへん、というために動物たちを殺して捧げた。


動物たちも、たまったもんじゃない。だって、そういった人間の落ち度と比べて、動物には罪はない。


一方、動物ーここでは家畜だと思うのだがーは、人間の営みには欠かせない。

農耕作業の力となるのが動物。くびき、ということががあるが、二頭をつなげて、畑を耕す器具を引かせるためにある。

また、牛乳、ヤギの乳などは、ミルク、チーズに使われる。

皮はワインや水を入れる革袋、その他、バッグになる。

そして、食物にもなる。それも、必須アミノ酸は、肉からしか取れない、と習った記憶がある。 大豆で十分いけんるんじゃないの、とは思うが、イスラエル・中東では大豆とれたっけ?


そいう言った重要な資源をわざわざ殺して、全焼のいけにえとする。


人間の方は、重要な食べ物と農作業の動力を失うわけである。



引かれていく動物たちは、縄をつけられたころから、大体わかるのだろう。または、命を絶たれる場所に行き、抵抗するであろう。

でも、その最後の時を知る時期は、さほど前からではない。

たぶん、数日まえから様子がおかしいとか、やたら御馳走が出てうれしい、という感じかもしれない。



この春うららの日に、イエス兄さんは、自分が引かれて、屠殺場に連れていくことを知っていた。


それも、連れていかれる数日前にわかったことではない。

弟子を連れて、方々を歩き始めたときからかもしれない。

血の汗を垂らして山で祈っていた時に、父である神さんに「人々の為に苦しめられ、死になさい。」と言われたのだろう。

過ぎ越しの日の祭りの為に、ロバに乗って、イスラエルの門をくぐり、人々が棕櫚(しゅろ)の葉を仰いで、「ホサナ、ホサナ」とたたえる時も、満身の笑顔で、くぐられたのではないと思う。 

とても、暗い気持ちで、入場されたのだ。


逃げる時間も機会もあったはずだ。




今年2021年の過ぎ越しの祭りは、3月27日の土曜日に始まった。

終わるのが4月4日。 

偶然だが、イースターは4月4日の日曜日である。


明日の日曜日である。


今、この春の天気の下、花が咲き乱れる草原みたいなところでこの原稿は書いた。

このようなのんびりした気持ちでイエス兄さんは過ぎ越しの祭りの一週間を過ごしてはいなかったはずだ。


以前にも書いたと思うが、イースターエッグハンティング、というお祭りは好きじゃない。

お祭り騒ぎの前に、あなたの為に、つらい思いと身体的苦痛を極限まで経験し、結果あなたの為に死んでくれた人がいる、ということを考える一週間がイースターの前にある。


感謝し、よみがえりの日のイースターが来た時、毎年であるが、その力強さを祝うものではないか、と思う。




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