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No. 151 快復される主、神さん

Taxのお仕事が4月15日で終わったはいいが、そのすぐ後の土曜日に大学院のOpen Houseがあるってんで、子供を日本人学校に下ろしたあと、直行してきた。 今流行のOnlineの授業が受けられる大学であるが、いわば商業主義。 CPAに必要な授業だけを取りたいのに、MBAのコースを取るもんだと決めてかかるんで、コミットせずに帰ってきた。 日曜日は、ぐだ~と寝て、月曜日はTaxと平行してやってきたお仕事に出かけた。 なにせ、お給料上げてくれたし、やることが山ほどある。 ということで、休養もとらずに、せっせと仕事をした。 そうしたら、水曜日の夜あたりからくらくらしはじめたのである。 翌日の木曜日は歯医者。 奥歯だったので、結構大変である。 そのあと、教会にて聖書研究会、いわばバイブルスタディー。 金曜日仕事にいったけど、効率あがらず、土曜日は久々に日本人学校のママさん友達とお茶。 疲れている顔している、と言われて、さもありなん。 少し頭痛がしたし、くらくらしていた。 鉄不足か? 更年期障害か? ストレスか? と、とあるソーシャルネットワークに書いたら、皆よってたかって「更年期障害」と勝手に決め付けるありさまであった。 おいおい。 もし、更年期障害であれば、ホットフラッシュ(首のあたりからかーっと熱くなる感覚)、動悸などの症状があるはずなのであるが、ことに心拍数に関しては、ゆっくりすぎる”Bradicardia”っていうのです、私。 心拍数60いかないのである。 血圧も、100前後が上で、下は67くらい。 以前、日本にいたとき、ストレスからものすごいめまいを起こしたことがある。 脳腫瘍か!と病院にいったが、「ストレス」ですね、で終わった。 駅から自分のマンショ ンまでたったの5分であったが、その5分の道のりが30分以上に感じられた。 その軽いバージョンであった。  日曜日の礼拝にいつもの通りにいったのであるが、その日は、このくらくらするのを神さんに治してもらおうと思っていた。 あとの祈りの時間に、このことをパタリロ先生にも御願いして祈ってもらおうと思った。 祈りの時間のときか、礼拝中であろうか、神さんは、「私はいつもそばにいる。」と言ってくれた。 そして、私はあることに気づかされたのである。 仕事仕事って、ずっと忙しくて、祈る時間がまったくなかった。

No. 150  Full timeになるんでしょ?

実は、Taxの仕事のPeakに差し掛かるときの2月上旬から、もうひとつのパートの仕事を始めた。 会計と人事、その他もろもろの仕事。 小さなTechnologyの会社。 ともかく、何でもやる、って感じでやんす。 Employeeではなく、Independent Contractorという日本でいえば、契約社員みたいの。 社会保険費用は自腹をきる、というもの。 ともかく、Taxとの両立で忙しかった。 でも、Technologyの会社だから、家でもE-mailで連絡したり、Invoiceのチェックをすることができる。 子供がいる母親にとっては、時間がフレキシブルな仕事は、大変ありがたい。 それに、時給もTaxより良い。 この業界は初めてで、慣れるのに一苦労。 それに、On the job trainingなんてもの一切なし。 自分で判断せにゃならん。  そんなんで、2ヶ月たった。 社長の相方から、私のEvaluationをしろ、と社長に連絡が数回いくことこの2週間。 うーん。 仕事がのろいし、理解するのに時間がかかるから、首になるのかな、と思っていた。 この仕事、実は、ずっと前に祈ったか心の中で欲した仕事であった。 パートで、家でもできて、フレキシブルで、DallasのDown Townより、うちに近いところ。 ここら辺でないかな、と思っていたんですよね。 そしたら、与えられてしまった。 だから、首になっても、たぶん神さん次見つけてくれるだろう、と首もあまり くびくび・・じゃない、びくびくしなかった。 そんでもって、やっと先週の金曜日に社長と話をした。 そしたら、唐突に、「Full Timeなんでしょ?」とくる。 私、「はあぁ????」 まあ、よくわからんが、Full timeできて欲しいということみたい。 でも、Taxの仕事のこと、CPAをとろうとしていること、子供がいるから2時半にはでなければいけないから、まだPartで、とこの不況時にありえない回答をしたんである。 夏は子供がいるから、家で仕事したいといったらOK。 そして、時給上げてくれた。 私のほうは、朝8時半から2時半をコミットした。 それまでは、9時半にいったり、といい加減だったので。 この会社のソフトウエアのエンジニアたちは、時給は軽く

No. 149 気持ちを起こさせるのは誰か?

わたしの愛する者たちよ。そういうわけだから、あなたがたがいつも従順であったように、わたしが一緒にいる時だけでなく、いない今は、いっそう従順でいて、恐れおののいて自分の救の達成に努めなさい。 あなたがたのうちに働きかけて、その願いを起させ、かつ実現に至らせるのは神であって、それは神のよしとされるところだからである。 Therefore, my beloved, as you have always obeyed, not as in my presence only, but now much more in my absence, work out your own salvation with fear and trembling; for it is God who works in you both to will and to do for His good pleasure. ピリピ人への手紙 2章 12-13節       よく引用される聖書の箇所かもしれない。   でも、日本語と英語の書き方で意味が違っていると私は思う。   日本語では、      あなたのうちに働きかけて、"その”願いを・・・   とあるが、英語では、       for it is God who works in you both to will and to do for His good pleasure. とある。 日本語の”その”願いは、「イエスを信じて地獄行きだったはずのところを救われる」ことを指すだろう。 でも、英語のほうは、単に"to will ... to do" であって、日本語に換えれば、     あなたがたのうちに働きかけて、願いを起させ、行動に至らせるのは神であって、それは神のよしとされるところだからである。 と、前の文との直接の関連、つまり「願い」=「救い」に固執せず、「願い」=「神があなたの心に起こさせるもの」となる。 果たしてどちらなんだろうなぁ。 新約聖書はマタイの福音書は、へブル語で、あとはギリシャ語で書かれている。 どちらの言語も私は知らないから、なんともはや。 あとで、枕元にあるKing George Versionで見てみよう。 閑話休題

No. 148 ゴシップの後味

今日でTaxの仕事がおわった!!!!! なので、リラックスして、ワイン片手に書いています。 今日は早めにBedに入って、思い切り読書したいので手短に。 ********** 不況のアメリカ。 当然、わがTax Officeの業績も悪い。 なので、ManagementはMarketingをせよなど、うるさかった。  やるだけのことはやったんで、Managementも文句は言えない。 ManagerもあまりOfficeに来なかった。 なので、負担は私たちTax Preparerに重くのしかかった今シーズンであった。 そんなOfficeの状況だから、モラルも下がっている。 朝のメンバーは朝の作業の間に、必ず、Managerの批判で大騒ぎになる。 弱い私は、多少迎合してしまった。 上司というのは、神さんが選んだ権威である。 それに批判をするのは、神さんへの批判と同じ。 本人がいないところで、本人の悪口をいうのは、Gossipである。 私は弱い人間である。 そして、迎合したあとの後味はものすごく悪い。 なんど繰り返したことだろう。 神さん、すみませんでした。

No. 147 神無月

神無月は、十月のことだけど、私にとっては、一月下旬から四月中旬である。 Taxの仕事でめちゃ忙しい。 先週までは、昼間で仕事が終わらず、夜、時には、子供たちを家に置いて、仕事に行った。 安息日の日曜日の今日も、午前中仕事にいった。 一週間のうち、7日働いている。 でも、給料良くない。 とほほ。 以前にも、神無月、というタイトルでBlogを書いたと思う。 神さんと会話をする、つまり、祈ることがおろそかになると、どうも、弱くなる。 肉体的にも、精神的にも。 アメリカはいまだに不況だし、TaxのSoftwareも世に出回っているため、顧客数は減っている。 なので、会社として、8%ダウンの業績。 さらに、前年より、新しいOffice Managerが来た。 コミッション制でお金を頂く私らTax Proと違って、固定給のManagerは、私らが大変なとき、サポートするべきだし、以前のManagerはそうしてきてくれた。 しかし、新しいManagerはそうではない。 むしろ、私たちの負担が増えるばかり。 なので、Officeのモラルは低下している。  さらに、優秀な先輩たちが文句をいいだすと、弱い私は迎合してしまっていた。 昨年は、この仕事は神さんにささげる、という気持ちで乗り越えてきた。 今年は、もうひとつ仕事が来たので、多少、緩みもでてきたのか、Managementがいろいろ言ってくること、ことごとく無視する形で、ともかく、出来ることしかやってこなかった。 というか、自由時間がまったくないのだから、余計なことも出来ない。 自由時間がないから、祈る時間も少なくなるってことなのである。 だから、神無月。 Tax Seasonもあと4日になった今日の日曜日。 安息日のくせして、朝、ユーゴスラビアからの移民の人のTaxを仕上げた。 家族のこといろいろ聞かされて、同情してしまったあほな私は、日曜日なのだが、Taxを終わらせるため、彼らのために出て行った。 神さん、イエス兄さんは、安息日に人を癒したので、パリサイ人から非難されたけど、イエス兄さんは、あえて人を癒した。 だから、私もこのお客さんが困っているから、日曜日だけど、助けてあげたいんです、と言い訳して。  私とイエス兄さんとでは、大違いなのに、引用したあほな私である。 そのあと、教会

No. 146  神業

春! である。 3週間前は、雪が降っていた、っちゅーのに、もう新芽が出ている。 昨日、何もなかった枝から、ものすごい勢いで、新芽が吹いている。 いつもながら、ひえ~神業だぁ~、と感銘する。 でも、これは神さんの約束なんだなぁ。 神さんは、約束を守る方である。 植物に対してすら、このように、春になれば、ちゃんと、新芽をだしてくれるのである。 神さんはだから私たちにも忠実なんだな、って自然を見て思うこのごろ。 本当に、大きな愛だなぁとおもうのである。 Taxの仕事は来週で終わる。 もう一息だなぁ・・・。 ふぅ~。

No. 145  イースターよりPassover(過ぎ越しの祭り)

まったく自由時間がないこの頃。 この町あたりで、自由な時間で仕事ができる仕事がほしい、と思っていたことがある。 そういった仕事が2月の上旬に与えられた。 Taxの仕事と両立しているんだが、Taxの仕事では、今は、難しい複雑なTaxをこなす時期に入り、且つ、Walk Inといって、予約無しで入ってくるお客さんの対応もあるんで、仕事のスケジュールが無い日や夜でも、Taxを処理しにオフィスに向かう。 新しく頂いた仕事は、夜、家でもできてしまう。  ということで、めちゃくちゃ忙しい。 んで、2週間ほど前は、レストランで気を失って、救急車で運ばれた。 たまに、やるのよね、私。 日本でも、ビールを飲んだ後、電車の中でぶったおれたこともある。 血圧が低いし、心拍数60いかないこともあるんで。 ということで、ご無沙汰である。 ******* この週末はイースターであった。 いわゆる復活祭。 こちらでは、子供たちがエッグハンティングにくる。 クリスマスより、人が集まる場合もある。 しかし、私、このイースターの祭りって、どうでも良いや、と思う。 わいわい騒ぐ必要もねぇって。 たまごで遊ぶのも、聖書には書いていないし、まあ、クリスマス化してしまっている、ってやつねぇ。 確かに、イエス兄さんが生き返った、ということを記念する日ではあるけど、そんなん、神格のあるイエス兄さんにはあたりまえのことであるので、別に、と思う。 それより、私は過ぎ越しの日、Passoverのほうが個人的には重要だと思う。 Passoverはイースターの3日前。 そのPassoverの日にイエス兄さんは十字架にかかって一度死んだ。  Prince of Egypt(エジプトの王子)というアニメの映画を観られた方も多いと思うけど、旧約聖書の出エジプト記で、モーゼに率いられたイスラエルの民がエジプトのファラオの下で奴隷として400年以上過ごしてきた。 そのイスラエルの民をエジプトから出したのが神さん。 海を真っ二つに分けて、その中を100万人ほどのイスラエルの民を渡らせた。  おいそれと奴隷を解放しなかったパラオにイスラエルの民はエジプトを去って良い、と言わせたのも神さん。 いろいろな災難をエジプトにもたらして、最後は、エジプトすべての長男すべてを殺した。 

No. 144  謙虚であることの強さ

今日の土曜日は仕事であった。 安息日である明日の日曜日は・・・実は仕事になった。 理由は、同僚が一人突然やめてしまい、その穴を埋めるため。 そして、辞めることになったきっかけが私のコーヒーカップであったかもしれないので。 聖書には、"Humble"=「謙虚」になれ、ということが書かれている。  謙虚になるには、自分がどーしよーもない「罪びと」であることを認識することに基づく。 「罪びと」というのは、むかーしのブログに書いたように、人妻と不倫した、とか、お縄頂戴になった、ということではない。 単に、神さんから離れてしまっている、ということだ。 神さんがこんなに愛してくれるのに、無視して生きている。 そのことである。 普段生きていて、すぐに神さんを忘れて、自分だけの判断で生きてしまうことがある。 でも、神さんは、いつも見守ってくれている。 神さん、見えないから、そうなっちゃうのかもしれない。 ともかく、私らは不完全な存在であるんだよね。 神さんの慈悲によって生かされている。  そういう意識というか、布石を心の中においておかないと、人間って、自分のエゴイズムで動いてしまいがちである。 そして、自分が第一になってしまう。 でも、私らは、神さんの優しさによって、こうやって滅ぼされずに生きている。 偶然だ、ラッキーだ、と思うことも、実は神さんの計画であるのだよ。 だから、良いことすべて、自分の実力、って思っちゃうこと、これ、エゴなんだよね。 でも、神さんの見えない手が動いていたということに気がつかされることがある。 そういったとき、神さんにははーってひれ伏して、涙流して感謝して、自分の存在がいかに微小であるかに気がつかされる。  そういう経験があると、どうしても、謙虚にならざる終えない。 自分はすごいぜ、なんて口が裂けても言えない。 ****** 私の仕事はTaxだけど、コミッション制でお給料をいただく。 だから、数をこなせば、成績が上がる。 うちのOfficeに、3人ほどTop Performerがいる。 たった3ヶ月半の間に300人以上の顧客のTaxを処理してしまう人たちが。 その中の一人の人はほぼ10年間この仕事をしてきて、数をこなして、OfficeでTopであった。 Officeの席には、

No. 143 破壊のあとには

ハイチの首都、ボート オブ プリンスの近くでマグニチュード7以上の地震が起きてから一週間経った。  十万人以上が亡くなり、死体はトラックに積まれて、掘った穴に放り込まれて埋められるというありさま。 ハイチは日本やテキサスが冬でも、30度を越える熱い日々である。 死体はすぐに腐乱する。  呆然とした4-5日のあとは、奪略、暴力などが起こり始めている。  地震が起こる前から、ハイチは西半球で一番貧しい国と言われている。 農業中心の国で、80%の人が失業中。 汚職もはびこり、安全な飲み水はない。 ほんの一部の金持ちは、飛行機でマイアミに買い物にくんだけど、多くの人は、一日2ドルの稼ぎしかない。 インフラストラクチャーもまったく遅れている。 旦那が一度だけハイチに出張にいったことがある。 空港でミッショナリーの人が近寄ってきて、旦那がもっていたボトルの水をくれないか、と頼みに来た。 ハイチではそういった水がないのである。 この地震によって、首都のポートオフプリンスが倒壊した。 なので、立て直すしかない。 ハイチにはお金がないから、外国の援助に頼りきるしかない。 そういった状況は、在米ハイチ大使は言葉では認識しようとしていなかったが、事実は悲惨である。 近年地震や自然災害が起こったところは、押しなべてまずしい地域である。 2008年オリンピックの前で、中国の人権問題批判が高まる中で地震が起こり、中国側としては、問題をそらすことができたが、学校が丸ごと倒壊して、学童たちが犠牲になるなど、大きな被害があった。 2004年のクリスマス直後にはインド洋での津波。 多くの命が失われた。 最近では、ミヤンマーでのサイクロン。  どうして貧しい人たちがいるところに災害がくるのか?と神さんに問うたことがある。  そして、ちょっと熟考してみれば、災害が起きたところは、神さんに従っていないところが多いみたい。 こういうと、だからキリスト教やっているやつは!と反応する人も多いでしょう。 特に、ハイチでは、Voodoo教(ブードゥー教)がある。 これがやっかいにも、カトリックとからんじゃっている。 鳥を生贄にして、のろいをかけるようなものらしい。 住んでいたNew YorkにあるセントラルパークでもVoodooの儀式をするところがあるらしい、と地元新聞が書いていた

No. 142 親孝行と自分の犠牲

謹賀新年! いつものように、クリスマスはじじばばのいるSanta Feに滞在して、スキーと料理つくりをした。 もう、10年以上続いているパターンなので、詳しく書くこともないか。 ただ、子供たちが夏から柔道を始めたのだが、それがスキーの上達に役立っているのがありありと見えた今回のスキーであった。 娘はスポーツマンの息子に比べて、多少、スキーの進歩が遅かった。 しかし、今回のスキーでは、柔道のうちこみ(投げる動作の練習”いわば、ゴルフの素振りみたいの)の練習のお陰だろうか、足腰がかなり強くなっていて、中級の斜面に連れていっても、転ばずに降りてきた。 それもすごいスピードで。 以前だったら、何度も転んだのだが。 さすが、私たちの子供たち。 急斜面をものともせず、がんがん滑っていた。 こちらも、だんだんと自分のスピードで滑れるようになってきたので、スキーも楽になってきた。 さて、今回の滞在で出てきた話。 じじばばとの同居。 じじばばは94歳。 2010年の今年に95歳になる。 ばあちゃんは200歳まで軽く生きそうなくらい、元気。 しかし、じいちゃんは、耳もあまり聞こえず、片目は20-30年前に網膜はく離で失明している。 そして、家の中を補助歩行器を使って移動しているが、外にはほとんど出ず、歩くこともしない。 去年の5月には心臓発作を起こして、救急車で運ばれた。 しかし、その後経過がよく、前より元気になったとか。  しかし、年を取ると、どうしても、寝ているときに尿を漏らしてしまう。 これは、括約筋が緩んでしまうから、多くの人もそうなる。 最近は、オムツを履いて寝るようにしている。  そのじいちゃんを面倒みているのが94歳のばあちゃん。 時に、おむつがもれて、ベッドが濡れてしまうことも多々あるそうだ。 さらに、食事もばあちゃんが毎日作っている。 作りおきして、それを数日食べることもあるが、3食きちんとじいちゃんに出している。 外食はあまりしない。 ばあちゃんは外食すきなんだけど、じいちゃんは、まず、家から出たくないから、ばあちゃんはいかれない。 なので、ばあちゃんの負担がかなり増えてきてしまったのである。 旦那の弟がこの数年は、仕事や自分へ郵便物を自分の家に取りに行く以外には、ほとんどじじばばの住むトレーラーに住んでいてくれるから、いざというときは

No. 141  それは、いつも見上げているから

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11月の前半に日本に行っていた。 同窓会と野暮用があったため。 実家は空き家となっており、電気もガスも水道も使えず、かびがはびこっており、泊まれる状態ではない。 しかし、友人が彼女の家での宿泊を勧めてくれた。 ありがたく頂戴した。 この友人、料理がうまいし、仕事もこなすスーパーウーマンである。 お子さんも成長し、堅実な家庭を築いている。  到着時の夕飯に御寿司。 そして、友人は仕事を休んでくれて、買い物などの野暮用に付き合ってくれた。 今までは、電車でそういった用を足していたのだが、車でさっさっさーとあっちこっち連れて行ってくれて、時差ボケがある私としては、本当に体が楽であった。  彼女宅への宿泊が一泊短くなり、なんと、その分のホテル代まで出してくれてしまった。 おいしいおそばまでも、おごってくれて、その上、お茶まであとで送ってくれたのである。 本当に、世話になりっぱなしで、頭が下がる思いである。 ホテルに移り、多少の野暮用を昼に終え、夜は、中高からの後輩とホテルで会い、飲みながらいろいろと話した。 翌日は、鎌倉でInternetで知り合った人と会い、天園ハイキングコースを少し登ることになり、由比ガ浜、大島を小さい峠から見たのである。 北鎌倉へ、亀が谷切通しを通り、大船から湘南電車(=東海道線)に乗り、湯河原へ。 紹介されて予約をしておいた、たった5部屋しかないこじんまりとした温泉宿に二泊した。 子供は旦那に任せて出てきたので、ゆっくりと出来た。 二日目の朝、バスにのって大観山に行き、富士山の絶景を堪能してきた。 翌日からまた曇りで、富士山が見えたのはこの日だけ。 箱根までいって、杉並木の旧道を少しあるいて、もどってきて、部屋でうだうだしていたら、出来立てのお饅頭とお茶をもってきてくれた。 このお宿、高いけど、食事が絶品。 若い女将さんはじめ、家族経営であるが、心づくしのサービスに感動。 後で気がついたら、2日目のお昼のそばのチャージと、頼んだお酒、一合飲みきれなかったら、チャージが無かった。 翌日の少量のお酒もチャージされていなかった・・・。 湯河原を後にして、真鶴に立ち寄って、横浜へ戻り、同窓会へ。 30年ぶりにあう人、久々の友達・・・。 懐かしく、食べることを忘れて、話してばかりであった。 合計4次会ま

No. 140 日本訪問直前

あと、12時間で空港に向かう。  今日は、10月30日。 夜である。 家族を残して、単身の日本帰国・訪問である。 しかし、母親と妻として、お留守番をするものたちへの指示、支払い、手はず、とかなり忙しい。 その上、仕事のTaxの試験があった。 10月半ば、熱のでないへんな風邪で、2週間ダウンしていたので、勉強できず。  神さんに、「どうか、お願いします。 帰国の準備がすんなりと行きますようにしてください。風邪にかかりませんようにお守り下さい。 そして、出発前日の試験が受かりますように。」と祈ってきた。 結果として、試験は受かった。 88%だけど。 でも、これで、お給料のベースが少し上がる。 子供たちの為に、次のシーズンは、もう少し稼ぎたいところなので、この試験は受かりたかった。 もう一レベル上げたいので、12月中に試験もう一つ出来るであろうか・・・・。 あと神さんにお願いするのは、私の旅中の健康と安全。 そして、夫と子供たちの健康と安全。 もちろん、うがいに手洗いは敢行している。 しかし、こうくたくたの毎日では、体力も免疫も落ちているから、神頼みが大切。 たった10日の滞在である。 何があるのかな? 神さんはどういったところに導いてくれるのか? 暇な時間はあまりないけど、日本に少し滞在する私を使ってくれるかもしれない、という小さな楽しみもある。 それでは、行って来ます! あかしや

No. 139 揺れた時の賛美歌

あったま来るほど忙しいこの頃である。 余裕が無く、祈る時間もあまりない。 朝、おきて、神さん、有難う、と感謝する時としない時まで出てきてしまった。 これは、いかんいかん。 10月下旬から10日ほど日本に行って来る。 理由は、高校の同窓会。 30周年だ。 クラスメートが言う。 「もう人生の半分きたんだしさ。」 ありゃーほんとうだ。 どうしよう。 ************* こういった出発直前にやってくる嫌なニュースがある。 昨日、アメリカン空港ダラス発成田行きのAA61便が乱気流にあって、けが人が出たという。 私、それに乗るんですけど・・・・。 初めてアメリカに行ったのが、1983年であった。 安い飛行機ってことで、China Airlineを使った。 台湾の航空会社である。 ハワイ経由でLos Angelsに行った。 アメリカから戻ってくる時に、気流の悪いところを通った。 みんな緊張しているようだったけど、お隣のフィリッピンの叔母ちゃん二人は、何か歌っていた。 何歌っているんだろうなあ、と思ったけど、良くわからなかった。 タイタニックだったか、客船が沈没するとき、小オーケストラが音楽を奏でたという話は、多くの人が知っていると思う。 埼玉の教会を訪ね礼拝まえの賛美をしていたときであった。 ぐらっときた!  そばにいたフィンランド人?ノルウェー人?の牧師先生と私は、やばい!といったかどうかは別にして、ドアを開けにいった。 祖母と母からは、地震の度に、戸を開けろ、でないと、戸が開かなくなって閉じ込められる、と言われて育った私であった。 しかし、後ろを振り向けば、前で賛美していたフィリピン人の女性は、歌い続け、地震がまた襲ってくると、手を挙げて祈り、賛美していた。 そうして、地震は収まった。 その時、この方は、真のクリスチャンだ!と恐れ入ったのであった。 (そう、この方、私の代わりに日本での母の娘になります、と言って、私を大泣きさせてくれた方である。 詳しくはまたいつか書くね。) ちなみに、フィンランド人?ノルウェー人?の牧師先生、フィリピン人と書いたが、皆日本語で礼拝していた。 若い頃は、乱気流の時も、ぐっすり眠りこけていたものである。 しかし、こう何度も飛行機に乗るようになり、昔と比べて、いつも満員で、家畜の

No. 138 亡くなった人の為に祈る

日曜日の朝だったのだろう。 父の夢を見た。 どこからか苦しい声が聞こえてきて、それがだんだん近くなった。 吐いている苦しみの声であった。 私たちの寝室に来たのは、一回り小さくなって、白くなっている父であった。 父は、またすぐに苦しくなって、トイレのほうに行った。 そんな夢であった。 実は、一年ほど前にも、寝ているとき、父の声が聞こえてきて、「苦しいんだ。」と言っていた。 夢を見た後、暫くして起きたと思う。 そして、神さんに祈った。 神様、人間が死んだあとのことは、私にはわからない。 天国と地獄以外に他のところがあるのかも、聖書には書いていないから、私にはわからない。 だから、あなたにお願いします。 父を楽にしてあげてください。 母と同じ天国に連れて行ってください、と。 神さんは、パタリロ牧師を通じて、「おまえの愛する者は、私のそばにいる。」と言ってくれたので、母は神の御国にいる。 しかし、父は今、どこにいるのだろうか? 父の死後、父がうらめしそうな顔をして、枕元に立っていたのを見た、という親族もいる。  父はどこにいるのだろうか? ****** 私の父は、アル中で、いろいろあった。 私も結構いやな思いをして育った。 詳しくは、3年前に書いたBlog 「父の日」  を読んでもらえれば、結構具体的に書いてしまったからわかるだろう。 素直に、愛しているという対象ではなかった。 でも、今は、感謝の対象である。 教会の礼拝のあとの祈りの時間で、父のことを祈り始めたら、涙がどっと出そうになった。  父を助けてあげたい、という気持ちが沸いてきてしょうがなかった。 だから、心に誓った。 これから毎日、しつこく、神さんに頼もうと。 父を良いところに移して欲しいと。 父の苦しみを取り去ってほしいと。 私たちが死んだ先は、神さんの領域である。  「私たちクリスチャンは天国にいかれるのよ。 でも、信じない人は、地獄行きだわ。」 と、のどもとまで出掛かっているクリスチャンと呼ばれる人は多いだろう。 私は、人が死んだあとは、天国と地獄しかない、というのは、まだ、わからない。 単に聖書を全部読んでいないからかもしれない。 でも、父のためには、その中間点があってほしい、と思うことがある。  これは、単なる一個人の勝手な願いである。 日本の実家では、何回か家庭集会があった。 退職したあとの父はそれを

No. 137  癒しは私にも起こってしまった

とんでもないことが起こった。 「癒し」を体験してしまったのである。 先週の土曜日と日曜日はうちの教会の修養会、つまりリトリートであった。 宿泊施設に泊まり、ゲストスピーカーを呼び、メッセージをしてもらったり、祈りの時間を長く持ったり、そして、バーベキューもしたのである。 ゲストスピーカーは、Carrolltonという町にある Covenant Church のYouth Pastor, Joel Scrivner氏が来てくれた。 テコンドーのチャンピオンにもなった人である。  アメリカでもキリスト教では、福音派、ペンテコステ派、メソジスト、バプティスト、と色々なDenominationがある。 いわゆる派閥みたいなのであろうか? そして、ペンテコステ系の教会は、異言(意味のわからない言葉を祈りのときに発する)や、奇跡、癒しという、日常から少し離れたことを信じる傾向がある、ということで、保守的なバプティストや、福音派からは、白い目で見られている、らしい。 うちの教会は、どちらかというとペンテコステ派であろう。 しかし、そういった超自然現象というか、スピリチュアルなことばかりを中心にしているわけではなく、聖書をしっかりと読み、勉強するという福音派が喜ぶこともしっかりしている。  まあ、私に言わせれば、聖書に書いてあることを、都合の良いところばかり、自分の都合に合わせるということよりも、まるごとそのまんま信じるべきなので、癒しも超自然現象もOKと思っている。 でも、バプティストや福音派は、自分たちでそういったことを経験していないのであろうか、「そういったことは、現代では起こらない」と一掃している。 うーん。 でもねぇ、イエス兄さん、ものすごい数の人間を癒しているんだよねぇ。 死からもよみがえっちゃったし。 パウロだって、牢屋にぶち込まれたとき、地震が起こって、足かせはとれちゃうわ、牢屋は開いてしまうわ、ってことが起こったし。 死んだ人も生き返ることもあった。 そういうことが書かれているのが、聖書なんだけど。 それも、多くの箇所がある。 そういった部分を無視したら、聖書の半分くらいは、破り捨てなければいけないんじゃないだろうか。 さて、そのJoel牧師は、何でそういう意見の違いが起きるのかを簡単に説明してくれた。 それは、次回に述べる。 なるほどーと思った。 この書き込みの

No. 136  後悔しない "I love you"

洋画(死語か?)やアメリカからのドラマを見ると、よくもまあ、「I love you.」を連発している。   日本では、そんなこと言わないだろうなぁ。 そんなこといったら、虫唾(むしず)がはしる、というか照れくさいというか。それだけ、日本人にとっては、「愛している」「I love you.」という表現とは距離がある。 というか、こういう表現は、日本の文化にはないのだろう。    では、日本の愛情表現は、態度で示す、その人の為に尽くす、という行動なのだろう。言葉では、「好きだよ。」とか、「大切だよ。」なんだろう。   今日は、2009年9月11日。 New Yorkの同時テロから8年たった。 子供を学校に送ったあと、車の中でNPR (National Public Radio)をいつものように聞いていた。東海岸時間の8時40分過ぎ、テキサス時間の7時40分過ぎに、一人の男性が話している録音が流れてきた。   その人の息子は、New Yorkの消防士で、テロ事件で若くして亡くなった。 New York World Trading Centerの一つのビルに飛行機が突っ込んだのが、この朝8時40分過ぎであった。 その男性は、イタリア系の苗字であった。 New Yorkはイタリア系がとても多い。 私がNew Yorkに住んでいたころ、Little Italy はChineseに押されて、かなりの小規模になってしまっていた。 しかし、イタリア系も4世5世の世代となり、アメリカ経済・文化の一貫となっている。 民主党のSpeakerという重要なポストは、Nancy Pelosi. 苗字からして、イタリア系である。 政府の確かAttoney General(司法長官)の女性も、苗字は、Napoletano. イタリア系。   さて、話題を本題にもどしてっと。  学校から家への短い距離であるが、ラジオから流れる、そのイタリア系の苗字の男性のナレーションに聞き入った。 息子の一人が警官になり、そのあと消防士になり・・・という生い立ち。 そして、いつも仕事にでるときは、息子と父の間の会話は、「I love you.」であった。   2001年9月11日の前日。 夕方の出勤に向かう息子は、父親に「I love you.」と言って、家を出た。 翌朝、息子は父に電話し、テロ事件が起こっ

No. 135 尻拭いしてくれた神さん

夏休みが終わり、子供たちの学校が始まった。 旦那と子供の為に朝食と弁当作り。 さらに、学校のあとのスナックに、夕食の弁当つくりも週一回となった。  子供たちがある武道を始め、それが週三回。 他にもサッカーとピアノがあるので、私はとたんに忙しくなる。 以前、そんなことしている友人を見て、あれまー、と思っていたけど、今度は自分がその立場。 あれま~。 そんな忙しい日々である。 土方もだいぶめどがついてきて、あと1-2プロジェクトで終わる。 その後は、家の片付けに税制の勉強である。 なかなかここに書き込めないが、短いのを単発でやっていこうか、と思う。 ************* 昨年の秋は、税制の勉強のコースをやたら取りすぎて、自分の首を自分で絞めてしまっていた。 勉強して、コースの試験にパスすると、時間が加算されて、それによって、Certificationと言って、格付けが決まる。 格付けが上がればあがるほど、一つあたりの仕事の単価があがり、収入があがる。 しかし、今思うと、焦りすぎた。 そんな忙しい昨年の秋のこと。 近所の人で知り合ったイエス営業部の人。 タイ人である。 その人は、近所の家で平日は住み込みで子供の面倒と家政婦をしている。 長い話を短くすると、私は頼まれて、その家で祈った。 やはり、感じる変なものがあり、幻も見えた。 子供が悲しんでいること。 別れた奥さんのこと。 いろいろある家庭。 子供の部屋で祈ったあと、うしろから何か迫ってきて、翌日から背中が痛くなった。 これは、日曜日の礼拝のあとに祈ってもらった。 そういった場所で祈ると、時に「やられる」ことがある。 そんなかんやで、そのタイ人の彼女、何かと電話してくる。 そして、一緒に祈っていた。 明日試験、という日で勉強中にも電話がかかってきた。 子供たちがオカルトか、暴力的なビデオばかりみていて・・・という相談だった。 彼女は、もうこんな家にはいたくない。 辞める、といい始めた。 しかし、私は善人ではない。 今は勉強中で手が離せないから、後で祈っていてあげる、と。 ただ、神さんは、あなたをこの家に送ったんだよ、とは、言ったが、辞めたいと決めたのなら、辞めたらどうですか。 そこまで自分を犠牲にすることはないでしょう。 とも言った。 それから一年近く経った。  ある暑い夏の夜。 ばかちんの散歩に出た。 ふと、彼

No. 134 夏休みももう終わり

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前回の投稿は6月下旬。 今日は、広島原爆記念日の8月5日。 一ヶ月半も書き込まなかった。 不定期発行だもんね。 Blogにまどわされないのだ、というか、夏休みで子供がいるので、じっくりコンピューターに向かっていられない毎日であった。   以下は、何をしていたかを早送りで書く。というか、どっかのソーシャルネットワークの日記をコピペして、手を加えただけ。 だって、もう夜中。 眠いし、明日早朝は勉強したいので。   2009年夏休み <達成したこと>   (1)Back Yardの家庭菜園の芝生をとって、川砂利をしいた。 ものすごい重労働だった。でも、もうスプリンクラーを使って芝を潤すことをしなくて良くなった。水道代も節約だし、環境にも良し。  芝って、水あげて、肥料上げて、伸びれば芝刈り。 刈った芝はBio Massとしてはものすごい量。 これ、食べられないんだよね。 なんという資源の無駄。 という考えかたから。   (2)家庭菜園の拡張。    中途半端だった菜園を広げた。 ミントが繁茂してしまったイチゴ畑を整理した。畑は、今はなかなかの出来。日本のきゅうり、オクラ、ズッキーニ、すいかが生っている。 すべて無農薬・無肥料。 家ででる野菜の皮とかくずを土に鋤きこんであげている。 きゅうりは毎日食べている。 これから豆とオクラの収穫。 すいかもだいぶ大きくなってきたよん。 だいこん、メロン、かぼちゃ、トマトが今成長している。   (3)木の塀。   ほぼ完成。 土方でまっくろけっけ+筋肉+体重が減った。 明日、市の人がInspectionに来る。 となりの敷地に1-2インチはみ出してしまっているので、却下されるか? その場合のPlan Bはすでに旦那と相談してある。   (4)子供の勉強。    一応、毎日こつこつと算数をさせている。 今日、やっとあまりのある割り算を教えた。 本も一日一冊は読んだ。 何日かは読まない日もあったけど。 日本語は今までは、ひらがなとカタカナの書き取りのみ。 今月からスピードアップして、作文と読みをさせねば。 遅れてしまっていたよん。   (5)曲作り。    一曲できたわ。 英語の歌詞は断念したけど。 イエス兄さんへの感謝と、自分を含め、人を安易に裁いてしまう人のことを思いながら作った。実は、いつも家でピアノで賛美して

No. 133 試してみろ、っちゅーから、試すよ。

夏休みに入って、4週目。 今年は、あまり疲れずに子供の相手もできる。 Wiiというゲームを買って、子供がそれで遊んでてくれる間は楽が出来るからか。 ということで、先週の木曜日の午前中、子供を家に残して、郵便局へ。 何を送ったか、というと、日本の教会と西海岸の教会への献金を送った。 4ヶ月のTaxの季節労働の報酬の十分の一をこつこつ封筒にためてきた。 Taxの仕事が4月の第3週に終わり、最期のお給料が5月の上旬に入った。 それから、だいぶ経ってしまったけど、ようやく先週の木曜日、各教会に送ることができた。 私の行っている教会には、すでにちゃんと献金した。 日本人が教会に関する質問の中に、献金をしなければいけないのですか?というのがある。  私に言わせれば、「しなければいけない」というレベルではない、と思う。 喜んで献金はするものだと思う。 というか、収入があるのは、神さんのお陰なので、10%は就職斡旋業としての神さんの取り分である。 私のものではない。 ということで、献じるというよりは、お返しする、というほうが正しいと思う。 旧約聖書の最期のマラキ書3章10節には、10%を納め、私を試してみよ、と神さんは言っている。 過去に試した。 そうしたら、大きな恵みが来てしまった。 ウエイトレスの助っ人で頂いた$100があった。 十分の一だから$10を納めて、そのあとすぐに借金して日本にいった。 お金ないから、飛行機代、借金だった。 そうしたら、日本の私の口座に30万円がどこからか振り込まれていた。 アメリカに戻り、それで、借金を返すことが出来た。 $10で、$3,000(役30万円)を神さんから頂いてしまったのであった。 300倍である。  知り合いが、試してみようって、十分の一の献金を始めます!と宣言して、開始した。 その数ヵ月後、旦那さんに良い仕事が与えられた。 更にその一年後、収入は倍増していた。 うちの教会のパタリロ牧師も億単位の負の遺産を抱え込んでいた。 やけくそになって、どうせ、ないお金だ!と十分の一の献金を始めてから、10年でその負の遺産は、消えた。 何故か、周りから助けてくれる人が沢山でてきたそうだ。  Taxのファイリングの仕事では、経済的なことをいろいろ質問する。 そうやって、どういうCreditなどが適用できるかを判断していくのである。   Schedu

No. 132 今日は誕生日

今日は何を隠そう、私の誕生日である。 もう、いいたくない年齢だから、言わないもんね。 自分がこんな歳になるとは、思ってもいなかった。 更年期も近いのか? ということは、骨ももろくなってきて、老化がもっと進むんだろうなぁ。  かといって、対策をとるつもりもない。 ただ、健康でいたいと思う。 4X年前の夜中の2時ごろ、私は東京は渋谷の日本赤十字病院で生まれた。 母にとっては、難産で、大変だったらしい。 生まれたとき、私は声を上げなかったそうだ。 生まれたあと、父と祖母は明け方の道を二人で家までとことこ歩いて帰ったそうだ。 渋谷から板橋まで。 そんな話を父母から何回か聞いた。 子供のときは、病弱だったが(嘘だ!ええーっつ!という声が聞こえるぞ。)、今は一応元気な双子のかあちゃんである。 いろいろあった人生だけど、40歳代後半まで、こうして何とか生きてこれたことに感謝する。 元気な双子の子供も生めた。 そうだ、旦那という素晴らしい人にもめぐり合えた。  父と母は、それはいろいろあったけど、やはり、私は私の父と母の間に生まれて幸せだったと、今思う。 私が父と母を選んだのかも。 それか、神さんが私を父と母に託したのだろうなぁ。  なんだかんだいって、ごたごたしたけど、それでも、死ぬまで両親は一緒だった。 私たちの為に大きな犠牲を払ってきてくれたんだろうな。  だから、神さんにお礼を言う。 私を父と母の元に送ってくれて有難う、と。 私にはもったいない夫を与えてくれて、有難う。 美しい双子を与えてくれて有難うと。 食べるのに困らないで何とか生きていかれる環境においてくれて有難う。 雨露をしのげる屋根のついた家に住めることに感謝。 周りで体を壊している人が多いのに、一応、今の所、健康であることに感謝。 目が見えること、耳が聞こえること、両手両足があること、喋れることに感謝。 昼は、Taxの仕事場の人たちが誕生会を開いてくれる、という。 夜は、夫と子供たちがご飯を作ってくれるという。 今日は朝から雷雨。  庭と、庭の家庭菜園も人の力を借りて、だいぶ完成。 昨日は豆や大根の種を植えた。 よし! 更年期になると骨がもろくなるから、今日は、植木の植え替えという重労働を朝にして、骨を強くしよう。 重力に逆らう動きが骨にいいんだよね。  歳をとるけど、どんどん体を動かして、健康でありつづけたいも