No. 224 恐れることは、起こらないかもよ
106歳のスーパーばあちゃんがうちにキター!
短期滞在なのか、長期滞在か、永遠滞在化は不明。
一年前に、寒さから避難しに、うちにきたのは、一年以上まえ。
ちょうど、コロナ禍が騒がれる前に来て、パンデミック状態になる前に帰っていった。
長年、旦那の弟がほぼ一緒に住むような感じで、面倒を見てきたのだが、そろそろ限界が見えてきた。
ばあちゃんもうちに来たい、と希望したので。
でも、またいつか、”Home, Sweet Home!”と言って、帰りたい、というかもしれないし。
それは、それで、いいと思う。
あたしは、嫁って立場だけど、ここアメリカでは、嫁、という概念は薄い。
あたしは、自分の生活を変える必要はないと思っている。
なので、いつも通り朝から自分のホームオフィスで仕事している。
朝食は、息子である旦那がすればいい。
懸念としては、「家の中の孤独」が存在してしまうこと。
そりゃー自分の家ではないから、不自由もあるだろう。
それに、あたしはそばにくっついて、お話相手はしない。だって、仕事があるもんね。
でも、夕飯だけは、作り、一緒にワイワイと食べる。
それで今は十分だと思う。
こうしてほしい、ということは、こちらでの滞在に慣れて、落ち着いたら、言ってもらおうと思う。
以前、石川県の恩師の家に居候したときのこと。
先生の奥さんは、北陸の穀倉地帯の集落の家に嫁として入った。南国出身の方で、世代だと戦後のBaby Boomer. 旧体制から日本が変わった後で、この世代は自由を謳歌しよう、という世代。
先生のご両親は、離れに住んでもらい、そこに食事を持って行く、という形だが、家の中で二つの所帯がある、という環境であった。 日本の田舎の家はアメリカに引けを取らないくらい、大きいから、それが可能である。
数年後、また恩師宅を訪ねた。その時期は、義父さまはすでに亡くなれていて、義母さまは、少しボケていた。
ある晩、先生の奥さんと夕飯時に飲んだ時、愚痴か、独り言なのか、こういうことを言われた。
「べつべつに離れて住んでいるから、ぼけさせたのは、あんたのせいだ、っていう人もいる。」という意味だったとおもう。
その場にいない人、一緒に生活していない人にありがちな発言だとは思う。
また、日本らしいと思う。
日本人は「責任のありか」を探し出すことがDNAに刷り込まれているようだ。
責任追及、大好きだよね、日本人。
今住んでいるところが、日本だったら、私が自分の生活のペースを変えずに、一日中、自分のオフィスにこもって仕事をしていて、ばあちゃんが寝たきりにになったり、ぼけてしまったら、私が責任者になるのだと思う。
言いたい人には言わせておけばいいと思う。
さて、ばあちゃんと過ごしてもう少しで一週間になる。
健康のことを観察している。
きゅうりが噛めない、という。長時間煮た牛肉も噛み切れない。
時に口の中から入れ歯の音がする。
たぶんだが、総入れ歯を作ってから、かなりの年数がたっているんじゃなかろうか。
歳とともに、筋肉は減るので、歯茎だって、減っているんじゃなかろうか。
だから、入れ歯が合わず、浮いていて、音がしているんじゃなかろうか。
だから、キュウリさえ、噛み切れないんじゃなかろうか。。。
人間は年を取ったら、楽しみは食べ物だけになる、と母から聞いたことがある。
だから、ばあちゃんには、故郷のお国の料理を作ってあげる。
でも、それも、歯の調子がよくなければ食べられないじゃないか。
ということで、ばあちゃんと話して、歯医者さんに連れていきたいと思う。
そこで、新しい総入れ歯を作ってもいいと思う。
たとえ、それがたった一か月しか持たずとも、おいしく食べれるようになってもらうことの方が大事ではないか、と思う。
106歳の老人に新しい入れ歯を作るのは、お金がもったいない、という人心はあるだろう。
普通の思いだと、あたしは思う。
ご本人もそう思うかもしれない。
聖書に書かれている人間の寿命は120歳。
ばあちゃんは106歳。あと二か月で107歳。
あと13年もあるじゃないの。
まあ、家族で話し合って、とりあえず歯医者さんに行ってみるだけでも、大事かな、と思う。
うちの子供たちは、来年2022年に大学を卒業する。
最後に家族でまた旅行したいと思う。
彼らがティーンになった時から、世界中を見せてまわった。
アフリカ、イタリア、イギリス、オランダ、スペイン、もちろん日本。
娘は沖縄に行きたいという。旦那は沖縄に住みたい、という。
私はアラスカで電車に乗って、オーロラを見たいと思う。
今はコロナ禍なのだが、いづれ収束するので、その時と卒業がうまく重なればいいと思う。
そこで、ばあちゃんはどうなるのか?
あたしとしては、今できることは先延ばししない、という考えに変わってきているので、旦那の弟さんに2週間ほどこの家に住んでもらい、ばあちゃんの面倒をみてもらうとか、人を雇ってもいいと思う。
お金は?
ばあちゃんの生活費から出してもらえばいいじゃないの。
今は、そう考える。
鬼嫁、という声がどこからか、聞こえてきそうだが。
日本だと、親を置いて、どこほっつき歩いてんの、という外野の声も聞こえてくるだろう。
でも、あたしたちが、この家に縛り付けられることは、避けるべきである。
また、そういった縛り付けられる状況には、ならないかもしれないし。
マタイ6:34
だから、あすのための心配は無用です。
明日のことは、明日が心配します。
労苦はその日その日に、十分あります。
先のことばかり心配しても、多くの場合、その通りにはならない、と思う。
前のBlogにも書いたが、不幸、心配の先取りは、心身を病む原因となる。
聖書にだって、心配すんなって!って言ってるじゃん。
マタイ6:31-33
そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って、心配するのはやめなさい。
こういうものは、みな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。
だから、神の国とその義をまず第一に求めなさい。
そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。
毎朝のお祈りで、神のみくにをここに!って祈る。
「義」とは、「信じること」だと、ジャミラという友人が教えてくれた。
毎朝、神の国とその義をまず第一に求めるようにしているんで、あたしは無敵だ!
わははは!
なので、ばあちゃんがいても、あたしたちと子供たちの旅行、または、それに代わるものは、必ず成就する、と信じている。
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