No. 213 残した杭(くい)はめぐみだった
横浜のある町には、あたしの育った家はもうない。
そんな、寂しさもあるが、最近、Facebookのその町のページがあり、参加した。
昔、ここに、こんなのがあったよね、とか、あそこで、ざりがにとった、とか投稿すると、結構反応がある。
あの店、まだあるんだ、とか、あのバス停、だれも降りるのを見たことがない、など、かなりジモティーな話題で盛り上がる。
昨年は、むかーしからあったアーケードのある商店街が取り壊しになったとか。
あーあ、あそこの魚屋さんで、ウナギをさばくのを見るのが、結構好きだったのに。
なぜか、高校も同じ町にあった。
担任が住むアパートがが高校の裏門と家の中間にあったので、先生より、先に歩いていればセーフ。あとになると遅刻だった。
一応、進学校だった。
こんなあたしでも、中学の時は勉強をまじめにしていたらしいので、この高校に入れた。
同級生は、東大はいないにせよ、早慶上智国立に行く人が多かった。そして、医者も結構いる。
しかしだよ、あたしは、高校2年の時、同級生に好きな子ができて、勉強手につかなくなって、成績急降下。
3年になって、持ち直したけど、その時別の彼氏が夏にできて、そのあとすぐ別れてしまったので、落ち込んで、また勉強できず。
ということで、4年制の有名大学には、軒並み落ちて、とある短大に引っかかった。
勉強していなかったから、当然だけど。それに、すごく格好悪い。
でも、人間って、過去の栄光にしがみつきたくなる。
私もその一人。
女ばかりの短大で、揺れればキャーと黄色い声が上がるスクールバスに揺られて、山の上のあるキャンパスに通うこと2年。
運よく、有名一流企業に就職して、当時としては、悪くない仕事に就いた。上司にも恵まれて、好き勝手やらしてもらって、楽しい日々を過ごしていた。
でも、時が流れ、周りに4年制卒の女性が入社してきて、役職も先に係長、というのをもらっているのをみると、忽然と「こんなはずじゃなかった。」という気持ちがもたげてきた。
秋だったと思う。枯葉が落ちる前の時期、高校のキャンパスを通って、家に帰った。
校庭にはだれもいなかったようだ。
木の下を通り、テニスコートの方に向かうとき、こう思った。
「こんなはずじゃなかった。あたしは、この高校を出たんだから、もっと上にいっているべきなのに。」
今でも、その校庭の彼始めた芝を踏む私の足と、横にある木はイメージとして、強く刻み込まれている。
これを私なりには、「杭を残す」と言った。 「悔い」ではなく。
就職して順調だったが、留学を決心した。
どうしても「杭」を抜きにいかねばならない、という心の底から突き動かすものがあったからだ。
それには、恩人であった人が背中をおしてくれたことは、忘れられない。
果たして、早朝会社に出勤して、とっとと仕事を済ませて、定時に帰宅。
夕飯の後は、毎日4時間みっちり勉強し、また翌日早朝おきて、出社という日々を経て、TOEFLも合格レベルに達し、願書提出の結果、ニューヨークの大学に行くことになった。
「悔い」に対面しているときは、苦しいものである。
でも、疲れたり、年だから、といって、その悔いに屈することは多々あるだろう。
人間は「悔い」を別のものに転嫁して、昇華させることをする人間である。
例えば、あの時、安きに流れて、だれかとお見合い結婚しちゃったり、子供作ったりしていたら、子供に集中して、エネルギーをそちらに転嫁しちゃうってこともありだった。
しかし、私は「杭をぬくこと」選んだ、というより、もっと大きな力によってはこばれたと思う。
それが、神さんだったと確信している。
好きな男の子ができたのも、神さんの計画、そして、受験失敗も神さんの計画。
苦いものを置いて、そこから逃れるような道筋を作ってくれたのも、神さんだと思う。
「悔い」を置いたのも神さん。
だから、人生順調にいかなくても、それは何か理由がある、ってことだと思うのよ。
***
5年ほど前に、高校の同窓会があった。
久しぶりに当時好きだった彼氏にあった。
がーん! あたまつるっぱげ!!!
あの恋はなんだったのぉーー!
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