No. 216 親しい人ほど、サタン

 サタンの攻撃、と書くと、多くの人がひく。

だって、サタンって、矢じりが先についている長いしっぽもっていて、長い槍(やり)をもって、「けけけ。。。」と言いそうなイメージがある。

あまりにも、西洋的で、日本人にはなじみがない。


また、悪魔、と言っても、どうもぴんと来ない。

それほど、身近ではない存在だからだ。

それに、ご自分とは、遠い存在であり、関係ねぇ、と思っている人がほとんど。

しかし、魔が差す、という言葉だったら、わかるだろう。


ここでいう「差す」とは、「刺す」ではなく、「はいりこむ」 という意味。



聖書に、イエス兄さんが、一番近しい、ペテロに対して、

「下がれ。サタン。あなたは私の邪魔をするものだ。あなたは、神のことを思わないで、人のことを思っている。」 (マタイ 16:23)

と叱咤した場面がある。

どういう状況か、というと、イエス兄さんは自分が十字架につけられて、殺されることを知っていたので、そのことを弟子たちに伝え始めていた。

そこで、ペテロが、イエス兄さんを引き寄せて、(多分肩を抱えたのだろう)「師匠!そんなこと、ありゃーせんですよ。神さんが守ってくれますから!」と言った。

それなのにさ、「下がれ!サタン!」と反対に怒鳴られちゃぁ、ペテロ、ビビっただろうなぁ。 聖書には残念ながら、その時のペテロの反応が書かれていない。

Online Movieの「The Chosen」にどう描かれるかが楽しみ!



さて、私らも、ペテロと同じようなことをしますよね。

「わたし、最近太っちゃったのよー。」

「アラー、そんなことないわよ!」

 心の中:あー、確かに。でも、失礼だから、大丈夫っていっておこうっと。


末期がん患者:「あたしは、もう長くはないから、XXXをお願い。」

見舞客:「そんなことないって。治るって。」

 心の中:こんなにやせ細って、肩甲骨出ちゃってるし。

 でも、”死”という言葉は出せないいっちゃいけない。


と多くが、やさしい気持ち、励まし、同調から来ている。


しかしだよ、あたしは実際にこういったイエス兄さんが言ったような、サタン、コノヤロー下がりやがれ、という経験がある。


15年前のこと。


母の死に際して、まあ、がたがたしたわけですよ。

母は肉親からすごい仕打ちを受けた。 

私はそれを目の当たりにした。なので、母を救おうとした。

その時、イエス兄さん、神さんに引き上げてもらった。

母の死後だったか、生前だったか、なんと思い出せない!

が、その時、その肉親のことを許そうと一週間断食して、祈り続けた。

しかし、祈り続けていて、その問題の原因の一部は、その肉親ではなく、私にも一分の責任があることが意識上に現れてきた。

結果、奥底にかくしていた自分の汚いものを、ほじくり返し、すべて神さんに報告して、神さんに謝った。

その肉親を許すことより、まず、自分の”罪”と”欲”にも原因があったのだ。

神さんは、森の小道を歩いている時、木々の間を上る朝日の中から私にこう言った。

「大きな愛で包んでしまいなさい。」と。

その肉親を許し、さらに愛せよ、と言われたのである。

言葉が心に聞こえたのである。


ずっと葛藤してきた理由は、自分の汚さを隠してきたからであった。

でも、自分のいやらしさを認めた後は、ゲロはいた後のすっきり感があって、世の中バラ色に見えた。


当然、その時以来、その肉親を許すもへったくれもなくなっていた。

だって、まず、自分が許されなければいけないので。




さて、そうやって、すっきり!の自分であったが、日本に帰った時、母の周りにいた親しい人たちと食事をした。そのときに、その肉親の話がでた。

「あの人は、ひどいことをしたね。いずれ自分の子供たちから同じことをされるのだろうね。」と。

もう一人の人も、うんうん、とうなづいて、同調の言葉を発していた。


母のそばにいて、母が受けた仕打ちの一部始終をご覧になっていた方たちだったので、かわいそうに思って娘の私に本音をいってくれたのだ。 

その方たちは、私をよく助けてくれて、温かく迎えてくれている人たちである。

今でもそうである。日本に行けばいつもお世話になっている。


しかし、その時、私は心のなかで、「下がれ!サタン!」と叫んでいた。

「この人たちの口をつかうんじゃねぇ!!」と。


サタンというのは、一番親しい人の口を使って、「ほらほら、また、その人を恨んでみな。怒ってみなぁー。」と扇動してくる。

その時、あたしが、神さんの力によって、その肉親を赦し切れていなかったら、「そうですね。きっと、同じ道をとおるでしょうね。」と返答し、自己満足していただろう。

自分の汚いところを、認めて、神さんに赦しを求めなかったら、その肉親に対する恨み、怒りがこみあげてきたであろう。


これは、サタンというのが、「ほれ、ほれ、もっと人を恨め、憎め。」と三三七拍子を、ちゃっちゃっちゃーちゃっちゃちゃー♪と応援団やっている時。


それを防ぐのは、自分の汚いところを認める、という「悔い改め」しかない。

これさえあれば、鬼に金棒だぜぇ!


****


数年前、その肉親が経済的危機に陥った。

私は情報提供をしたが、お金は出さなかった。

その一連を相談した目上の方がいた。


最近、経済危機が収束したことをその目上の方にお礼として報告した。

その方は、その肉親が私と和解することが大切と進言してくれた。

いいえ、私の方から、その肉親にへりくだって和解する方が、もっと大切だと思った。


こんなところにも、サタンが忍び込んだと直感した瞬間であった。




15年以上前に、「人を憎んではいけない!」と、雨の中の運転中に私に大きな声で語った神さんは、私をここまで、連れてきてくれた。

それは、私が一人でしたことではない。

むしろ、上からずっと見てきてくれて、そういった(ある意味で)苦難の道を転びそうになりながらも、支えてきてくれた神さん、イエス兄さんのお陰でしかない。


だったら、この恵みを、その肉親に伝えていくことが、たぶんであるが、次の私の使命かもしれない。


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