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No. 96 君子蘭 (くんしらん)

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前回のBlogが2月10日に書いたままであった。 Taxの第一ピークが終わりつつある頃で、まだ、寒い頃。 ダラスでは、雪が2回降った。 今日は、3月27日。 気温は、25度近く、うちの旦那は、家の冷房をつけた。 一ヶ月前は、雪が降ったのに、もう、冷房の季節となった。 人が忙しくしている間に、庭には、雑草が芝生をしのいで、繁栄してしまっている。 久々に仕事のない明日の金曜日は、雑草取りと、鉢の植木の土を新しくしてあげる日とするか。 ****************** 一昨年の2006年の12月日本に帰った。 帰路、私は密輸をした。 密輸をしたのは、かんきつ類でもなく、薬でもなく、動物の毛皮でもなく、食品類でもなかった。 なにかというと・・・・    根がついた小さな植木 であった。  大事に、大事に、ティッシュで包んで、ジップロックに入れて、バックパックに忍ばせた。 税関をなんとかすり抜けて、密輸に成功して、ダラスに戻ってきた。 ダラスの自宅に着いたあと、すぐに鉢に植え替えた。 2-3鉢できた。 それから、1年半ちかくなろうとしているが、今は、2鉢しか残っていない。 一鉢は、夏の暑さで死んでしまった。 残りの2鉢も順調とはいえない。 一鉢は、とても小さな葉である。 もう一鉢は、元気に葉をだしていたのだが、この秋から冬にかけて、外に出しっぱなしにしてしまったのが、まずかった。 寒い夜のあと、へなへなになりつつあって、いそいで、屋内にいれた・。 葉が抜けて、もしかすると手遅れであるかもしれない。  その植木は、「君子蘭」(くんしらん)という。 私はお江戸生まれである。 しかし、3歳半から育ったのは、横浜である。 私の部屋は南向きの四畳半であった。 縁側もついている。 その縁側にそって、植木棚があった。 冬だったか、秋だったか、早春であったか、あまり記憶が定かではない。 君子蘭のオレンジ色の花が、その植木棚の上で列をなして咲き誇っていたのが、脳裏に焼きついている。 その君子蘭は、母の父親、つまり私の祖父が大事に育てていたらしく、母がそれを横浜の家に株分けして持ってきたらしい。 鉢もすばらしいものが多く、絵を施して焼いたもの。 彫り物が入っている鉢に植えられていた、と記憶する。 冬の間の暖かい昼間には、母は、君子蘭を外に出して、太陽に当ててやっていた。 冷え込む夜は、部屋に

No. 95 金は天下のまわりもの

息もつけず、昼飯もとれないほどの忙しいTaxシーズンのピークが、すこし収まった。 今日は久しぶりの休みである。 それに、日曜日で、安息日である。 昨日の土曜日は、かなり疲れていて、夕食を作った後は、自分ひとりのお風呂と決めた。 いつもは、子供たちを先に入らせて、自分は、あとからぬるくなった湯船に浸かって、体を洗っていた。 でも、昨日だけは、自分ひとりのお風呂がほしかったので、客用の小さなお風呂に入った。 それでも、一夜明けた今朝でも、疲れが残っている。 ストレスあり、あまり食べないで、2週間やってきたからであろう。 昔、母も私たちの学費や生活費のため、無理をして働いてくれて、それがたたり、難病になってしまった。 母の轍を踏まぬよう、今ここで私は、休息をとることにした。 幸い、仕事のスケジュールも、バレンタインデーのあるこの週は、一日しか入っていない。 その一日の仕事も休むことにした。 実は、一泊で、隣の州にいくことになっているのが本当の理由でもあるが。 さて、今のTaxのファイリングの仕事である。 顧客は、オフィスの位置する場所柄、年収が300万円に満たない層が半分くらい占める。 たまに、700万円台の顧客もいる。 私が今までファイリングしたお客には、年収が一千万円を超える人がまだ一人もいない。 これから、そういう人たちがオフィスに来る時期になるのだろう。 年収が高い人たちは、私が働くTaxの会社を使わない人が多いだろう。 自分でソフトを使って、Taxを済ませてしまうか、専任の会計士に頼むのだろう。  一方、年収が300万円に満たない方たちは、リファンド(税金の還付:”かんぷ”)を求めて、私のいるオフィスに長蛇の列を作る。 なぜか、というと、子供が一人、または二人いる人で、年収が約33,000ドル以下の人には、税金の還付以上に、政府から還元金がある。 つまり、福祉である。 これは、Earned Income Credit(EIC)という。  このEIC、最高額が4000ドル位になる。 また、Child Tax Creditという別のCreditがあって、16歳以下の子供一人当たり、1,000ドル還ってくる。 したがって、16歳以下の子供が二人いて、年収が20,000ドル弱のシングルマザーは、時に7,000ドル近い税金の還付がもらえるのである。 さらに、私の勤める会社

No. 94 輪廻転生

突然、なんだ、仏教か? というタイトルである。 輪廻転生=りんねてんしょう。 仏教やヒンズー教などの根底をいく理念である。 人間が死んで、次に生まれ変わるときは、人間ではないかもしれない。 生前に、この世で積んだ業が次にどの動物となって「生まれ変わってくる」かが決まるらしい。 たとえば、悪いことをこの世でしたから、次は豚になって生まれ変わってくるとか。 ブラッド・ピットが主演した映画で、チベットが舞台になった映画がある。 題名もストーリーも忘れたが。 ダライ・ラマのことも述べられた映画だったかは、記憶が定かではない。  ともかく、その映画の中で、ある建物をチベットの僧院の庭に建てようと計画したブラッド・ピットふんする主人公。 ある障壁にぶちあたる。 ブルトーザーで土を掘り起こそうとしたら、僧侶全員が大騒ぎ。 辞めてくれ、という。 なぜかというと、土の中にいる「みみず」を殺してしまうからである。  チベットでは、「みみず」は「母」の生まれ代わりであると信じられているからということだ。 土は、「母なる大地」といわれるように、土からいろいろなものが生える。 だからかもしれない。 実際、みみずは、土作りに大切な働きをする。 みみずのウンチがよい土壌をつくるのである。   え・・・・となると、アダムは土から作られたから、言い換えれば、みみずのウンチでできているのか??????? この輪廻転生のことや、仏教の考えには、地獄あり、天国ありなのである。 また、六道といって、天上界、人間界、修羅界、畜生界、飢餓界、地獄界がある。 天上界は、吸う空気も甘露であるらしい。 でも、仏教の根底とかいちゃったけど、ブッダって、ただ「悟り(さとり)」を開くことだけを精進した人であって、仏教といわれる宗教には、もともと「教義」はない、ということだ。 これは、大好きな作家の司馬遼太郎氏の言である。 彼は、関西外語大学のモンゴル語課を卒業して、関西の新聞社に勤務していたときは、「宗教」の記事を担当していた。 なので、あながち、間違いではないだろう。 仏「教」としての体系は、後進の人たち、いわゆるお坊さんたちが、いろいろ哲学をつけていったものだと思う。 ある法典を垣間見すると、聖書と似ている箇所がかなりある。 仏教という宗教体系が出来上がる過程には、景教(原始キリスト教で、中国の唐の時代:6世紀? に栄

No. 93 びびり後日談

びびったーという前回のBlogを書いたのが、日曜日。 びびって、夜も遅くまで調査と勉強したせいか、たまたま潜伏期間がおわったか、月曜日からインフルエンザみたいな軽い症状が出た。 節々の痛み、だるさ、倦怠感、胃の調子もちょっと悪かった。 インフルエンザではなく、ただの風邪かもしれないが、疲れ、緊張、ストレスから来ているのは明らかであった。 たまたま、今週は、水曜日の昼まで、仕事が予定にはいっていなかったので、2日、ベッドの中で過ごした。 本当は、しなければならない、勉強もあったのだが。 勉強というのは、H&R BlockのComputer Based Trainingなどの、コース。 本来のTax Filing以外に、いろいろなことをしなければならない。 リファンドを当てにしたローンの組み方、IRA(Individual Retirement Account)の設定のしかた、ソーシャルセキュリティーに変わる番号の取得の仕方、訂正Taxのファイリングの仕方・・・・、と付随する仕事のほうが、本来のTaxにかける時間より、多い。 なので、こういったことは、自宅で、コンピューターに向かって勉強することとなる。 当然、勉強の時間は、無給となるが。 なにせ、わからないことだらけ。 はやく、こういったトレーニングを済ませないと、とも焦っていた。 なので、びびっていたのだ。 しかし、だるさと関節のいたみで、何も出来ず。 とにかく、水分たくさんとって、なるべくベッドで時間をすごしていた。 話はすこしずれるが、シアトルに研修にいっていた旦那も現地で具合が悪くなったのだが、研修仲間がよい薬がある、とそれを使っていたそうだ。 風邪の症状を抑えて、回復が通常一週間から10日かかるところを短縮できる、というものである。 薬というよりは、キャンディーなのだが、これが以外にも、役に立った。 Cold-EZというZinc(亜鉛)を使っているものである。 このキャンディーというか、薬のおかげで、昨日の水曜日には、仕事に行かれた。 この薬のWebsiteは: http://www.coldeeze.com/ なぜ、効くかというメカニズムも面白い。 Zinc(亜鉛)はイオン化傾向が高い。 +のMolecular Chargeがある。 一方、風邪の原因の80%は、ライノビールスで、こちらは、-のMol

No. 92 びびりばびりぶー

アーサー・ホランド氏の十八番に、「びびりばびりぶー」ってのがある。  「びびりまくった。」という意味である。 一体、「びびる」は日本語なのか? 私には、わからない。 正統(?)な日本語で言うとすれば、「恐れおののく」という意味であろう。  しかし、この一週間の私の心境は、「びびっている」という語感がぴったりなのである。 先週から、Tax Advisorのパートの仕事を始めた。 えらそうに聞こえるが、Tax のファイリングの季節労働者に過ぎない。 Taxファイリングの大手のH&R Blockという会社である。 でも、サービスの内容は、Taxであっても、歩合制。 また、Tax以外のサービスも提供しなければならない。 ということで、私に言わせれば、セールスとあまり大差ない。 仕事の初日、まだシーズンまえなので、オフィスは閑散としていた。 さあ、帰るか、というときになって、次にくる人が遅れる、という連絡。 そして、突然、客は来た。  そのお客は、Taxというより、TaxのRefund(リファンド)を当てにした、ローンを求め来た人であった。 そして、15分くらいで、すぐ終わる、と期待してきたはず。 そこで、対応したのは、そのローンのことをあまり知らない、私であった。 また、そのローンは、去年とは、いろいろ変わっていて、お客の期待通りの金額が貸し出せなくなっていた。  ということで、そのお客をプロセスしたはいいが、そのお客さん、あまり満足したようすではない。 あったりまえだ。 だって、応対したのが、ペーペーの新人だったし、マネジャーが横で、手取り足取り教えながらやったので、時間がかかった。 私としても、わるいなぁー、という気持ちがあった。 また、そのローンの商品のことは、Taxのトレーニングには、含まれていなくて、個人勝手に勉強せよ、というものであった。 つまり、まったく準備できていなかった私であった。 同じ日に、電話の対応もした。 Taxの質問が多い。 夏から勉強して、テストも90%以上で合格したのに、クリスマス休暇で、ワイプアウト、つまり白紙に戻ってしまった。 なので、質問ひとつひとつにすぐ、答えられなかった。 しびれをきらした、電話の向こうの人間は、ぶちっと電話を切ってしまった。 私は・・・・びびった。 びびりまくった。 ずぶとそうに見える私らしいが、ほんまに、「

No. 91 新年だからってわけではないが

2008年になって、一週間が過ぎましたが、明けましておめでとうございます。  さて、新年だからってわけではないのですが、このブログを少しアップグレードしました。 といっても、デザインは変えていないんですけどね。  このブログは、グーグル(Google)社のBloggerを使って作りました。 当初は、ベータ版だったので、林立する日本の無料ブログプログラムに較べると、多少使い勝手や、昨日の面でちょっと劣っていたんです。 でも、やっとバージョンのアップグレードが完成して、かなり使いやすくなりました。 やはり、さすが、Google。  Google株、買っておきゃーよかった。 今は、高すぎてちょっと。   新しいバージョンを使って、ちょっと手を加えました。 ちょっと視線を右へ。 黄緑色のバックグラウンドの内容をすこし変えました。 そこには、<お知らせ>欄を追加。 ①(1月8日現在、変更)ブログ更新のお知らせをE-mailで受け取れる機能を追加しました。 ・・・・が自分のメールでテストしても、なかなかうまくいかず。 どなたか、テストして教えてくださいな。  ②「投票」コーナーを作りました。 当てはまるものをクリックして、"Vote" ボタンを押していってくださいな。 結果は、すぐわかります。 "Show results”をクリックすると結果がでると思います。 是非、試していってください。 ③広告を載せました。 広告は、Googleが自動的に選んで載せるようです。 クリックするとGoogleに広告収入がはいるそうです。 私の方にも、おこぼれがくるとのことですが、果たしてどうなのか?? マクドナルドのコーヒー一杯分かもしれません。 暇だったら、クリックしてねー。 **************** 2008年、ということは、日本では、平成20年ってことっすか。 昭和天皇崩御の号外を品川駅の前で受け取ってから、20年経った、ということですね。  では、ユダヤ人のカレンダーでは? 何年か? 5768年っす。 ユダヤ人の5768年の新年は、2007年9月13日の日没から。 これは、毎年同じ日ではない。 新年のお祝いは、ロシュ・ハシャナ(Rosh HaShana)といって、ユダヤ人の正月は、9月13日の日没から14日まで。 詳しくは、英語ですが、このサイトを参

No. 90 年越し・おせち料理

日本では、とっくに年が明けているのに、ここダラスでは、まだまだ。 あと30分でやっと2008年である。 旦那は、さっき見に行ったら、いびきをかいて寝ていた。 私も、今日は、早く寝るとする。 風邪がものすごくはやっているので、休養は十分にとらんといかん。 さて、サンタフェから3日前に帰ってきた。  行きは強風の向かい風の中を走っていったので、燃費がものすごく悪かった。 中間地点にある、アマリロ(Amarillo)に到着したときに、I-40というハイウエイの反対に向かう車線で、ものすごい事故があった。 私達が通りかかった直前に起こった様だ。 大型トレーラーが数台、くの字型になっていた。 その間に、何台もの乗用車が連続衝突をおこして、積み重なるようになっていた。 救急車は20台はいただろう。  走りながら、旦那と二人で、「うっわーーーーーー」。 サンタフェについて、テレビを見たら、CNNや全国放送網でその事故が報道されていた。 60台の車が巻き込まれ、すくなくとも5人の死者を出したそうだ。 これからクリスマスを家族と一緒に過ごそう、という人たちが多かったはず。 子供もいただろう。 哀れな気持ちになった。 一方、旦那は、「ガソリンが無い。」とのこと。 燃料タンクのインジケーターに赤いランプがついているではないか! 向かい風のせいで、普通なら、もっともつはずのガゾリンが、カラになりつつあった。 近くのガソリンスタンドに行ったが、その地域が停電していたため、ガソリンが入れられない。 事故のせいだろうか。  2件目にいったけど、そこも駄目。  暫く、その場で停車してぼーっとしていた。 ここで、夜を過ごすのか? と不安になり、祈った。 でも、もう少し先に行けば、電気が通っている場所があるはずだ、と旦那がいうので、車を走らせた。 そして、あった。 ガゾリンスタンドが。 そこで、ガソリンを満タンにして、サンタフェに向かった。 次回は、予備のガソリンタンクを持っていくことにしよう。 サンタフェでは、子供をスキーに連れて行った。 自分のスキーウエアを着たら、きつくなっていた。  20年着ていて、今まで大丈夫だったのが。 これは、やばい。 健康によろしくない。 また、子供にスキーを教えていたのだが、そのあと、ものすごく疲れた。 体力も筋力も衰えていて、体重が増えていたせいだ。 中年太り、なん

No. 89 わたしゃ、クリスマス嫌いなんだよね

タイトルを見て、なんだ、こいつ、クリスチャンのくせに! と思われる方もいるだろう。 でも、私は、クリスマスシーズンが大嫌いである。 何故かと言うと、サンクスギビングの後から始まる、「クリスマスショッピング」というのが大嫌いなのである。 まず、新聞の折込広告の量が増える。 すべてそのまんまリサイクルの箱にいってしまうだけであるが、重たい。 資源の無駄だ。 XX%割引! 早朝7時から夜は、11時まで開店!ってな、ハガキの広告も入ってくる。 だれがいくんだよぉ~。 朝、7時前に起きて、ショッピングなんて。 従業員もたまったもんではない。 ウチは、テレビが見れない状態なんだが、ラジオや新聞で言っていた。 サンクスギビング明けの金曜日の早朝から、ある電気屋のまえでキャンプして待って、バーゲンを逃さない、という人々が押しかけたそうだ。 まったく暇な人間がいるもんだ。 私にいわせれば、正気の沙汰ではない。 この時期、ウオールマートやターゲットという量販店に夕方や、土日に行ってしまったら、これまた大失敗である。 1-2点の品物をかごにいれて、レジまでいったはいいが、そこから先に出られない。 人、人、人、である。 ナントカしてくれ。 クリスマスショッピングシーズンでうんざりしているうちに、さらに追い討ちをかけるのが、寄付である。 クリスマスは、ギビングシーズンだ、という名目で、寄付を募る電話がなる。  寄付の電話には、こう対応している。 「お宅のOverhead Costは何パーセントですか? ファイナンシャルステートメントありますか?」  Overhead Costとは、間接費みたいなもので、事務経費、人件費のことである。 もっと簡単に言えば、寄付が必要な人には、寄付金のすべてが渡らない。 その間に、いろいろな費用がかかかる。 事務所費、印刷費、事務要員費など。 そういった費用の割合が60-80%という慈善団体が結構ある。 本当に必要な人には、あまり渡らない場合がある。  なので、Overhead Costの割合を必ず聞くことにしている。 そして、その割合が10%くらいなら、良しとする。 しかし、今まで、私の質問に答えられた団体はいない。 一つを除いて。 それは、うちの老犬が仔犬の時引き取ってきた、フロリダのアニマル・シェルタ-。 ここでは、会計報告をキチンと送ってきたので、長年、

No. 88  与えられる理由

あーー、いそがしかったぁ。 11月20日から、この金曜日の7日まで。 日本の盆暮れ正月が一気にくるこのアメリカのこの季節。 11月20日の週は、サンクスギビングの週で、そのあと12月の上旬が子供達の誕生日。 家に滞在する人も増え、おいしいものを一緒に食べるから、お勝手に詰めきりとなる。 子供の誕生日は、午前中、子供達が日本語学校に行っている間、ばたばた準備して、93歳のおばあちゃんもこき使い、料理。 2時から子供11人が家に来て、パーティ。 ゲームをして、ケーキ。  ケーキは、また手作りにした。 アメリカのケーキって、青、紫、黄色、その他どくどくしい着色料をどーっと使っている上に、美味しくない。 ヨーロッパ風のケーキに慣れている日本人にとっては、アメリカのケーキは、どうもいただけない。 っちゅーことで、作った。 子供達のPartyのあとは、大人たちを呼んで、Party。 普段からお世話になっている仲の良いご近所さんたち、学校の先生、パタリロ牧師夫妻。 そしてパーティの特別ゲストとして、93歳の義母を準主役に添えた。 それまで、前菜を作ってもらったり、フライパンの焦げ付きをがりがりと綺麗にしてもらっていたんだか。 さて、話は、遡る。 この夏、義母と義父のいるニューメキシコ州サンタフェに行った。 毎年、2-3回は行き来している仲なので、また行った、というのが正しいか。 夏だから、雑草も生えているだろうから、芝刈りと、雑草抜きと、庭木の剪定をしようと構えて行った。 また、家の中も、掃除機をかけてあげよう、と思って行った。 11時間運転して、サンタフェにあるモーターホームに到着。 小さなプレハブみたいな質素な住まいである。 家の中に入ると、綺麗。 掃除機をかけた後がある。 庭も、ちゃんと、芝刈り機がかかっていた。 義父のじいちゃんは、片目は見えないし、歩くのも億劫だから、掃除も芝刈りもできない。 じゃあ、身長たった145センチくらいの義母が掃除と芝刈りしたのか?としばし黙ってしまっていた。 その後、わかったのは、ご近所さんが手伝ってくれたそうだ。 そのご近所さん、あとで訪ねてきてくれた。 感じの良い、60歳代の大きな女性であった。 そのあと、その女性はうちの子供達をゴーファー(あなもぐらねずみ?)に餌付けできるとこに連れていってくれたりもした。 子供達は大喜び。 ゴーファー

No. 87 とんでもねえ祈り

盆暮れ正月が一気にくるこの季節のアメリカ。 先週の木曜日は、Thanksgiving(サンクスギビング)=感謝祭、であった。 旦那の93歳の母親と旦那のいとこ夫婦で、子供達のゴッド・ペアレントが来た。 犬も、もう一匹きた。 友人も来た。 気の合う家族と友達でわいわいと、食べてばかりいた一週間であった。  毎日、ほとんどの時間を台所と食卓の周りで過ごした。 食べてばっかり。 音楽をきいたり、いろいろな話をしたり、と本当に楽しい家族の時間。 特に、ばあちゃんと旦那のいとこはパナマ人だから、ラテン系。 私も、今は、すっかりラテン化している。 ラテン系のよいところは、こうやって家族沢山あつまってわいわい、他人が来ても、いつの間にか家族にしてしまい、わいわい、とやるところである。  こんないい家族に囲まれて、わたしゃ、幸せだべよ~。 さて、この日曜日の25日は、双子の洗礼式であった。 この話は後日書く。 なにせ、今度の日曜日は子供達の誕生日で、午後一番は、子供達のパーティー。 夜は、世話になった人たちを呼んでいるので、また、忙しい一週間なのである。 なので、今回は簡単に。  先ほど、洗礼式の写真を見て、ショック。       ま た  ふ と っ た ・・・・・・ 前回のブログの「先はまだみえないけれど」の最後は、宝くじあててください、という祈りでおわった。 宝くじは、ギャンプルだから、やってはいけない、と教会の人が言っているのを聞いたことがある。  う~ん。 祈っていいのかなぁ? でも、神さんは、なんでももっていて、何でも出来てしまうから、どうかなぁ。 頼むだけ、「ただ」だし。 沢山、お金があれば、沢山献金できるし、仕事しなくても、伝道に専念できるし。  といっても、宝くじ、買っていないから、あたるわけないか。  やっぱ、私は、ばかだなー。 じゃあ、太ったので、「痩せさせてください。」という祈りは、どうなんだろうか。 おっと、祈りは、「具体的」出なければいけないから、「病気や心労で痩せるのではなく、健康そのもので、健康的に痩せさせてください。」と祈らないとだめだろうなぁ。 この間の試験のこと。 正統な(?)理由があって、読むべきところの一章を読まなかった。 時間がなかったので、「試験、受からせてください。」と祈ったら、読んでいなかったその章のある場所が示された=心?頭?に浮

No. 86  先はみえないけど

いや~、ご無沙汰しています。 とても、忙しく、コンピューターに向かわない日々でした。  何をしていたか?というと・・・・・ 勉強と仕事でした。 月曜日に最終試験が終わり、今、ほっとしているところです。 しかし、たまり溜まったものは、洗濯物、医療費の保険請求の整理、開けていない封筒・・・・と山積みで、山を見て、ため息をついているんですよね。 実は、旦那がもう退職できる年となります。 18歳年上なので、還暦なんてとうに過ぎているんですよ。 わか~く見えますが。 旦那は一応、国家公務員で、古くからの職員なので、年金がしっかりもらえるというラッキーな年代です。  アメリカでは、いまや、退職金は、401Kといって(これは、税制番号です)自分が働いたお金を入れないと、会社、雇用主は退職年金を作ってくれないという制度にどんどん移行しています。 401kで作ったアカウントは自分でか、信託して、投資をして、Nest Egg(虎の子とでも言うか?)を増やしていかねばなりません。 なので、ストックマーケットが落ちたときは、Nest Eggの価値がどーんと下がってしまい、老後の不安がつのるんですね。 リスクが低いアメリカ国債(US Bond)もポートフォリオに入れて、あまり市場の影響を受けないように管理することも大事です。  一方、旦那の場合、日本やヨーロッパのような年金というものがもらえるんですね。 それも、退職前の年収の80%は保証されています。 そういった点で、老後と健康の保証がどんどん消えていくこのアメリカでは、貴重な恩恵をいただけるということになります。 子供がすでに巣立って、家も支払い終え、夫婦でのんびり生活、という老後ならば、まあまあの暮らしができる年金です。 しかし・・・、うちにはまだ7歳の双子と支払い期限が27年残っている家のローンがあります。 ということで、年金だけでは、生活していかれないのであります。 今の収入が20%落ちれば、現状維持は不可能ということです。 なので、2年後あたりをめどに、私もフルタイムの仕事に就くことに決めました。 といっても、もう若くないし、子供もいるので、若いときと違った選択をせねばなりません。 これが20-30代だったら、大学院にちょっともどって、マスターの学位を取り、その後、なんとかCPA取って、ダラスの大手会計事務所で、がーっと働いて、と

No. 85 It Is Well With My Soul  やすけさは川のごとく  (その1)

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今日は、日曜日。  ウチの教会で数人が洗礼を受ける。 そのうちのひとりは、この夏まで私が、へたくそピアノ伴奏をさせてもらった、聖書の学びの家庭集会からの人である。  彼女だけではない。 旦那さんも一緒。 こりゃー、めでたい、っちゅーことで、歌を歌うことにした。   聖書の学びの家庭集会の仲間3人とで、歌うのである。 3人で歌うのがこれで二回目。  以前、グループ名どうする?なんて冗談に話していた。 「キャンディーズ」はどう?という提案をした者がいた。   私はこけた。どう考えたって、キャンディでも、賞味期限が過ぎたキャンディーである。   なので、私は、「『おば三』なんてどお?」と代替案をだした。当然のごとく、大反対の憂き目にあった。   もう一人が、「『カルバリーズ』は?どお?」  私ー「やだよー! それって、『どくろズ』って意味になっちゃうじゃんよ!」  といういうことで、まったくグループ名も決まらないまま、夏が終わった。   このところ、涼しくなったダラスである。冷房も要らない。おまけに、最近、新しい教会に移り、そこには、洗礼の槽がある。  なんと、お湯がはれるので、冬でも洗礼できるのである。私なんぞ、馬牛の飼葉おけだったんだぞ。それも、午前中にお水をはって、外に置いて、天日によって暖めた超自然的な洗礼槽だったんだぞ。 (詳しくは、Blogの多分2005年当たりにある『使用前 使用後』に書いたと思う。) *************** 今回歌う曲は、ちょっと前のBlog『You Raise Me Up』に貼ったビデオの最初の曲  『It is Well With My Soul』(邦題:やすけさは川の如し:賛美歌476)  この曲の練習の歌詞カードを作成するにあたり、この曲の背景をちょっと調べた。 作詞は、Horatio Spafford (ホーレイショー・スパッフォード) (1828 – 1888)  作曲は、 Philip Bliss (フィリップ・ブリス) (1838-1876)    曲としては、賛美歌のスタンダードであるが、何故、この曲が、100年以上も間、人の心をひきつけて止まないのはなぜであろうか。  時として、素晴らしい作品、とくに詩や音楽は、個人的な困難があったときに書かれている。  例えば、Eric Klaptonの「Teas i

No. 85 It Is Well With My Soul  やすけさは川のごとく (その2)

以下は、It is Well With My Soulの詩と訳です。 全部の詩をやくしきれていません。黄色文字の詩の部分だけの訳を下部に書きます。 もう、教会に行く時間なので、今日のところは、こんへんで! It is Well With My Soul When peace, like a river, attendeth my way, When sorrows like sea billows roll; Whatever my lot, Thou hast taught me to say, It is well, it is well with my soul. (Refrain:) It is well (it is well), with my soul (with my soul), It is well, it is well with my soul. Though Satan should buffet, though trials should come, Let this blest assurance control, That Christ hath regarded my helpless estate, And hath shed His own blood for my soul. (Refrain) My sin, oh the bliss of this glorious thought! My sin, not in part but the whole, Is nailed to His cross, and I bear it no more, Praise the Lord, praise the Lord, O my soul! (Refrain) For me, be it Christ, be it Christ hence to live: If Jordan above me shall roll, No pang shall be mine, for in death as in life Thou wilt whisper Thy peace to my soul. (Refrain) And Lord haste the day, when my faith shall be sight, The clo

No. 84 普通であることの有難さ

本当なら、勉強せにゃならん、この日曜日。 水曜日が試験だよー。 でも、5分だけ時間をもらって、書こう。 労働市場に戻るための一環として、公立学校の代理教員になった。 一応、アメリカの大学を出ているんで、こんなとき、首がつながるのである。 無駄ではなかったんだ、あの苦労。 さて、先週、代理教員として行ったところは、子供の通う小学校の特別教室。 子供の送り迎えが楽という理由と、こういった特別教室へは、なかなか代理教員が行きたがらないので、ならばその欠員を手伝ったほうがいい、ということで。 仕事の内容に、子供を持ち上げたり、おしめを代えるのも仕事に含まれる、と書いてあるから、ますます来る人はいないだろうな、と思った。  中学の数学の代理の仕事も同じ日に掲示されていたのだが、特別教室を選んだ。 朝一番の7時45分に教室に入った。 すでに生徒達は教室にいた。 立ち上がれず、マットの上に転がるだけの子供。 目が見えない子。 咀嚼ができず、チューブでおなかから栄養を取る子。 叫び通しの子。 つばも飲み込めない子供。 飲み込んだら最後、気管にはいってしまい、大騒ぎになる子。 7-8人いた。 でも、何故か、怖くなかった。 母の最期が精神病院だったし、そこで、一週間寝泊りして、精神障害の人たちと一緒に生活したからか? この子達は、もしかしたら、母だったかもしれない。 将来の自分かもしれない、と思って接した。 重度の障害を持つ子供達でも、笑顔が美しく、とても美しいものに触れた気がした。 話は突然変わるが、私の母方の叔父は素晴らしい人だった。 東京都千代田区の厚生部長を務めたかたで、人望が厚い人だった。 厚生部なので、福祉や心身障害者の施設の仕事も手がけた。 自慢じゃぁないが、シルバー人材派遣のさきがけを担った人でもあった。 その叔父が生前、私に言った言葉があった。 「いいか、○○ちゃん。 こういう人たちがいてくれるからこそ、お前達が普通の状態でいられるんだぞ!」 今、そいういった人たちと実際に触れてみて、本当にそうだなぁ、と思う。 13歳になろうとする体の大きい子を持ち上げて車椅子に乗せたり、大きなオムツを交換した。 目も見えず、自分で食事が出来ない子にごはんを食べさせてあげた。 よだれをたらしっぱなしの子の口を何度もタオルでぬぐった。 べとべとの手で、私に触ってくれたけど、何故か、きた

No. 83 キャリアウーマンが聞いた「声」 その2

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<その1よりつづく:その1は、スクロールダウンするとあります。> その1年半後、私は、待遇と給料のよかった仕事を未練もなく、すっぱりとやめた。 そして、ニューヨークのマンハッタンにあるニューヨーク市立大学のBaruch Collegeに留学した。 1992年の8月なので、もう15年前のことである。  当時は、バブルがはじけたばかりであったが、まだ一般人には、その影響が体感されていなかった時であった。 なので、留学が決定したことを、マスコミ関係の飲み仲間に話したところ、その中の一人が、「今、アメリカに行くのは、トレンディーじゃあないんだよね。」とビールのグラスを傾けながら、ぽつり、と言った。 確かに、年収がとてもよかったし、会社も有名でネームバリューがあったから、その仕事を捨ててまで、学ぶものがもう無いアメリカに行くのは、賢い選択ではない、と思う人も多かったのだろう。 しかし、私は前進することで精一杯で、惜しいものを捨ててしまった、という考えがまったく浮かばなかった。 私が日本をでて、まもなく、日本は「失われた10年間」に突入し、リストラ、という言葉が誰の耳にも馴染み深くなってしまった。 一方、アメリカは、低迷から脱出し、首切りになった人たちがSmall Businessブームを引き起こし、さらに、テクノロジーバブルとなり、1996年ごろには、Nasdaqが5000を突破した。 私は、ニューヨークでは、激貧生活を一年ちょっと経験したものの、これまた不思議なことで、仕事がみつかり、口糊をしのぐことが出来た。 さらに、今の夫ともドイツで巡り会えた。 そして、フロリダにうつり、学生主婦となり、その後は、「ゴルフのプータローおばさん」となり、そして、「双子の母親」となった。 「キャリアウーマン」の私は、いなくなってしまった。 その後、シンガポールに移り、ダラスに来た。 ダラスは本来なら、来るはずではないところであった。 これも、本当に不思議なことが起こって、ダラスに引っ越すことになった。 ダラスにくる直前に父が突然亡くなり、それから母と私の苦難が始まった。 そのときに、私は、イエス兄さんと神さんに、ぐいっと引き寄せられたのである。 母がアメリカの私の元に来ようかしら、といった一言で、私は気がついたら、ここの日本人教会の一つに車を走らせていた。 母は、クリスチャンであったので、

No. 83 キャリアウーマンが聞いた「声」 その1

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またまた、ご無沙汰でござんす。 なんと、一ヶ月近くもBlogを更新しなかった。 また、やった。 多忙であったのだ。 8月下旬から、とある講座を週3日取り始めた。 予習をしっかりしていかないと、ついていかれない。 10月の中旬が最終試験なので、それまでは、この忙しいスケジュールは続く。 2-3年後を目標に、また労働市場に舞い戻ろうと考えている。 旦那の退職が控えているためである。 退職すれば、私の旦那は、いまどきアメリカでは、大変貴重な「年金」がもらえる。 その点では、我が家は大変恵まれている。 しかし、年金は、今の収入の80%なので、今より20%収入が減ることになる。 7歳の双子を抱えて、まだ、住宅ローンがのこっている我が家では、20%以上を補填(ほてん)する手立てを考えねばならない。  一般に、私の世代は、管理職になって、収入もまだ上がる、というのが一般的である。 しかし、私の夫は18歳年上なので、ライフサイクルが平均の家庭と違う。 おまけに、子供が小さい。 本来なら、夫にとっては、7歳は孫の年齢といっても、過言ではない。 そういう点で、一般の人たちの生活設計とはちょっと違った対応をしなければならない。 これは、別に大変だ、ということでもない。  働くのなら、朝のラッシュの中、ダラスに通って、大手会計事務所とか、マーケティング会社あたりで、フルタイムで働いて、まあまあの収入を得ることは、可能である。 しかし、私はそれを敢えてしたくない。  朝、30-40分かけての通勤はたとえ車であっても、私には、「痛勤」である。 また、交通事故の確率も上がってしまう。 子供を育てるには、まず第一に、母親の心身の安全と健康が先に来る、と信じている私なので、通勤の長さは、大きな要素なのである。 さらに、小学校が終わったあとは、子供をディ・ケアーに預けねばならない。 子供のおやつと、宿題は親がしっかりとみるものだ、と思っているので、ディ・ケアーには、あまり預けたくない。 また、ディ・ケアーは安くはないのである。  収入のかなりの部分が、ディー・ケアーにかかってしまうことは事実で、かなりの収入が無い限りは、何のために子供をディ・ケアーに預けているのか、わからなくなってしまう。  しかし、こういった選択ができること事態、恵まれてはいるんだろう。 シングルマザーの人たちは、選択の余地ないもん

No. 82 You Raise Me Up その2ー小さな祈りも聞かれたー

今日も忙しく終わった。 朝一番の用、午後の歯医者、子供の絵画教室に、図書館でのお勉強。  夕飯を食べたのが、ずっと遅くなり、7時過ぎになってしまった。 7時過ぎの夕飯は、9時には、就寝体勢に入る我が家にとっては、とても遅い夕飯なのである。  私は、まだこれからしなければならないことがあるが、今日、起こったことは、書き留めておきたい。 今朝、8時前に子供を学校に下ろしてから、ある申し込みをするために、とある場所に行った。 資料はだいぶ前に用意しておいたので、昨晩は、それを台所においておいた。 今朝、子供を送ると同時に、その書類を車に入れた。 中身は、見直さなかった。 申し込み会場に早めに行った。 会場には、すでに人が沢山座っていた。 暫くぼーっとしていたのだが、何人かの人が呼ばれていった。 その中に、パスポートを持っている人もいた。 ああっ! 身分照明の為に、パスポートが必要だったんだ・・・。  私が持っているのは、パスポートのコピーだけである。 コピーなんて偽造できるから、証明には、現物をもっていかんとだめなんだよねぇ、一般的に。  ああー、今日の受付はおじゃんで、また一ヶ月先にやり直しなんだろうか・・・、とがっかりしていた。 いやー、「あとで持ってきなさい」っていってくれかも。 アメリカって国は、結構温情的だから。 なんとかなるかなぁ・・・。  これが、日本だったら、受け付けてもくれないもんね。 でも、もしかしたら、面倒なことになるんじゃないか。 ああー、もう、いやだなぁー。 まったく馬鹿だ。 忘れてくるなんて・・・・。 と、心の中が穏やかではなかった。 これは、神頼みしかない!と、天のお父さんにお願いした。 お父さん、身分証明書の現物を忘れてくる私はアホです。 またやってしまいました。 それ以外にも、毎日、あなたの心にそぐわないことばかりしている、このアホです。 ごめんなさい。 でも、もし、御心でしたら、もし、よろしかったら、申し込みの受付の人の心を和らげて下さい。 この申し込みがすんなり行くようにしてください。 暫くして、呼ばれた。 受付の人に「すみません。 身分証明書、忘れました。」とまず言った。 「では、運転免許証ありますか?」「はい、あります。」「ソーシャルセキュリティーカードは?」「あー、あれは、うちにあります。」 運転免許証だけでは、不十分で、もう一

No. 81 You Raise Me Up

このところ、Selahというゴスペルグループを崇拝(?)している。 ラジオから聞こえてきて、心を打たれたのである。 早速、CDと楽譜を買って、歌とピアノを練習している。  曲は、昔からある賛美歌であるが、アレンジと歌い手の力量でこれほどまでに、人に感動をあたえるのだなぁ、とつくづく思いいるのである。 ここまで、うまくできるわけないけど、毎日練習している。 このところ、腹筋、背筋のトレーニングも再開した。 発声練習も再開した。 声帯も筋肉なので、鍛えなければいい声が出ない、というとあるVoice Trainer のブログをみて、もっと努力してみようと思ったのだ。 今は、9月10日の夜である。 明日も、忙しい日なので、もう早くねる。 寝る前に、簡単に一つだけUpしておこう。 今日、いとこの訃報が届いた。 歳があまり違わない従妹だった。 中学のとき、吉祥寺につれていってもらって、たばこを教わった、母方のいとこである。 最後に会ったのは、1年9ヶ月前の母の葬式である。 彼女は、大腸がんであった。 子供もまだ小さいそうだ。  明日は、9・11のテロ6周年である。 アメリカの節操の無い外交政策の結果といえば、そうだと私は思う。 しかし、5000人以上の命が失われた。 未だに覚えているのは、New York Timesの写真。 ネクタイをした証券マン風情の男性が、ビルを背景にして、まっさかさまに落ちていく写真。 ネクタイがなびいていた。  14年前、毎朝のように、ワールド・トレードセンターに通っていた私であった。私は、旦那と出会わずに、あのままNew Yorkにいたら、多分死んでいただろう。 以下は、YouTube.comからのビデオ。 昨年の9・11のメモリアルセレモニーでSelahが歌った。 この二つの曲を今、マスターしようとしている。  何故なら、歌もピアノも見事だから。 しかし、それ以上に、詩が素晴らしいのである。 私は、もう寝るけど、明日あたり、歌詞を日本語に訳してみます。 ビデオは8分あります。 周りに差し支えのない状態を確認してからクリックしてね。 だって、仕事中にコンピューターにむかってないちゃったらねー。 You Raise Me Up Words and Music by: Brendon Joseph Graham, Rolf U. Loevland Whe

No. 80 Luciano Pavarotti

超有名な、テノール・オペラ歌手のLuciano Pavarotti (ルチアーノ・パバロッティ)が一昨日、亡くなった。 享年、71歳。 若い死だと思う。 実は、私はパバロッティのコンサートに1.5回行っている。 両方とも、タダ。 ロハ。 New Yorkで、極貧学生だったときのこと。 もう、10年以上前のことである。 住んでいるところは84thのWestsideであった。 そこから、自転車で20ブロックほど南下すると、Lincolon Center (リンカンセンター)があった。 そのなかの、Arvery Fisher Hallには、自転車に乗って、音楽を聴きに行った。  とくに、冬はオペラシーズン。 拾ったぼろぼろの毛皮(というか、もう熊か雑巾をしょっているに近い格好だった)を着て、ヘルメットをかぶり、サイクリングで凍りつくマンハッタンの夜道を下った。 New Yorkの冬の風はほっぺたが切れるようであった。 吐く息も凍りそうであった。 地下鉄のトークンが1ドルくらいだったので、その1ドルも、もったいなく、自転車で移動していた。 (ちなみに、現在はトークンはない。)  お金がなかったから、ひもじかった。 消え行く貯金のなかから、$25のチケットの為に、お金を引き出すには、清水の舞台から飛び降りる決心であった。 それでも、オペラ、クラシックは聴きたかった。一番安い、一番後ろの席のチケットを勇気だして、昼間買いに行った。 その夜は、わくわくしながら、Arvery Fishher Hallに自転車を走らせた。 なので、寒かったが、心は暖かった。  着飾るようなものはもっていなかったので、セーターにジーンズ。  周りは、イブニングドレスと黒い背広にネクタイをした人たちが、オペラが始まる前に、ワインと食事を楽しんでいた。 私は、使い古しのプラスチックのボトルに水を入れて持っていった。 ”Moon Struck"(邦題:「月の輝く晩に」だったかな?不確か)という映画を見たことのある人、いるかな? シェールとニコラス・ケージが主演で、後家さんと婚約者の弟さんとのロマンスとそれを取り巻くイタリア系アメリカ人の家族の映画。 私の大好きな人間臭いイタリア的な匂いがあったし、笑えた。 そして、じーんとくる良い映画である。 後家さん演じるシェールを、最後のデートをオペラで、と頼

No. 79  子供の信仰  その2

3連休のアメリカ。 なのに、連休中日の明日、私は一日中、家にいない。 ということで、旦那が子供達を連れて、ボートに乗せてくれる、という。 このボートは、鴨の狩猟用で、昨年買ったものだ。  私は知らなかったのだが、暗い時間にボートを出すときは、照明のついた棒をボートにつけなければいけないらしい。 つけないで、見つかるとなんと$500の罰金だと。 なので、旦那は、このくそ暑い中、ボートに穴をあけて、照明灯のついた棒を設置していた。 これまた、今日の夕飯時のこと。  旦那:「今日は、ボートに照明燈のついた棒をつけたから、もう大丈夫だ。」 娘:「なんで、照明燈をボートにつけなければいけないの?」 旦那:「だって、法律だからさ。」 娘:「どの法律?  『モーゼの十戒』   ?」 ここで、私と息子はこけた。 息子は、食卓のベンチにのけぞった。 旦那は、凍っていた。 かちかちになって、無口になった旦那を娘は、じぃ~~っとみて、一言。 「You have beautiful eyes.... (あらー、美しいまなざし・・・)」 娘は(息子も)7歳である。 ******************** 食事が終わり、お皿をあらっていると、娘が私のところに来て言う。 娘:「マミー、『モーゼの十戒』の10個、すべて知っている?」 私:(うぐっ)「えーっと、 像を作って拝んではいけない 。 でしょ、 結婚したら、他の人を好きになってはいけない。 でしょ。  人に対して、嘘の証言をしてはいけない。  たとえばさー、おとなりのエミリーが悪いことして、あんたに、『私がしたって言わないで。』と頼んでも、エミリーのお母さんいは、正直にいわんといかんのよ。  あとは、 安息日を守れ、 だわ。」 娘:「これってなぁに?」 私:「日曜日は教会にいって礼拝しなってこと。 あなたは、今まであまりいかなかったよねー。」 娘:「わかった。 これからちゃんといく。 今まで、教会は、とっても退屈だったけど、最近、たのしいから。」 私:「オーケー! あとは、っと・・・・・・、うーん。 思い出せないなぁ。」 そう。 十個しかない、神様が決めた法律。 なのに、この私は覚えていない。  あー、だめなイエス営業部員だわ。  娘が、聖書はどこにあるの? だと。 絵付の子供用の聖書が居間においてある。 娘は、それを持ってきて、食卓に座