No. 24 ヒューストンの日本人教会 Japanese church in Houston, TX
この前の投稿で、表題のことを書こうかとはじめたら、まったく関係の無い方向にいってしまった。 ははは。 以下が本当に書きたかったことだよ。 ヒューストンの日本人教会の牧師をしている、新婚ほやほやの大魔神牧師先生のお話が今日あった。 極貧生活しながらも、神学校、大学の神学部を卒業された牧師先生である。 私もニューヨークで激貧生活をしたから、うんうん、とうなずきながらお話をきいてしまった。 今日のお話はとてもよかったのでここで私なりに紹介しよう。 オリジナルの品位を落とさないようにしようと努力はしてみるが。 ― 信仰とは何か - 新約聖書 ヘブル書11章7節 この11章ってのは、信仰とはなにか、ということについてかかれてあるそうだ。 第一節を読めば定義が出てくる。 信仰は望んでいる事柄を保証し、目にみえないものを確信させるものです。 ふむふむ。 そうですか。 そして、そのあとの節に旧約聖書からの実例が載っている。 大魔神先生のお話は7節を基本として展開したのであった。 信仰によって、ノアはまだ見ていない事柄について、神から警告を受けたとき、恐れかしこんで、その家族の救いの為に箱舟を造り、その箱舟によって、世の罪を定め、信仰による義を相続するものとなりました。 まず、ノアがしたことは、天のお父さんの言葉をそのまんま信じちゃったっちゅーことだ。 信じちゃったから、洪水が起こるはずのないところで、箱舟という10メーター以上の長さの船をつくりはじめちゃった。 だから、まわりから、「あいつ、クルクルパーやで!」とばかにされたに違いない。 ノアは頭で信じただけではなかった。 行動も伴っていた。 でも、俺ってばか? 間違っているのかもしれないなぁ、と疑うときもあったであろう。 それでも、天のお父さんの言葉に従って、時間をかけて箱舟を造った。 これが信仰=信頼なんである。 「信心もいわしの頭」だったけ? 天のおとうさんは、いいだしっぺだから、やっぱ最後まで面倒をみてくれるそうだ。 それに、ドラえもんのポケットのように、なんでもできちゃうお父さんだから、「透視糸でんわー!」「透視聴診器ー!」みたいに私たちが何を必要としているか、わかっちゃっているんだよね。 だから、お父さんがやれー!っていったことは、最後までちゃんと面倒を見てくれる。 落とし前をちゃんとつけてくれるんだ。 勘違い