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No. 102  夏休みだ!

投稿を書き始めて、No.102と書いた。 そうか、もう102以上も、トピックを書いているのかぁ、と改めて驚く。 よくもまあ、つづけられるものである。 下手の横好きというのか。  夏休みが始まった。 といっても、私のではない。 子供の夏休み。 ここ、北テキサスの我が家がある学区では、5月下旬から8月下旬までの3ヶ月が夏休みとなる。 日本は、7月20日あたりから、8月下旬くらいまでだったと記憶する。 なので、日本の子供たちの学校の時間はアメリカと比べて長い。 私の時代なぞ、土曜日も半ドンだった。 ちなみに、半ドンは死語になりつつあるのだろう。 私の両親が働いていた時代、昼には、「どーん」という太鼓か何かを鳴らして、お昼を一般市民に知らしていたとの事。 一日の半分の時間にどーんとなるから「半ドン」というのである。 今年は、日本には、帰らない。 過去15年で妊娠中を除いて、初めてのことである。 日本には、もう帰る場所がなくなったのと、飛行機代がないからである。 石油高騰の折、飛行機代だって、ものすごい。 4人で帰れば、簡単に五千ドルは超えてしまう。 私のへそくりも、母の遺品を片付けに帰った2年前の渡航時で消えた。 それまでは、無理せずとも、日本には帰れた。 これも、今は、帰るな、と言われているのだと思っている。 昨年の今頃は、子供たちを金沢の片田舎の小学校に入れた。 小中高の同級生も帰国に関して、よく助けてもらった。 しかし、アメリカに戻ってきたら、ものすごい時差ぼけで一ヶ月使い物にならなかったこの私。 子供たちは放牧状態だった夏であった。  一方、この夏は、じっくり座っていろいろな計画が立てられて嬉しいのである。 まず、新しいパティオ家具を買ったので、朝一番はコーヒーを野外のパティオ家具に座りながら飲む。 そして、聖書を読む。 新聞も。 朝は気持ちが良いものである。 パティオの正面には、池があって、小さな滝のようなものがある。 水の流れる音が涼しげであり、リラックスさせられる。 そのあと、家庭菜園つくりの土方を早朝する。 日向でする作業と日陰でする作業には、大きな違いがある。 体が楽である。 そして、子供たちと朝食をとり、何をするか決める。 今の所、Mommy’s Summer Schoolと謳って、いろいろな勉強や理科の実験などをしている。 毎日はなかなかできないけれど

No. 101 誕生日のプレゼント (その二)

(その一からの続き:スクロールして、この書き込みの前にその一があります。) 実は、あまり他言しなかったのであるが、私は先週の木曜日に胃カメラと大腸内視鏡の検査を受けた。  具合が悪いからではなかった。 春は、毎年健康診断の時期としている。 3月下旬から4月半ばまでは、Taxの仕事で忙殺されていたので、いつもより、多少おくれた健康診断であった。 でも、一般検診、婦人科検診、歯のクリーニング、マモグラムも5月までに、全部済ませた。 3月の一般検診の時、医者に大腸内視鏡のことを話したら、早速専門家を紹介してくれて、Taxが終わったあとの5月下旬に検査となった。 検査前日は、固形物を一切取らない上に、夜から下剤を飲んで、腸と胃の中をからっぽにする。 夫が2002年に大腸内視鏡をしたとき、頻繁なる下痢に苦しんだのをみていたので、躊躇する心があった。 しかし、ファミリードクターは医者を紹介してくれていて、その専門医のオフィスから予約の電話が入っていた。 なので、勇気を出して、日時を決めた。 何故、大腸内視鏡をしようと決意したのか。 それは、母方の祖父が60歳で大腸がんで亡くなっている。 私が生まれる半年前であった。 そして、昨年の12月に歳の近い従妹が大腸がんでこの世を去ってしまった。 まだ、十代のお子さんがいる、というのに。 なので、40歳代後半となるので、もうした方がいいな、という思いがわきあがったからである。 小心者の私である。 検査前日の下痢の苦しさを見ているので、何もしない前から少しびびっていた。 また、あの内視鏡のくだを口から、そして、菊の御紋からいれられる時に気持ち悪くなるんではないか、という不安があった。 なので、先週の礼拝の後、パタリロ牧師に祈ってもらった。 そして、一週間、祈った。 果たして、恐怖はふっとんで、怖くなくなった。 それは、検査当日も、まったく怖くなかったのである。 すべては、神さんに任しているという安心感があった。 さて、検査前日、下痢は別に大した苦労でもなかった。 ただ、下剤につかうPhosopho Sodaがまずい! あの味なんとかならんか。 それだけが、ちょっと大変といえば大変。 べつにといえば、別になんでもないという程度のこと。 検査当日は、綺麗な病院だったし、検査室で麻酔というか、睡眠薬を投与してくれる看護婦さんか医者がなかなか気のき

No. 101 誕生日のプレゼント (その一)

今日は、6月2日。 横浜の開港記念日であり、また、私の誕生日である。 小学校と中学校は横浜市立の学校に通っていたので、私の誕生日は学校はいつもお休みであった。 さらに、山下公園では、花火が上がる。 横浜中が私の誕生日を祝ってくれていたようなものであった。 しかし、ダラスは・・・くそ暑い! 今日も30度は越えていたかもしれない。 一昨昨日の土曜日は、旦那とディナーに行った。 Mi Piaci (イタリア語で、You like me.)というGazatに出ているレストラン。 http://www.zagat.com/Verticals/PropertyDetails.aspx?VID=8&R=65311&AJX=Ntk%253DGeoChildID%25257cHomepage+Search%2526Ntt%253D850%25257cmi%25252bpiaci%2526VID%253D8%2526N%253D120%2526Ntx%253Dmode%25252bmatchall%2526Nr%253DOR%2528Item%25252bStatus%25253aActive%25252cItem%25252bStatus%25253aTemporarily%25252bClosed%2529 たとえ、土方をしている私でも、イタリア料理には、ちょいとうるさい。 イタリアには、合計3週間くらい滞在していて、いろいろ味わってきた。 南イタリアには行ったことがないけど、中部から北部は巡った。 昔、イタリア人の彼氏がいたから、彼を通して、イタリアの文化、言語、食を勉強したのである。 アメリカでは、パスタのゆで方からなっていない。 水が違うからかもしれないけど、どうしても「うどん」状態のパスタがこの国では出てくるので、いつも落胆している。 ということで、なかなか本当のイタリア料理にはなかなかめぐり合えないもんだわ、と諦めていた。  しかし、このレストランは、北イタリア料理専門。 だったら、リゾットと海産物だろう、ってことで、オーダーした。 かなりレベルが高かった。 サービスも肩が凝らず、Maitre’Dのイタリア人のおじさんもイタリア人ならではのジョークで話してくれて、心地よかった。 お値段もあれだけ頼んでも、$200超えるだろう、と構えていたら、ウエイターへの

No. 100  土方祈祷

5月にはいり、土方ばかりしている。 なので、あかしや番頭という名前より、ひじかた(土方)番頭という名前のほうがあっているんじゃないか、と思うこともある。 それに、この書き込み、一ヶ月ぶりである。 朝から夜までくわとシャベルをもち、土を掘り起こしているから、コンピューターの前に座る余裕もなし。 今は、日曜日の夜の11時。 もう寝なくてはいけない。 しかし、ちょっと書かないといかんなぁ、と思う。 土方って、結構自分にあっている、と思う。 脳みその容量が一ビットの私にはうってつけである。  また、土を掘り起こしながら、雑草や芝の根を引っこ抜きながら、神さんに話しかける。 こんな作業や土や草からいろいろ考えさせられる。 ミントをだいぶ前に旦那が植えた。 はみがきこが作れるくらいに、繁茂して、手がつけられない状態である。 抜いても、根が残っていると、しばらくして、生えてくる。 イチゴ畑には、ミントが生えている。 抜いて、これで大丈夫、と思った一ヵ月後に、またはびこっている。 ちょっとした他人への批判を口にだすと、それがいつのまにか、周りの人に広がって、人々の心に巣食って侵食するのと同じだなぁとシャベルの柄に寄りかかって思う。  庭にはバミューダという種類の芝が生えている。 日本のゴルフ場で使っているかもしれない。 この芝がある表土をくわではがして、畑を裏庭に作っている。畑、といっても、せいぜい、一畳の大きさのを数個作るに過ぎない。 そんな小さな面積でも、芝をはがすのは重労働である。  芝をはがして、ブロックを積み重ねて囲んで、そこへ、土を入れる。 芝を全部とったつもりでも、小さな根っこが残っていると、一週間後には、バミューダが芽をだす。 それを引き抜くこのごろ。 まさに、バミューダ開戦である。 人間のねたみ、うわさ、というのもほっておくと、バミューダの芽のように、ぼこっぼこって出てくる。  一方、神さんと個人的な関係を経験したイエス営業部の人たちもそうであるんだ、と思う。 たとえ、芽を摘まれても、根がのこっていれば、また新芽を出すことが出来る。  中国では、共産主義が席捲したとき、宗教は禁止というか、払拭されてしまった。 しかし、根は残っていたのだろ。 中国では、90年代から、イエス営業部の人たちがどんどん増えている。 地下教会も増えているし、表にもでてきている。  キリシタ

No. 99 ないがしろにしてすんまへん

つくづく、言うは易し(やすし)、行うは難し、と実感している昨日と今日。 聖書を読んで、御言葉に感じ入っても、本当にそのとおりにしているか、というと、実際には、そうではない。  祈らなければ、と意識しても、実際に祈らないことが多かったこの4ヶ月であった。 せっかくの御言葉も馬耳東風であった。 仕事が4月15日で終了したのは、前回の書き込みで書いたとおり。 次の仕事・・と焦ってみたものの、感触はなし。 祈っていないからなぁ・・・というのが前回の内容であった。 でも、神さんはメッセージを送ってくれていたんだ、とこの日曜日実感した。  昨日の日曜日にいつものように教会へ。 週報を手にとって、席へ。 週報に目を通したら、あれまー、前回頭に浮かんできた聖書の箇所がしっかり載っている。  ・・・・・しかし、あなた方の天の父は、それがみなあなた方に必要であることを知っておられます。 だから、神の国とその義を第一に求めなさい。 そうすれば、それに加えて、これらのものは、すべて与えられます。 (マタイ6:32,33) ああー、やっぱり、いわれてしもた。  礼拝のあとの祈りの時間にパタリロ先生に祈ってもらう。 先生を通して、天のおとっつあんに言われたことは、「祈りなさい」。 あーあ・・。 それとなく、言われているのに気がついていた。  「お~いい。 最近、わしを慕う声、呼ぶ声が聞こえてこんぞ。 どうしとんのや。 わしゃ、いつもここにおるで。 おるっちゅーのに、お前は、勝手にCraigslist.comで勝手に仕事さがしおって。 その前にやることがあるだろうが。 わしを頼れっちゅーことや。 まったく、お前はしょうがないやつだなぁ。 仕事なんちゅーもんはなぁ、ぎょうさんあるんやって。 そんなん、わしがいつでも都合つけたるわ。 わしんとこ、くりゃいいだけや。 それより、お前のすることあるやろ。 最近さぼっていること、やり直せい。 4ヶ月の間は、目をつぶっておったが、わしかて、そんなに待てへんのや。 わしはなぁ、自分のこどもと話がしたいんじゃ。 話しかけてもらいたいんじゃ。 お前の欲しいものはすべてわかっとるからなぁ。 必ずナントカしてやるからいいのじゃ。 ただ、話しかけてくれんことには、わしだって、なにもできへんがなぁ~。」  てなことだわさ。 江戸っ子に書かせたら関西弁もめちゃくちゃである。

No. 98 Taxの仕事終わり一休み

4月15日から一週間経つ。 アメリカでは、日本の確定申告のようなものを国民の多くがすることになっている。 その締め切りが4月15日。 私の仕事もその日で終わった。 久々の仕事で、初めてのTax Filingということで、当初はものすごくびびった。 でも、ナントカ生き延びた。  当初、新人は6人であった。 12月下旬から始めて、第一ピークの終わる2月17日あたりが契約が切れる日であった。 その時が評価の時期。 なにせ、びびりまくっていたし、失敗も結構したから、こりゃー、首だわ、と思っていた。 でも、首はいやだなぁ、みっともないし、かっこ悪い、と思い、ストレスでいっぱいになった。 心配したのである。 見かけによらず。 ストレスに多忙。 水さえ飲む時間が無かった一月のピーク時には、脱水症状も起こしていた。 でも、ある日、思った。 心配なのは、自分の自尊心のことだけ考えているからである。 失敗を恐れるのは、外聞を気にするからである。  これって、自分だけが大事だから、という考えだ。 聖書的にいうなら、自分を偶像崇拝している、ということである。 ええい! もし、神さんがこの仕事を続けなさいっていうのなら、契約更新となるだろう。 この仕事が私に向いていない、という神さんの判断なら、契約は更新されないだろう。 代わりに、別の私にもっと適した仕事が与えられるはずだ!と、ひらきなおった。 強いていえば、神さんにこの件は投げ打っちゃったのである。 そうしたら、気持ちが楽になった。 他人に、いや、神さんに責任をすべて押し付けてしまったから。 こうなったら脳天気の私。 更新のことなどすっかり忘れてしまったのである。 ほんとうに単純なアホである。 ある日、仕事が一段落したとき、ボスに呼ばれた。 おおっ! そうだ、更新の話か。 期待しないで、首になる、と思っていたほうが、ショックが少ないから、そう構えて会議室に入った。 そうしたら、「契約更新します。 週一回くらいしかないけど、それでもいいですか?」だって・・・。 唖然としていたら、ボスが「6人のうち、残ったのは二人だけよ。」とのたまわれた。 ************************* その後は、いろいろなTaxのFilingをした。 そして、いろいろな人生を見た。 離婚した夫にクレジットカードを使い込まれていて、クレジットカード会社に

No. 97 「がんばってください」

私も人並みに、Mixiというものに参加している。 ここのところ、ずっとご無沙汰していたが。 MixiはアメリカのMy SpaceやFace Bookのコピーみたいなもので、自分の日記を書いたり、コミュニティーを作ったりできる。 メンバー同士で、メッセージを取り交わすことも出来、使いようによってはまあまあのサイトかもしれない。 (ただ、あまりのめりこみすぎると、自分の時間がなくなるので、ほどほどにしないといけないと思う。 また、誰が見ているか分からないから、個人情報、とくに写真や実名は避けるべき場所でもある。) 日記を書くと、自分の友達がコメントを入れてくれる。 コメントをくれた人には、礼儀として、お礼を書いたり、コメントをさらに付け足す。 時には、泣き言を言ったり、時にはうれしかったことを書いたり。 励ましたり、励まされたり。 時には、悩みを言ったり、聞いたり。  私も時間に余裕があれば、人の日記にコメントを書く。 そのコメントのなかで、あまり安易に使いたくない、というフレーズがある。 Mixiの日記へのコメントだけでなく、日常の会話でも、あまり使いたくない。 一方、言う言葉がさがせず、安易にこのフレーズを使ってしまったときは、自分が「サボった」感じがして後味が悪い。 そのフレーズとは、「がんばってください。」 なのである。 高校のバスケ部のときの掛け声は、「ファイトファーイト がんばろー!」であった。  これから何かの目標に向かう人への常套の励ましの声は、大体「がんばってください」だろう。 人に相談を持ちかけた時、あまり詳しい話はしてもらえず、最後の挨拶が、「がんばってね。」の場合が多いだろう。 過去のオリンピックのコマーシャルでは、「がんばれ! ニッポン!」があった。  ちなみに、中国語でがんばれは、「加油」。 火に油を注ぐってことかい? 例を挙げれば、枚挙に暇がない。 日本国中、「がんばって」のバーゲンだらけである。 なので、「がんばってください。」のフレーズは、私の中では、陳腐化してしまっている。 それでも、めんどくさいとこのフレーズを使ってしまい、また後悔する。 うつ病患者の方へは、「がんばってください。」と言葉をかけないほうが良い、と聞いた人もあるだろう。 「がんばりすぎて」うつ病になってしまった場合もあるからであろう。  私自身、親のことで、日本とアメ

No. 96 君子蘭 (くんしらん)

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前回のBlogが2月10日に書いたままであった。 Taxの第一ピークが終わりつつある頃で、まだ、寒い頃。 ダラスでは、雪が2回降った。 今日は、3月27日。 気温は、25度近く、うちの旦那は、家の冷房をつけた。 一ヶ月前は、雪が降ったのに、もう、冷房の季節となった。 人が忙しくしている間に、庭には、雑草が芝生をしのいで、繁栄してしまっている。 久々に仕事のない明日の金曜日は、雑草取りと、鉢の植木の土を新しくしてあげる日とするか。 ****************** 一昨年の2006年の12月日本に帰った。 帰路、私は密輸をした。 密輸をしたのは、かんきつ類でもなく、薬でもなく、動物の毛皮でもなく、食品類でもなかった。 なにかというと・・・・    根がついた小さな植木 であった。  大事に、大事に、ティッシュで包んで、ジップロックに入れて、バックパックに忍ばせた。 税関をなんとかすり抜けて、密輸に成功して、ダラスに戻ってきた。 ダラスの自宅に着いたあと、すぐに鉢に植え替えた。 2-3鉢できた。 それから、1年半ちかくなろうとしているが、今は、2鉢しか残っていない。 一鉢は、夏の暑さで死んでしまった。 残りの2鉢も順調とはいえない。 一鉢は、とても小さな葉である。 もう一鉢は、元気に葉をだしていたのだが、この秋から冬にかけて、外に出しっぱなしにしてしまったのが、まずかった。 寒い夜のあと、へなへなになりつつあって、いそいで、屋内にいれた・。 葉が抜けて、もしかすると手遅れであるかもしれない。  その植木は、「君子蘭」(くんしらん)という。 私はお江戸生まれである。 しかし、3歳半から育ったのは、横浜である。 私の部屋は南向きの四畳半であった。 縁側もついている。 その縁側にそって、植木棚があった。 冬だったか、秋だったか、早春であったか、あまり記憶が定かではない。 君子蘭のオレンジ色の花が、その植木棚の上で列をなして咲き誇っていたのが、脳裏に焼きついている。 その君子蘭は、母の父親、つまり私の祖父が大事に育てていたらしく、母がそれを横浜の家に株分けして持ってきたらしい。 鉢もすばらしいものが多く、絵を施して焼いたもの。 彫り物が入っている鉢に植えられていた、と記憶する。 冬の間の暖かい昼間には、母は、君子蘭を外に出して、太陽に当ててやっていた。 冷え込む夜は、部屋に

No. 95 金は天下のまわりもの

息もつけず、昼飯もとれないほどの忙しいTaxシーズンのピークが、すこし収まった。 今日は久しぶりの休みである。 それに、日曜日で、安息日である。 昨日の土曜日は、かなり疲れていて、夕食を作った後は、自分ひとりのお風呂と決めた。 いつもは、子供たちを先に入らせて、自分は、あとからぬるくなった湯船に浸かって、体を洗っていた。 でも、昨日だけは、自分ひとりのお風呂がほしかったので、客用の小さなお風呂に入った。 それでも、一夜明けた今朝でも、疲れが残っている。 ストレスあり、あまり食べないで、2週間やってきたからであろう。 昔、母も私たちの学費や生活費のため、無理をして働いてくれて、それがたたり、難病になってしまった。 母の轍を踏まぬよう、今ここで私は、休息をとることにした。 幸い、仕事のスケジュールも、バレンタインデーのあるこの週は、一日しか入っていない。 その一日の仕事も休むことにした。 実は、一泊で、隣の州にいくことになっているのが本当の理由でもあるが。 さて、今のTaxのファイリングの仕事である。 顧客は、オフィスの位置する場所柄、年収が300万円に満たない層が半分くらい占める。 たまに、700万円台の顧客もいる。 私が今までファイリングしたお客には、年収が一千万円を超える人がまだ一人もいない。 これから、そういう人たちがオフィスに来る時期になるのだろう。 年収が高い人たちは、私が働くTaxの会社を使わない人が多いだろう。 自分でソフトを使って、Taxを済ませてしまうか、専任の会計士に頼むのだろう。  一方、年収が300万円に満たない方たちは、リファンド(税金の還付:”かんぷ”)を求めて、私のいるオフィスに長蛇の列を作る。 なぜか、というと、子供が一人、または二人いる人で、年収が約33,000ドル以下の人には、税金の還付以上に、政府から還元金がある。 つまり、福祉である。 これは、Earned Income Credit(EIC)という。  このEIC、最高額が4000ドル位になる。 また、Child Tax Creditという別のCreditがあって、16歳以下の子供一人当たり、1,000ドル還ってくる。 したがって、16歳以下の子供が二人いて、年収が20,000ドル弱のシングルマザーは、時に7,000ドル近い税金の還付がもらえるのである。 さらに、私の勤める会社

No. 94 輪廻転生

突然、なんだ、仏教か? というタイトルである。 輪廻転生=りんねてんしょう。 仏教やヒンズー教などの根底をいく理念である。 人間が死んで、次に生まれ変わるときは、人間ではないかもしれない。 生前に、この世で積んだ業が次にどの動物となって「生まれ変わってくる」かが決まるらしい。 たとえば、悪いことをこの世でしたから、次は豚になって生まれ変わってくるとか。 ブラッド・ピットが主演した映画で、チベットが舞台になった映画がある。 題名もストーリーも忘れたが。 ダライ・ラマのことも述べられた映画だったかは、記憶が定かではない。  ともかく、その映画の中で、ある建物をチベットの僧院の庭に建てようと計画したブラッド・ピットふんする主人公。 ある障壁にぶちあたる。 ブルトーザーで土を掘り起こそうとしたら、僧侶全員が大騒ぎ。 辞めてくれ、という。 なぜかというと、土の中にいる「みみず」を殺してしまうからである。  チベットでは、「みみず」は「母」の生まれ代わりであると信じられているからということだ。 土は、「母なる大地」といわれるように、土からいろいろなものが生える。 だからかもしれない。 実際、みみずは、土作りに大切な働きをする。 みみずのウンチがよい土壌をつくるのである。   え・・・・となると、アダムは土から作られたから、言い換えれば、みみずのウンチでできているのか??????? この輪廻転生のことや、仏教の考えには、地獄あり、天国ありなのである。 また、六道といって、天上界、人間界、修羅界、畜生界、飢餓界、地獄界がある。 天上界は、吸う空気も甘露であるらしい。 でも、仏教の根底とかいちゃったけど、ブッダって、ただ「悟り(さとり)」を開くことだけを精進した人であって、仏教といわれる宗教には、もともと「教義」はない、ということだ。 これは、大好きな作家の司馬遼太郎氏の言である。 彼は、関西外語大学のモンゴル語課を卒業して、関西の新聞社に勤務していたときは、「宗教」の記事を担当していた。 なので、あながち、間違いではないだろう。 仏「教」としての体系は、後進の人たち、いわゆるお坊さんたちが、いろいろ哲学をつけていったものだと思う。 ある法典を垣間見すると、聖書と似ている箇所がかなりある。 仏教という宗教体系が出来上がる過程には、景教(原始キリスト教で、中国の唐の時代:6世紀? に栄

No. 93 びびり後日談

びびったーという前回のBlogを書いたのが、日曜日。 びびって、夜も遅くまで調査と勉強したせいか、たまたま潜伏期間がおわったか、月曜日からインフルエンザみたいな軽い症状が出た。 節々の痛み、だるさ、倦怠感、胃の調子もちょっと悪かった。 インフルエンザではなく、ただの風邪かもしれないが、疲れ、緊張、ストレスから来ているのは明らかであった。 たまたま、今週は、水曜日の昼まで、仕事が予定にはいっていなかったので、2日、ベッドの中で過ごした。 本当は、しなければならない、勉強もあったのだが。 勉強というのは、H&R BlockのComputer Based Trainingなどの、コース。 本来のTax Filing以外に、いろいろなことをしなければならない。 リファンドを当てにしたローンの組み方、IRA(Individual Retirement Account)の設定のしかた、ソーシャルセキュリティーに変わる番号の取得の仕方、訂正Taxのファイリングの仕方・・・・、と付随する仕事のほうが、本来のTaxにかける時間より、多い。 なので、こういったことは、自宅で、コンピューターに向かって勉強することとなる。 当然、勉強の時間は、無給となるが。 なにせ、わからないことだらけ。 はやく、こういったトレーニングを済ませないと、とも焦っていた。 なので、びびっていたのだ。 しかし、だるさと関節のいたみで、何も出来ず。 とにかく、水分たくさんとって、なるべくベッドで時間をすごしていた。 話はすこしずれるが、シアトルに研修にいっていた旦那も現地で具合が悪くなったのだが、研修仲間がよい薬がある、とそれを使っていたそうだ。 風邪の症状を抑えて、回復が通常一週間から10日かかるところを短縮できる、というものである。 薬というよりは、キャンディーなのだが、これが以外にも、役に立った。 Cold-EZというZinc(亜鉛)を使っているものである。 このキャンディーというか、薬のおかげで、昨日の水曜日には、仕事に行かれた。 この薬のWebsiteは: http://www.coldeeze.com/ なぜ、効くかというメカニズムも面白い。 Zinc(亜鉛)はイオン化傾向が高い。 +のMolecular Chargeがある。 一方、風邪の原因の80%は、ライノビールスで、こちらは、-のMol

No. 92 びびりばびりぶー

アーサー・ホランド氏の十八番に、「びびりばびりぶー」ってのがある。  「びびりまくった。」という意味である。 一体、「びびる」は日本語なのか? 私には、わからない。 正統(?)な日本語で言うとすれば、「恐れおののく」という意味であろう。  しかし、この一週間の私の心境は、「びびっている」という語感がぴったりなのである。 先週から、Tax Advisorのパートの仕事を始めた。 えらそうに聞こえるが、Tax のファイリングの季節労働者に過ぎない。 Taxファイリングの大手のH&R Blockという会社である。 でも、サービスの内容は、Taxであっても、歩合制。 また、Tax以外のサービスも提供しなければならない。 ということで、私に言わせれば、セールスとあまり大差ない。 仕事の初日、まだシーズンまえなので、オフィスは閑散としていた。 さあ、帰るか、というときになって、次にくる人が遅れる、という連絡。 そして、突然、客は来た。  そのお客は、Taxというより、TaxのRefund(リファンド)を当てにした、ローンを求め来た人であった。 そして、15分くらいで、すぐ終わる、と期待してきたはず。 そこで、対応したのは、そのローンのことをあまり知らない、私であった。 また、そのローンは、去年とは、いろいろ変わっていて、お客の期待通りの金額が貸し出せなくなっていた。  ということで、そのお客をプロセスしたはいいが、そのお客さん、あまり満足したようすではない。 あったりまえだ。 だって、応対したのが、ペーペーの新人だったし、マネジャーが横で、手取り足取り教えながらやったので、時間がかかった。 私としても、わるいなぁー、という気持ちがあった。 また、そのローンの商品のことは、Taxのトレーニングには、含まれていなくて、個人勝手に勉強せよ、というものであった。 つまり、まったく準備できていなかった私であった。 同じ日に、電話の対応もした。 Taxの質問が多い。 夏から勉強して、テストも90%以上で合格したのに、クリスマス休暇で、ワイプアウト、つまり白紙に戻ってしまった。 なので、質問ひとつひとつにすぐ、答えられなかった。 しびれをきらした、電話の向こうの人間は、ぶちっと電話を切ってしまった。 私は・・・・びびった。 びびりまくった。 ずぶとそうに見える私らしいが、ほんまに、「

No. 91 新年だからってわけではないが

2008年になって、一週間が過ぎましたが、明けましておめでとうございます。  さて、新年だからってわけではないのですが、このブログを少しアップグレードしました。 といっても、デザインは変えていないんですけどね。  このブログは、グーグル(Google)社のBloggerを使って作りました。 当初は、ベータ版だったので、林立する日本の無料ブログプログラムに較べると、多少使い勝手や、昨日の面でちょっと劣っていたんです。 でも、やっとバージョンのアップグレードが完成して、かなり使いやすくなりました。 やはり、さすが、Google。  Google株、買っておきゃーよかった。 今は、高すぎてちょっと。   新しいバージョンを使って、ちょっと手を加えました。 ちょっと視線を右へ。 黄緑色のバックグラウンドの内容をすこし変えました。 そこには、<お知らせ>欄を追加。 ①(1月8日現在、変更)ブログ更新のお知らせをE-mailで受け取れる機能を追加しました。 ・・・・が自分のメールでテストしても、なかなかうまくいかず。 どなたか、テストして教えてくださいな。  ②「投票」コーナーを作りました。 当てはまるものをクリックして、"Vote" ボタンを押していってくださいな。 結果は、すぐわかります。 "Show results”をクリックすると結果がでると思います。 是非、試していってください。 ③広告を載せました。 広告は、Googleが自動的に選んで載せるようです。 クリックするとGoogleに広告収入がはいるそうです。 私の方にも、おこぼれがくるとのことですが、果たしてどうなのか?? マクドナルドのコーヒー一杯分かもしれません。 暇だったら、クリックしてねー。 **************** 2008年、ということは、日本では、平成20年ってことっすか。 昭和天皇崩御の号外を品川駅の前で受け取ってから、20年経った、ということですね。  では、ユダヤ人のカレンダーでは? 何年か? 5768年っす。 ユダヤ人の5768年の新年は、2007年9月13日の日没から。 これは、毎年同じ日ではない。 新年のお祝いは、ロシュ・ハシャナ(Rosh HaShana)といって、ユダヤ人の正月は、9月13日の日没から14日まで。 詳しくは、英語ですが、このサイトを参

No. 90 年越し・おせち料理

日本では、とっくに年が明けているのに、ここダラスでは、まだまだ。 あと30分でやっと2008年である。 旦那は、さっき見に行ったら、いびきをかいて寝ていた。 私も、今日は、早く寝るとする。 風邪がものすごくはやっているので、休養は十分にとらんといかん。 さて、サンタフェから3日前に帰ってきた。  行きは強風の向かい風の中を走っていったので、燃費がものすごく悪かった。 中間地点にある、アマリロ(Amarillo)に到着したときに、I-40というハイウエイの反対に向かう車線で、ものすごい事故があった。 私達が通りかかった直前に起こった様だ。 大型トレーラーが数台、くの字型になっていた。 その間に、何台もの乗用車が連続衝突をおこして、積み重なるようになっていた。 救急車は20台はいただろう。  走りながら、旦那と二人で、「うっわーーーーーー」。 サンタフェについて、テレビを見たら、CNNや全国放送網でその事故が報道されていた。 60台の車が巻き込まれ、すくなくとも5人の死者を出したそうだ。 これからクリスマスを家族と一緒に過ごそう、という人たちが多かったはず。 子供もいただろう。 哀れな気持ちになった。 一方、旦那は、「ガソリンが無い。」とのこと。 燃料タンクのインジケーターに赤いランプがついているではないか! 向かい風のせいで、普通なら、もっともつはずのガゾリンが、カラになりつつあった。 近くのガソリンスタンドに行ったが、その地域が停電していたため、ガソリンが入れられない。 事故のせいだろうか。  2件目にいったけど、そこも駄目。  暫く、その場で停車してぼーっとしていた。 ここで、夜を過ごすのか? と不安になり、祈った。 でも、もう少し先に行けば、電気が通っている場所があるはずだ、と旦那がいうので、車を走らせた。 そして、あった。 ガゾリンスタンドが。 そこで、ガソリンを満タンにして、サンタフェに向かった。 次回は、予備のガソリンタンクを持っていくことにしよう。 サンタフェでは、子供をスキーに連れて行った。 自分のスキーウエアを着たら、きつくなっていた。  20年着ていて、今まで大丈夫だったのが。 これは、やばい。 健康によろしくない。 また、子供にスキーを教えていたのだが、そのあと、ものすごく疲れた。 体力も筋力も衰えていて、体重が増えていたせいだ。 中年太り、なん

No. 89 わたしゃ、クリスマス嫌いなんだよね

タイトルを見て、なんだ、こいつ、クリスチャンのくせに! と思われる方もいるだろう。 でも、私は、クリスマスシーズンが大嫌いである。 何故かと言うと、サンクスギビングの後から始まる、「クリスマスショッピング」というのが大嫌いなのである。 まず、新聞の折込広告の量が増える。 すべてそのまんまリサイクルの箱にいってしまうだけであるが、重たい。 資源の無駄だ。 XX%割引! 早朝7時から夜は、11時まで開店!ってな、ハガキの広告も入ってくる。 だれがいくんだよぉ~。 朝、7時前に起きて、ショッピングなんて。 従業員もたまったもんではない。 ウチは、テレビが見れない状態なんだが、ラジオや新聞で言っていた。 サンクスギビング明けの金曜日の早朝から、ある電気屋のまえでキャンプして待って、バーゲンを逃さない、という人々が押しかけたそうだ。 まったく暇な人間がいるもんだ。 私にいわせれば、正気の沙汰ではない。 この時期、ウオールマートやターゲットという量販店に夕方や、土日に行ってしまったら、これまた大失敗である。 1-2点の品物をかごにいれて、レジまでいったはいいが、そこから先に出られない。 人、人、人、である。 ナントカしてくれ。 クリスマスショッピングシーズンでうんざりしているうちに、さらに追い討ちをかけるのが、寄付である。 クリスマスは、ギビングシーズンだ、という名目で、寄付を募る電話がなる。  寄付の電話には、こう対応している。 「お宅のOverhead Costは何パーセントですか? ファイナンシャルステートメントありますか?」  Overhead Costとは、間接費みたいなもので、事務経費、人件費のことである。 もっと簡単に言えば、寄付が必要な人には、寄付金のすべてが渡らない。 その間に、いろいろな費用がかかかる。 事務所費、印刷費、事務要員費など。 そういった費用の割合が60-80%という慈善団体が結構ある。 本当に必要な人には、あまり渡らない場合がある。  なので、Overhead Costの割合を必ず聞くことにしている。 そして、その割合が10%くらいなら、良しとする。 しかし、今まで、私の質問に答えられた団体はいない。 一つを除いて。 それは、うちの老犬が仔犬の時引き取ってきた、フロリダのアニマル・シェルタ-。 ここでは、会計報告をキチンと送ってきたので、長年、

No. 88  与えられる理由

あーー、いそがしかったぁ。 11月20日から、この金曜日の7日まで。 日本の盆暮れ正月が一気にくるこのアメリカのこの季節。 11月20日の週は、サンクスギビングの週で、そのあと12月の上旬が子供達の誕生日。 家に滞在する人も増え、おいしいものを一緒に食べるから、お勝手に詰めきりとなる。 子供の誕生日は、午前中、子供達が日本語学校に行っている間、ばたばた準備して、93歳のおばあちゃんもこき使い、料理。 2時から子供11人が家に来て、パーティ。 ゲームをして、ケーキ。  ケーキは、また手作りにした。 アメリカのケーキって、青、紫、黄色、その他どくどくしい着色料をどーっと使っている上に、美味しくない。 ヨーロッパ風のケーキに慣れている日本人にとっては、アメリカのケーキは、どうもいただけない。 っちゅーことで、作った。 子供達のPartyのあとは、大人たちを呼んで、Party。 普段からお世話になっている仲の良いご近所さんたち、学校の先生、パタリロ牧師夫妻。 そしてパーティの特別ゲストとして、93歳の義母を準主役に添えた。 それまで、前菜を作ってもらったり、フライパンの焦げ付きをがりがりと綺麗にしてもらっていたんだか。 さて、話は、遡る。 この夏、義母と義父のいるニューメキシコ州サンタフェに行った。 毎年、2-3回は行き来している仲なので、また行った、というのが正しいか。 夏だから、雑草も生えているだろうから、芝刈りと、雑草抜きと、庭木の剪定をしようと構えて行った。 また、家の中も、掃除機をかけてあげよう、と思って行った。 11時間運転して、サンタフェにあるモーターホームに到着。 小さなプレハブみたいな質素な住まいである。 家の中に入ると、綺麗。 掃除機をかけた後がある。 庭も、ちゃんと、芝刈り機がかかっていた。 義父のじいちゃんは、片目は見えないし、歩くのも億劫だから、掃除も芝刈りもできない。 じゃあ、身長たった145センチくらいの義母が掃除と芝刈りしたのか?としばし黙ってしまっていた。 その後、わかったのは、ご近所さんが手伝ってくれたそうだ。 そのご近所さん、あとで訪ねてきてくれた。 感じの良い、60歳代の大きな女性であった。 そのあと、その女性はうちの子供達をゴーファー(あなもぐらねずみ?)に餌付けできるとこに連れていってくれたりもした。 子供達は大喜び。 ゴーファー

No. 87 とんでもねえ祈り

盆暮れ正月が一気にくるこの季節のアメリカ。 先週の木曜日は、Thanksgiving(サンクスギビング)=感謝祭、であった。 旦那の93歳の母親と旦那のいとこ夫婦で、子供達のゴッド・ペアレントが来た。 犬も、もう一匹きた。 友人も来た。 気の合う家族と友達でわいわいと、食べてばかりいた一週間であった。  毎日、ほとんどの時間を台所と食卓の周りで過ごした。 食べてばっかり。 音楽をきいたり、いろいろな話をしたり、と本当に楽しい家族の時間。 特に、ばあちゃんと旦那のいとこはパナマ人だから、ラテン系。 私も、今は、すっかりラテン化している。 ラテン系のよいところは、こうやって家族沢山あつまってわいわい、他人が来ても、いつの間にか家族にしてしまい、わいわい、とやるところである。  こんないい家族に囲まれて、わたしゃ、幸せだべよ~。 さて、この日曜日の25日は、双子の洗礼式であった。 この話は後日書く。 なにせ、今度の日曜日は子供達の誕生日で、午後一番は、子供達のパーティー。 夜は、世話になった人たちを呼んでいるので、また、忙しい一週間なのである。 なので、今回は簡単に。  先ほど、洗礼式の写真を見て、ショック。       ま た  ふ と っ た ・・・・・・ 前回のブログの「先はまだみえないけれど」の最後は、宝くじあててください、という祈りでおわった。 宝くじは、ギャンプルだから、やってはいけない、と教会の人が言っているのを聞いたことがある。  う~ん。 祈っていいのかなぁ? でも、神さんは、なんでももっていて、何でも出来てしまうから、どうかなぁ。 頼むだけ、「ただ」だし。 沢山、お金があれば、沢山献金できるし、仕事しなくても、伝道に専念できるし。  といっても、宝くじ、買っていないから、あたるわけないか。  やっぱ、私は、ばかだなー。 じゃあ、太ったので、「痩せさせてください。」という祈りは、どうなんだろうか。 おっと、祈りは、「具体的」出なければいけないから、「病気や心労で痩せるのではなく、健康そのもので、健康的に痩せさせてください。」と祈らないとだめだろうなぁ。 この間の試験のこと。 正統な(?)理由があって、読むべきところの一章を読まなかった。 時間がなかったので、「試験、受からせてください。」と祈ったら、読んでいなかったその章のある場所が示された=心?頭?に浮

No. 86  先はみえないけど

いや~、ご無沙汰しています。 とても、忙しく、コンピューターに向かわない日々でした。  何をしていたか?というと・・・・・ 勉強と仕事でした。 月曜日に最終試験が終わり、今、ほっとしているところです。 しかし、たまり溜まったものは、洗濯物、医療費の保険請求の整理、開けていない封筒・・・・と山積みで、山を見て、ため息をついているんですよね。 実は、旦那がもう退職できる年となります。 18歳年上なので、還暦なんてとうに過ぎているんですよ。 わか~く見えますが。 旦那は一応、国家公務員で、古くからの職員なので、年金がしっかりもらえるというラッキーな年代です。  アメリカでは、いまや、退職金は、401Kといって(これは、税制番号です)自分が働いたお金を入れないと、会社、雇用主は退職年金を作ってくれないという制度にどんどん移行しています。 401kで作ったアカウントは自分でか、信託して、投資をして、Nest Egg(虎の子とでも言うか?)を増やしていかねばなりません。 なので、ストックマーケットが落ちたときは、Nest Eggの価値がどーんと下がってしまい、老後の不安がつのるんですね。 リスクが低いアメリカ国債(US Bond)もポートフォリオに入れて、あまり市場の影響を受けないように管理することも大事です。  一方、旦那の場合、日本やヨーロッパのような年金というものがもらえるんですね。 それも、退職前の年収の80%は保証されています。 そういった点で、老後と健康の保証がどんどん消えていくこのアメリカでは、貴重な恩恵をいただけるということになります。 子供がすでに巣立って、家も支払い終え、夫婦でのんびり生活、という老後ならば、まあまあの暮らしができる年金です。 しかし・・・、うちにはまだ7歳の双子と支払い期限が27年残っている家のローンがあります。 ということで、年金だけでは、生活していかれないのであります。 今の収入が20%落ちれば、現状維持は不可能ということです。 なので、2年後あたりをめどに、私もフルタイムの仕事に就くことに決めました。 といっても、もう若くないし、子供もいるので、若いときと違った選択をせねばなりません。 これが20-30代だったら、大学院にちょっともどって、マスターの学位を取り、その後、なんとかCPA取って、ダラスの大手会計事務所で、がーっと働いて、と

No. 85 It Is Well With My Soul  やすけさは川のごとく  (その1)

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今日は、日曜日。  ウチの教会で数人が洗礼を受ける。 そのうちのひとりは、この夏まで私が、へたくそピアノ伴奏をさせてもらった、聖書の学びの家庭集会からの人である。  彼女だけではない。 旦那さんも一緒。 こりゃー、めでたい、っちゅーことで、歌を歌うことにした。   聖書の学びの家庭集会の仲間3人とで、歌うのである。 3人で歌うのがこれで二回目。  以前、グループ名どうする?なんて冗談に話していた。 「キャンディーズ」はどう?という提案をした者がいた。   私はこけた。どう考えたって、キャンディでも、賞味期限が過ぎたキャンディーである。   なので、私は、「『おば三』なんてどお?」と代替案をだした。当然のごとく、大反対の憂き目にあった。   もう一人が、「『カルバリーズ』は?どお?」  私ー「やだよー! それって、『どくろズ』って意味になっちゃうじゃんよ!」  といういうことで、まったくグループ名も決まらないまま、夏が終わった。   このところ、涼しくなったダラスである。冷房も要らない。おまけに、最近、新しい教会に移り、そこには、洗礼の槽がある。  なんと、お湯がはれるので、冬でも洗礼できるのである。私なんぞ、馬牛の飼葉おけだったんだぞ。それも、午前中にお水をはって、外に置いて、天日によって暖めた超自然的な洗礼槽だったんだぞ。 (詳しくは、Blogの多分2005年当たりにある『使用前 使用後』に書いたと思う。) *************** 今回歌う曲は、ちょっと前のBlog『You Raise Me Up』に貼ったビデオの最初の曲  『It is Well With My Soul』(邦題:やすけさは川の如し:賛美歌476)  この曲の練習の歌詞カードを作成するにあたり、この曲の背景をちょっと調べた。 作詞は、Horatio Spafford (ホーレイショー・スパッフォード) (1828 – 1888)  作曲は、 Philip Bliss (フィリップ・ブリス) (1838-1876)    曲としては、賛美歌のスタンダードであるが、何故、この曲が、100年以上も間、人の心をひきつけて止まないのはなぜであろうか。  時として、素晴らしい作品、とくに詩や音楽は、個人的な困難があったときに書かれている。  例えば、Eric Klaptonの「Teas i

No. 85 It Is Well With My Soul  やすけさは川のごとく (その2)

以下は、It is Well With My Soulの詩と訳です。 全部の詩をやくしきれていません。黄色文字の詩の部分だけの訳を下部に書きます。 もう、教会に行く時間なので、今日のところは、こんへんで! It is Well With My Soul When peace, like a river, attendeth my way, When sorrows like sea billows roll; Whatever my lot, Thou hast taught me to say, It is well, it is well with my soul. (Refrain:) It is well (it is well), with my soul (with my soul), It is well, it is well with my soul. Though Satan should buffet, though trials should come, Let this blest assurance control, That Christ hath regarded my helpless estate, And hath shed His own blood for my soul. (Refrain) My sin, oh the bliss of this glorious thought! My sin, not in part but the whole, Is nailed to His cross, and I bear it no more, Praise the Lord, praise the Lord, O my soul! (Refrain) For me, be it Christ, be it Christ hence to live: If Jordan above me shall roll, No pang shall be mine, for in death as in life Thou wilt whisper Thy peace to my soul. (Refrain) And Lord haste the day, when my faith shall be sight, The clo