No. 84 普通であることの有難さ
本当なら、勉強せにゃならん、この日曜日。 水曜日が試験だよー。 でも、5分だけ時間をもらって、書こう。 労働市場に戻るための一環として、公立学校の代理教員になった。 一応、アメリカの大学を出ているんで、こんなとき、首がつながるのである。 無駄ではなかったんだ、あの苦労。 さて、先週、代理教員として行ったところは、子供の通う小学校の特別教室。 子供の送り迎えが楽という理由と、こういった特別教室へは、なかなか代理教員が行きたがらないので、ならばその欠員を手伝ったほうがいい、ということで。 仕事の内容に、子供を持ち上げたり、おしめを代えるのも仕事に含まれる、と書いてあるから、ますます来る人はいないだろうな、と思った。 中学の数学の代理の仕事も同じ日に掲示されていたのだが、特別教室を選んだ。 朝一番の7時45分に教室に入った。 すでに生徒達は教室にいた。 立ち上がれず、マットの上に転がるだけの子供。 目が見えない子。 咀嚼ができず、チューブでおなかから栄養を取る子。 叫び通しの子。 つばも飲み込めない子供。 飲み込んだら最後、気管にはいってしまい、大騒ぎになる子。 7-8人いた。 でも、何故か、怖くなかった。 母の最期が精神病院だったし、そこで、一週間寝泊りして、精神障害の人たちと一緒に生活したからか? この子達は、もしかしたら、母だったかもしれない。 将来の自分かもしれない、と思って接した。 重度の障害を持つ子供達でも、笑顔が美しく、とても美しいものに触れた気がした。 話は突然変わるが、私の母方の叔父は素晴らしい人だった。 東京都千代田区の厚生部長を務めたかたで、人望が厚い人だった。 厚生部なので、福祉や心身障害者の施設の仕事も手がけた。 自慢じゃぁないが、シルバー人材派遣のさきがけを担った人でもあった。 その叔父が生前、私に言った言葉があった。 「いいか、○○ちゃん。 こういう人たちがいてくれるからこそ、お前達が普通の状態でいられるんだぞ!」 今、そいういった人たちと実際に触れてみて、本当にそうだなぁ、と思う。 13歳になろうとする体の大きい子を持ち上げて車椅子に乗せたり、大きなオムツを交換した。 目も見えず、自分で食事が出来ない子にごはんを食べさせてあげた。 よだれをたらしっぱなしの子の口を何度もタオルでぬぐった。 べとべとの手で、私に触ってくれたけど、何故か、きた