No. 222 目に見えないものを望むか?恐れるか?


 信仰、とはなんじゃい?

答え:

へブル人への手紙:11章1節

「信仰は望んでいる事柄を保証し、目に見えないものを確信させるものです。」



うーむ。このまま字面(じづら)通りにとらえたら、きっと浅はかな解釈となりそうだ、と思うあたしは浅はかな人間である。

きっと、この聖句の奥にはもっと深いものがあるのだろう。だから、おろそかに、じづら通りに解釈したら、「ぶー!ちがうよー!」と人から言われるんじゃないか、構えてかかるあたしは臆病ものでもある。


しかし!詳しい解説は牧師先生にお願いするとして、私は浅はかな人間のレベルで、字面をそのままとらえることにする。


「信仰は望んでいる事柄を保証し。。」

あれが欲しい、こうなってほしい、こうなりたい、という望みは誰でもある。

あたしは、まず、神さんに、まず感謝して、神さん、あんたが一番やで!って言って、御国がきますように!と祈る。

そのあとに、神さん、こういのほしいんだわー。こうなってほしんだわー、こういうの、なんとかしてちょー、ってお願いする。


「目に見えないものを確信させるものです。」

お願いしたものは、まだどういう形をとって実現するか、わからない。


上記の二つの要素をもっと突き進んで、わかりやすい極意の境地に行くには、具体的に祈る、ということらしい。

韓国の有名な牧師先生の本を昔読んだ。
「大四次元」byパウロ.チョーヨンギ牧師*のものである。

その中には、漠然とした祈りは神さんはわからないので、具体的に祈ることが大事である、と書かれている。

いわゆる、細かい仕様をオーダーするように、神さんに頼め、ということだ。

また、あたかもすでに実現しちゃったように、目の前に望みがかなったように、宣言してしまう、という大胆なことも必要である、と。


「信仰は望んでいる事柄を保証し、目に見えないものを確信させるものです。」


は、あたし流に書いちゃうと、

神さんをとことん信じ、望んでいる事柄は、すでに頂いてしまった。望んでいる事柄は、目の前に存在するかのように確信して、祈ること、じゃないか、と。


「神さん! XXXをあんがとござんす! いやー、こんなに良くしてくれて、ありがとござんす。」

と先に神さんに行っちゃえば、神さんだって、「おーい、あー、しょうがねぇなぁー。まあ、ここまで信用されてちゃ、人肌脱いで、叶えなきゃいかんなぁ。」っておもってくれるんだろう。(ってほんとうか。。。)


しかし!だよ、電子レンジの3分待って、チーン! とはならないのよ。


上記のへブル11章の前の10章36節には:

「あなたがた神のみ心を行って、約束のものを手に入れるために必要なのは、忍耐です。」


あー。。。やっぱ、待たないとだめね。 忍耐が必要なのね。


人間って、せっかちなので、待つことが嫌い。

だから、祈って、祈っても、実現しないと、「神なんて、いやしねぇ。」と教会から離れてしまう人がいるはず。


癌末期だけど、祈って祈って癒してください、と祈り続けても、お亡くなりになることも多々ある。

でも、奇跡的に、治癒に向かう、ということもある。


それはさ、神さんの時間と神さんの思い、とあんたの時間と思いは違うからだと思う。


15年かかった祈りだけど、決して、神さんはあたしをがっかりさせない、という確信があった。 のんびりと、一回も神さんを疑わずに祈ってきた。毎日、根を詰めた祈りじゃなかったけど。 時々、忘れてしまっていたけど。

その祈りは、ある場所を日本の場所で実現してください、と祈ってきたけど、結果は場所はアメリカになった。 しかし、その建物の中で行われることは、祈ってきたことであった。

また、場所がアメリカというのは、たぶんであるが、神さんが私に「日本には帰るな。」と言われている、とも思った。


リアルタイムの祈りは、神さんにどうしましょ!回答を教えてください、と犬の散歩をしながら、空を見上げて祈っていた。

そしたら、すぐにテキストが来た。


一年かかった祈りをここで紹介する。

となりに嫌なお隣さんがいた。ヤな奴なので、引っ越してくんね?と思った。

でも、失業して、住めなくなって、とういう引っ越しは良くないし、ヤな奴でも、そんなこと望んじゃいかんので、こう祈った。

「神さん、あの隣のおやじ、権力を私的に使って圧力かけてきたので、気に食わねえっす。でも、悪いことを望んじゃぁ、いけませんって。なので、あのおやじ一家が、お金が入って、もっと良い所に住むので、引っ越しするようにしてください。」


無理かも知んねぇな、とはすこーし思ったが、そこは、神さんを信じて、祈り続けた。

1っか月。。。2か月。。。と経った。

となりの住民は引っ越す様子まったくなし。

半年経った。

まだ、居る。


そして、しばし忘れてしまっていた。


そんなある日、外から帰ってきて、家がある道に車のハンドルを左に切っていると、そのお隣さんの家の前に。。”For Sale”の看板が立っていた。。。


引っ越し先は、もっともっと大きな家。金持ちしか住めないところ。

くっそーーー! 

でも、神さん、お祈り聞いてくれてありがとう。




職業柄、ある法を勉強し、お客様に対応する、ということをしている。

あるお客さんが、わざとではなく、その法律を知らなかったため、法に準拠していない状況になっていた。その為、依頼されてきた。

最初のお話を聞いたところで、私の頭には絵が書けていたので、通常のやり方に沿って、数か月で仕上げる案件であった。


しかし、そのお客さんは、次から次へと、「これをしたら、当局に通報されますか?」 「こういった法律があるのですが、該当しますか?」と聞いてくる。

私としては、倫理上、ダイジョブよ、って確証ができないので、その可能性はゼロではありません、という答えしかできない。

なので、そのお客さんは、さらに神経質になって、細かいところや、あれやこれや、まだ起こっていないことを心配し始めた。 毎朝、3分ごとにEmailが来た。

いや、これはかなり来ている。心配しすぎだー。

自分がこういった病気じゃないか、と過剰に心配することをHypochondoria ハイポコンドリアというが、それに似ている。


「信仰は望んでいる事柄を保証し、目に見えないものを確信させるものです。」

は神さん方出た言葉である。


しかし、恐怖は、上の聖書の言葉と真逆となる。


「恐怖は望まないことを確信し、目に見えないものを保証してしまう。」



起こってもいない悪いことを想像してしまい、そのようになってしまうから、どうしよう、と恐怖に包まれる。

結果、多くの人達が、精神を病んだり、その延長線上には、健康を損ねてしまう。


あたしの母はいつも最悪の状況を考えて、あたしが何かやろうとすると、最悪の状況を述べてくれた。 母は50歳代に難病になったが、こういった心の持ちようが、体に影響を与えたと思う。


そのお客様には、「まだ、起こっていないことを先どって心配するのはよくありません。それを解決するために、今、こうして、作業をしているのです。」 と言った。


かえって来た言葉が、「そうですね。今朝、医者に行って、安定剤を処方してもらいました。」


****


希望と恐怖、どちらを取るか? 

あたしは、希望をとる。

希望を持ち続けていられるので、神さんがいつもついていてくれるから。

志村けんじゃないけど、「だいじょぶだぁー」と脳天気に生きるようにしている。



*パウロ.チョーヨンギ牧師:韓国の汝矣島教会創設者。色々とスキャンダルはあるが、あたしはよくわからない。ただ、実家に「第四次元」という本があったので、読んだのが15年以上前のこと。




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