No. 12 うんち頭の受難とわが夫
旦那が海外出張から帰ってきた。 が食中毒、または、胃にくる風邪にかかって帰ってきた。 春から毎週、出張つづきで、体力が落ちてしまったせいだろうか。 夕飯はチキンスープを作ってあげたが、それも逆戻りしてしまい、かわいそうであった。 そんな病気の旦那のそばについて離れないのが、わが長女、「プープーヘッド」である。 長女であるが、人間ではない。
結婚したときは、マイアミの北にあるアパートを借りていた。 今と同じように、出張続きの旦那であった。 私は生まれたときからずっと犬がいる生活をしていたので、なにか物足りなかった。 古いアルバムには、赤ん坊の自分と犬が一緒に布団に入っている写真がある。 母にいわせれば、私を犬が面倒みた、とのこと。
結婚後半年後、大学のレポートの為に、フロリダ東海岸のフォート・ローダデールにある「ヒューマン・ソサエティー」という捨て犬、迷い犬を保護する施設を見学しにいった。 ちなみに、そこは、Blockbuster Videoの創始者で、フットボールチームのマイアミ・ドルフィンズのオーナー、ウエイン・ハイジンガーの奥さんと娘がメインの寄付者、活動者である。
行ったら、まあー、沢山の犬と猫が「私を飼って! 飼って!」「私、寂しい・・・」と話しかけてきた。 沢山なんだよ。 飽きたから犬を捨てる人間、動物を虐待する人間が少なくないこの世。 飼ったらうるさい、とかうんちを家の中でしたから、という理由で連れてこられる犬猫が沢山いる。 あとは、迷い犬、猫。 その施設で、獣医さんのチェックを受け、引き取り手を待っている。 引き取られていかなかった犬と猫たちは、どうなるかというと・・・・・安楽死がまっているのである。 百一匹ワンちゃんの映画が何年か前にロードショウ公開されたが、そのあと暫くして、ダルマシアンの犬が沢山、こういった動物保護の施設に捨てられた。 ダルマシアンはハイパーなので、手にあまる飼い主が多かったのだろう。 うちの教会のパタリロ牧師も、ダルマシアンはハイパーだとは知らずに飼ってしまったらしい。 でも、しっかりと飼っている。 えらい。
取材を終えて、レポートも提出して、改めてその施設を訪れた。 取材のお礼も兼ねて。 本来の目的は犬を探しに行くためであった。 案内のボランティアの人が中にいれてくれた。 やはり、子犬がいいな、それも茶色。 そしたら、いた。 鼻と鼻の周りが黒くて、茶色い子犬。 履歴を見ると、ラブラドールとシェパードの雑種らしい。 女の子。 生後9週間くらい。 フォート・ローダデールの街中で迷い犬だったところを保護されたそうだ。 そばに寄ると、その子犬は話かけてきた。 「あーやんなっちゃうよ。 なんとかしてよ。」というような口調であった。 これで、決まりであった。
面接官に飼い主として、適正化どうかの厳密な調査を受け、去勢手術を受けるので、○○日に60ドルもって引き取りに着てください、とのこと。 わくわくして、その日を待った。 ピンクの可愛い首輪をかってあげて、抱っこして、車に乗せてあげた・・・・・らすぐにシートにおしっこをした。 帰り道、突然、窓があいた。 パワーウインドウなのだ。 アパートにもどり、バスタオルでベッドを作ってあげた。 いぶかしげな顔をして私を見上げていた。
旦那が出張から帰ってきて、アパートのドアを開た。 「ん・・? なんか様子が・・・? (ひっかけてある綱をみて) ん・・?????」 リビングの奥にいる小さな茶色い子犬をついに見つけた。 さっそくそばによって、なでなでして、子犬の体をかかえこむようにして、愛情を込めていった。 「Sh♯t head!」
日本語でいうと「うんち頭」。 本当は悪い言葉なんだが、よくあるじゃん、可愛さあまって「このやろう」とか、「このおばかちゃん」ってな感じである。 「Sh#t」は、日本語ではき捨てるように言う「くそっ!」と同じ使い方で、ほとんどの人たちが毎日使っているスラングである。 公の場では、使うべき言葉ではない。 なので、この子のあだ名は「プープーヘッド」になってしまった。 プープーは赤ちゃん用語でうんちのことである。 たまに、「プップちゃーん」とも呼ぶ。 道行く人たちによく聞かれる。「この犬はどういう種ですか?」 私たちは「プープーヘッド」です!と誇りを持っていうものだから、ほとんどの人たちが吹き出す。
引き取ってから3年くらいは、人に飛びつくわ、おじいちゃんをなぎ倒すわ、家の前の湖にどぼんととびこんで、びしょびしょになるわ、やんちゃであった。 その湖には、いつもワニがいたので、心配ではあったが、何の事故もなかった。 フロリダでは水溜りがあれば、ワニがいる、と思ったほうがいいのである。 私と、「プップちゃん」はよく一緒にバケーションを楽しんだ。 フロリダのキイに行くのである。 マイル・マーカー(キイを走る国道1号線についたマイル表示)60あたりに、Ann's Beachというのがあって、そこは犬もOKだったので、二人でそこで一緒に泳いだ。 なにせ、ラブラドールの血があるから、水をみると黙っていない。 すぐ飛び込む。 公園の噴水にもよく飛び込んだ。 Grassy KeyにあるなじみのBone Fish Resortで一緒に泊まり、夕日の時間になると、7マイルブリッジに二人でいって、夕日を見たものだ。
旦那の出張の寒いある夜、あまりに寒くて、ついに「プップちゃん」を引き入れ、あんかがわりにした。 それ以来、「プップちゃん」と私は一緒に寝る。 何年かして、旦那の出張中に今度は飼い主が獣医さんに置き去りにした猫を獣医さんから引き取った。 旦那が家に入ると、「プップちゃん」は旦那を無視して、ベッドの下に鼻を突っ込んだままである。 「何があったんだ?!」と旦那。 そして、猫が家に来た、というのがやっとわかった。 それ以来、旦那は友人たちに、「今度出張にいったらまた動物がふえているんじゃないか」、と笑っていた。 ちなみに、うちの双子たちも出張中出来た・・・・なんて、嘘だよ。 夜中に旦那が目を覚ますと、「プップちゃん」が私の横にいて、カバーから足と尻尾がでていて、猫が私の頭の上で寝ているらしい。 それを見るたび、「すさまじい光景だ・・・」とあきれるそうだ。 子供が生まれてからは、旦那、私、犬、猫、双子がキングサイズのベッドに全員寝ることが頻繁にある。 さらに、最近は家の中にかえる、てんとうむし、便所虫を子供たちがかっているので、我が家は動物園である。
3年間、根気よく躾けた結果、プップちゃんは、人のいうことをよく聞き、人の気持ちがよくわかる良い犬になった。 今は、つなをつけなくても、ちゃんとそばにいるし、他の犬がいても、だめだ、というと追いかけない。 双子が生まれたとき、面倒を見てくれた。 キイでのバケーションの時も、ちょっと怖いことがあったが、プップちゃんが守ってくれた。 フロリダからシンガポールにいったときも、猫と犬を連れて行った。 マイレージカードを作ってくれ、と航空会社の人にいったが、無視された。 シンガポールからダラスに引っ越した後も、新しい家の前で、そとで遊ぶ子供たちを見守ってくれている。 家でお祈りをすると、なぜだかそばにくる。 (猫もだ。) 座って祈ると、必ず、べろりっとほおをなめられるのだ。 そんな、「うんち頭」というあだ名をつけられたわが長女。 体重、30キロはあるので、日本では大きいほうだが、アメリカでは中型犬である。 今は11歳になった。
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それが、どうしたことか、今年の1月9日の午後4時ごろ、彼女は家の前で近所の人の運転する大きなバンに轢かれてしまった。 どうやらプップちゃんは, 停まっていたバンの下にいたらしい。 気づかずに、ご近所さんは、ゆっくりとであるが、1トン以上は優にあるバンを動かした。 私は自宅オフィスにいたので、現場の目撃はしていないが、「ギャーン!!」という声が聞こえた。 そのあと、双子が「大変だ! 大変だ!」と家に入ってきた。 玄関を開けると、血まみれになったプップちゃんが・・・・。 後ろ足が変なふうに折れ曲がってしまい、うまく歩けない。 顔つきも違う。 お隣さんがくびわをもって家の中に入らないようにしているうち、なぜだか冷静に獣医さんに電話して、急患として行くことになった。 またしても、旦那は出張中であったから、そのご近所さんが子供を預かってくれるという。 外に放していた私の責任もあるので、まったく責める気持ちも起こらなかった。
獣医さんのところでは、人間の病院のように、車をつけるとすぐに3人の人が駆けつけて、プップちゃんを運んでくれた。 すぐに治療室に運ばれた。 私は入れてもらえなかった。 暫くして、事務所の人がきて、別の部屋に通され、話始めた。 「犬は今ショック状態ですが、XX先生が診てくれていますから安心してください。」と言った後、書類を出した。 「説明します。 こういう費用がかかるので、事前にお知らせしてから・・・」 つまり、こういった金額を払っても治療を続けたいかどうかの確認であった。 ばっきゃろーー! という気持ちも少しあったが、私は黙ってしまった。 「あなた、大丈夫ですか?」といわれて泣き崩れてしまった。 「お金はいくらかかってもいいですから、救ってください! 私は一ヶ月前に母を亡くしたばかりで、この子まで失うわけにはいかないのです!」 その事務員は深くうなずいて、ティッシュボックスをくれた。 アメリカでは、お金がないと治療が受けられい。 健康と安全は金の沙汰である。
また、待合室に戻り、祈った。 「神様、どうか、この子まで母と一緒に連れていかないで下さい!」 パタリロ牧師先生にも電話して祈ってもらった。 待ったのは30分であろうか、40分であろうか、その間、夢中で、必死に祈ったのである。
そして、呼ばれた。 一応落ち着いたらしい。 先生は、ショック症状であるが、レントゲンの結果、不思議なことに骨折はない、とのこと。 ただ、後ろ左脚が股関節から脱臼しているので、もとに戻す処置が必要とのこと。 その医院は6時で閉まるので、北にあるDentonという町に動物夜間診療所があるので、そこに移送して、麻酔をかけて今夜中に股関節をもとに戻す処置をしてください、とのこと。 すぐに隣のご近所さんに電話して、双子を預かってもらう手はずを整えて、プップちゃんを運んだ。
北の町にある夜間診療所の女医さんは、年老いた犬への麻酔の懸念をする私に、笑顔で、「大丈夫だと思います。」といってくれた。 処置は夜中の1-2時ごろする、とのことなので、処置の前後、何時でもかまいませんから、電話してください、と頼んだ。 プップちゃんを抱きしめて、「明日の朝、迎えにくるからがんばるんだよ」と言い残し、ハイウエイのI-35を南下し、家路についた。 途中、牧師婦人のミセス・パタリロが携帯に電話をくれた。 心配していてくれたのである。 夜の8時になっていた。
家に着くと、そのままベッドへバタンキューであった。 夜中の2時に電話があり、これからはじめます、とのこと。 そして、4-5時ごろに、終わりました。 彼女は大丈夫ですよ!と嬉しいしらせがあった。 その診療所は朝の7:30に閉まるので、6:30にプップちゃんを子供たちと一緒に迎えにいった。 まだショックらしい。 しっぽをふらない。 なめてもくれない。 子供たちはそのまま学校にいかせたが、途中、渋滞で遅刻してしまった。 でも、学校の事務員も担任も理解があった。
プップちゃんは包帯だらけ。 口が曲がってしまい、犬歯が内側に入ってしまっていた。 私たちのベッドの旦那が寝る場所にタオルを沢山ひいて、プップちゃんの病床とした。 病人みたいに横たわっていた。 でも、命は助かったのだ。 疲れが出て、プップちゃんの横で寝てしまった。 かかった費用は全部で千ドルほど。 貯金がこれでどーっとなくなった。 子供の歯医者の費用もあるし、旦那の肩の手術も控えている。 でも、いいんだ、そんなの。 バンを運転していたご近所さんに請求する気もない。 彼女のせいではない。 ただ、ただ、プップちゃんに生きて欲しい、それだけなのである。
プップちゃんの受難から一ヵ月後、旦那が肩の手術を受けた。 術後、痛みが2週間も続いて、とてもつらそうであった。 起き上がれないので、しびんの片付け、食事運びと、いろいろ面倒を看た。 (あたりまえだ。) そのうち、少しよくなったけど、ちょっと寝返りをうつと、「ぎゃー!」と痛がる毎日であった。 でも、私にはどうしようもなかった。 回復を待つのみであった。 そのうち、プップちゃんも回復してきて、やっと私をなめてくれる心の余裕が出てきた。
ある日、ふと思った。 私は旦那の手術の時、祈ったかな? 祈った。 でも、手術中、近くの本屋に買い物にいってしまった。 家に帰ってきてから、旦那の為に祈ったかな? 祈らなかった・・・・。 旦那の肩の手術は、事故の急患ではなく、以前から予定していた手術で、生命の危険というリスクは少なかったからかもしれない。 でも、プップちゃんの受難の時のように、必死では祈らなかった。 一番大事な人のことを祈らなかったのである!!
その週の礼拝でのパタリロ先生のメッセージは、「汝、滅ぶなかれ」であった。 なぜか、私が英語の通訳をした。 「天国に行かれるのは、イエス様を信じたものである。 イエス様を通してしか、行かれない。 ならば、あなたの大事な人たち、ご家族、ご兄弟、友人の為に祈り、福音を伝える力を下さい、と祈りましょう。」という内容であった。
天のお父さんはすべてお見通しであった。 私は愛する旦那の為に必死に祈らなかった。
旦那は母親がラテンアメリカ人でカトリックで育った。 しかし、自ら無神論者である、といって、福音派(Evengelist)の友人を怒らせたり、論議をしていた。 EvangelistがBush政権の裏にいて、コントロールしているのがいやらしい。 また、今世の中で起こっている戦争、紛争が、結構宗教がらみで、アメリカの「キリスト”教”」に対して、不信感があるのだ。 なので、教会にはいかない。 一回だけを除いて。
それは、知り合って3ヶ月しか経たない頃、彼が前立腺がん(初期)と診断されて、ショックを受けているとき、当時私が住んでいたニューヨークにワシントンDCに住んでいた旦那を招待して、フィガロの結婚のオペラに連れて行った。 冬だったから、ニューヨークはオペラシーズンなのである。 あと、ニューヨーク見物も。 5番街をCentral Parkの方に上ると、右側にカトリックの大きな教会がある。 有名なやつだ。 そこに入っていった。 当時、私はイエス兄さんを知らなかったので、教会の後ろで、旦那を待っていた。 旦那は前の方にいき、暫くじっとしていた。 あとできくと、「力を下さい。」と祈ったんだそうだ。 ガンの手術、結婚、引越し、体外受精による双子出産、とその後に起こる事なんて、考えもしなかった。 なにせ、結婚するかどうかも考えたことがなかったから。
プップちゃんの受難のころは、日本での遺産のことやら、日本で帰る場所がなくなる自分のことで、もんもんとしていた。 天のお父さんに、「お金下さい。 そして、実家を買い取って、教会にしたいんです。 そうしたら、私も日本で帰るところができます。」 と祈っていた。 でも、パタリロ先生のメッセージを聞いたあと、考えさせられて、今、自分が一番欲しいものは何か、と考えた。
お金じゃない。 大好きな、かけがえのない旦那と一緒に天国で暮らすこと、それが私が望むものなんだ。
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それからは、旦那のことを毎日祈るようになった。 出張が多いので、身の安全と健康を。 そして、「旦那にいつか教会に来て欲しいから、お父さん、お願いします。 教会に来るようになって、イエス兄さんを信じるように導いてください。 私が一番欲しいことは、旦那と一緒に天国で暮らすことなんです。」と祈った。 旦那には、以前、「教会に来る?」と2回聞いたら、「No.」の一言が帰ってきた。 強制したくないので、私と子供だけ行っていたのである。 こういう日本人の奥さんって少なくないと思うよ。
そう祈ること、一ヶ月半。 イースターの日が来た。 我が家にはニューメキシコ州、サンタ・フェから旦那のご両親と弟さんがイースター休暇でうちに来た。 私は何も言わなかったが、何故だか、日曜日は皆で教会に行こう、と旦那が言うのである。 ぎょぎょぎょ!!!!! 母親がいるからか、イースターエッグハンティングがあるからか。 よくわからん。 再度言うけど、私は何も言わなかったよ。 ただ、天のおとうさんに頼んだだけである。
毎朝、森の中をプップちゃんと歩く。 そして、いつもの祈りの場所に行く。 プップちゃんは祈る間、私をじーっと見守ってくれる。 そして、プップちゃんはリスを追いかけるほどに回復した。 はがれた皮膚もあとかたもなく、治っている。 これを書いている今、プップちゃんは足元にいない。 病気の旦那のそばから離れず、じっと見守っている。
あかしや番頭 メールを送る
結婚したときは、マイアミの北にあるアパートを借りていた。 今と同じように、出張続きの旦那であった。 私は生まれたときからずっと犬がいる生活をしていたので、なにか物足りなかった。 古いアルバムには、赤ん坊の自分と犬が一緒に布団に入っている写真がある。 母にいわせれば、私を犬が面倒みた、とのこと。
結婚後半年後、大学のレポートの為に、フロリダ東海岸のフォート・ローダデールにある「ヒューマン・ソサエティー」という捨て犬、迷い犬を保護する施設を見学しにいった。 ちなみに、そこは、Blockbuster Videoの創始者で、フットボールチームのマイアミ・ドルフィンズのオーナー、ウエイン・ハイジンガーの奥さんと娘がメインの寄付者、活動者である。
行ったら、まあー、沢山の犬と猫が「私を飼って! 飼って!」「私、寂しい・・・」と話しかけてきた。 沢山なんだよ。 飽きたから犬を捨てる人間、動物を虐待する人間が少なくないこの世。 飼ったらうるさい、とかうんちを家の中でしたから、という理由で連れてこられる犬猫が沢山いる。 あとは、迷い犬、猫。 その施設で、獣医さんのチェックを受け、引き取り手を待っている。 引き取られていかなかった犬と猫たちは、どうなるかというと・・・・・安楽死がまっているのである。 百一匹ワンちゃんの映画が何年か前にロードショウ公開されたが、そのあと暫くして、ダルマシアンの犬が沢山、こういった動物保護の施設に捨てられた。 ダルマシアンはハイパーなので、手にあまる飼い主が多かったのだろう。 うちの教会のパタリロ牧師も、ダルマシアンはハイパーだとは知らずに飼ってしまったらしい。 でも、しっかりと飼っている。 えらい。
取材を終えて、レポートも提出して、改めてその施設を訪れた。 取材のお礼も兼ねて。 本来の目的は犬を探しに行くためであった。 案内のボランティアの人が中にいれてくれた。 やはり、子犬がいいな、それも茶色。 そしたら、いた。 鼻と鼻の周りが黒くて、茶色い子犬。 履歴を見ると、ラブラドールとシェパードの雑種らしい。 女の子。 生後9週間くらい。 フォート・ローダデールの街中で迷い犬だったところを保護されたそうだ。 そばに寄ると、その子犬は話かけてきた。 「あーやんなっちゃうよ。 なんとかしてよ。」というような口調であった。 これで、決まりであった。
面接官に飼い主として、適正化どうかの厳密な調査を受け、去勢手術を受けるので、○○日に60ドルもって引き取りに着てください、とのこと。 わくわくして、その日を待った。 ピンクの可愛い首輪をかってあげて、抱っこして、車に乗せてあげた・・・・・らすぐにシートにおしっこをした。 帰り道、突然、窓があいた。 パワーウインドウなのだ。 アパートにもどり、バスタオルでベッドを作ってあげた。 いぶかしげな顔をして私を見上げていた。
旦那が出張から帰ってきて、アパートのドアを開た。 「ん・・? なんか様子が・・・? (ひっかけてある綱をみて) ん・・?????」 リビングの奥にいる小さな茶色い子犬をついに見つけた。 さっそくそばによって、なでなでして、子犬の体をかかえこむようにして、愛情を込めていった。 「Sh♯t head!」
日本語でいうと「うんち頭」。 本当は悪い言葉なんだが、よくあるじゃん、可愛さあまって「このやろう」とか、「このおばかちゃん」ってな感じである。 「Sh#t」は、日本語ではき捨てるように言う「くそっ!」と同じ使い方で、ほとんどの人たちが毎日使っているスラングである。 公の場では、使うべき言葉ではない。 なので、この子のあだ名は「プープーヘッド」になってしまった。 プープーは赤ちゃん用語でうんちのことである。 たまに、「プップちゃーん」とも呼ぶ。 道行く人たちによく聞かれる。「この犬はどういう種ですか?」 私たちは「プープーヘッド」です!と誇りを持っていうものだから、ほとんどの人たちが吹き出す。
引き取ってから3年くらいは、人に飛びつくわ、おじいちゃんをなぎ倒すわ、家の前の湖にどぼんととびこんで、びしょびしょになるわ、やんちゃであった。 その湖には、いつもワニがいたので、心配ではあったが、何の事故もなかった。 フロリダでは水溜りがあれば、ワニがいる、と思ったほうがいいのである。 私と、「プップちゃん」はよく一緒にバケーションを楽しんだ。 フロリダのキイに行くのである。 マイル・マーカー(キイを走る国道1号線についたマイル表示)60あたりに、Ann's Beachというのがあって、そこは犬もOKだったので、二人でそこで一緒に泳いだ。 なにせ、ラブラドールの血があるから、水をみると黙っていない。 すぐ飛び込む。 公園の噴水にもよく飛び込んだ。 Grassy KeyにあるなじみのBone Fish Resortで一緒に泊まり、夕日の時間になると、7マイルブリッジに二人でいって、夕日を見たものだ。
旦那の出張の寒いある夜、あまりに寒くて、ついに「プップちゃん」を引き入れ、あんかがわりにした。 それ以来、「プップちゃん」と私は一緒に寝る。 何年かして、旦那の出張中に今度は飼い主が獣医さんに置き去りにした猫を獣医さんから引き取った。 旦那が家に入ると、「プップちゃん」は旦那を無視して、ベッドの下に鼻を突っ込んだままである。 「何があったんだ?!」と旦那。 そして、猫が家に来た、というのがやっとわかった。 それ以来、旦那は友人たちに、「今度出張にいったらまた動物がふえているんじゃないか」、と笑っていた。 ちなみに、うちの双子たちも出張中出来た・・・・なんて、嘘だよ。 夜中に旦那が目を覚ますと、「プップちゃん」が私の横にいて、カバーから足と尻尾がでていて、猫が私の頭の上で寝ているらしい。 それを見るたび、「すさまじい光景だ・・・」とあきれるそうだ。 子供が生まれてからは、旦那、私、犬、猫、双子がキングサイズのベッドに全員寝ることが頻繁にある。 さらに、最近は家の中にかえる、てんとうむし、便所虫を子供たちがかっているので、我が家は動物園である。
3年間、根気よく躾けた結果、プップちゃんは、人のいうことをよく聞き、人の気持ちがよくわかる良い犬になった。 今は、つなをつけなくても、ちゃんとそばにいるし、他の犬がいても、だめだ、というと追いかけない。 双子が生まれたとき、面倒を見てくれた。 キイでのバケーションの時も、ちょっと怖いことがあったが、プップちゃんが守ってくれた。 フロリダからシンガポールにいったときも、猫と犬を連れて行った。 マイレージカードを作ってくれ、と航空会社の人にいったが、無視された。 シンガポールからダラスに引っ越した後も、新しい家の前で、そとで遊ぶ子供たちを見守ってくれている。 家でお祈りをすると、なぜだかそばにくる。 (猫もだ。) 座って祈ると、必ず、べろりっとほおをなめられるのだ。 そんな、「うんち頭」というあだ名をつけられたわが長女。 体重、30キロはあるので、日本では大きいほうだが、アメリカでは中型犬である。 今は11歳になった。
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それが、どうしたことか、今年の1月9日の午後4時ごろ、彼女は家の前で近所の人の運転する大きなバンに轢かれてしまった。 どうやらプップちゃんは, 停まっていたバンの下にいたらしい。 気づかずに、ご近所さんは、ゆっくりとであるが、1トン以上は優にあるバンを動かした。 私は自宅オフィスにいたので、現場の目撃はしていないが、「ギャーン!!」という声が聞こえた。 そのあと、双子が「大変だ! 大変だ!」と家に入ってきた。 玄関を開けると、血まみれになったプップちゃんが・・・・。 後ろ足が変なふうに折れ曲がってしまい、うまく歩けない。 顔つきも違う。 お隣さんがくびわをもって家の中に入らないようにしているうち、なぜだか冷静に獣医さんに電話して、急患として行くことになった。 またしても、旦那は出張中であったから、そのご近所さんが子供を預かってくれるという。 外に放していた私の責任もあるので、まったく責める気持ちも起こらなかった。
獣医さんのところでは、人間の病院のように、車をつけるとすぐに3人の人が駆けつけて、プップちゃんを運んでくれた。 すぐに治療室に運ばれた。 私は入れてもらえなかった。 暫くして、事務所の人がきて、別の部屋に通され、話始めた。 「犬は今ショック状態ですが、XX先生が診てくれていますから安心してください。」と言った後、書類を出した。 「説明します。 こういう費用がかかるので、事前にお知らせしてから・・・」 つまり、こういった金額を払っても治療を続けたいかどうかの確認であった。 ばっきゃろーー! という気持ちも少しあったが、私は黙ってしまった。 「あなた、大丈夫ですか?」といわれて泣き崩れてしまった。 「お金はいくらかかってもいいですから、救ってください! 私は一ヶ月前に母を亡くしたばかりで、この子まで失うわけにはいかないのです!」 その事務員は深くうなずいて、ティッシュボックスをくれた。 アメリカでは、お金がないと治療が受けられい。 健康と安全は金の沙汰である。
また、待合室に戻り、祈った。 「神様、どうか、この子まで母と一緒に連れていかないで下さい!」 パタリロ牧師先生にも電話して祈ってもらった。 待ったのは30分であろうか、40分であろうか、その間、夢中で、必死に祈ったのである。
そして、呼ばれた。 一応落ち着いたらしい。 先生は、ショック症状であるが、レントゲンの結果、不思議なことに骨折はない、とのこと。 ただ、後ろ左脚が股関節から脱臼しているので、もとに戻す処置が必要とのこと。 その医院は6時で閉まるので、北にあるDentonという町に動物夜間診療所があるので、そこに移送して、麻酔をかけて今夜中に股関節をもとに戻す処置をしてください、とのこと。 すぐに隣のご近所さんに電話して、双子を預かってもらう手はずを整えて、プップちゃんを運んだ。
北の町にある夜間診療所の女医さんは、年老いた犬への麻酔の懸念をする私に、笑顔で、「大丈夫だと思います。」といってくれた。 処置は夜中の1-2時ごろする、とのことなので、処置の前後、何時でもかまいませんから、電話してください、と頼んだ。 プップちゃんを抱きしめて、「明日の朝、迎えにくるからがんばるんだよ」と言い残し、ハイウエイのI-35を南下し、家路についた。 途中、牧師婦人のミセス・パタリロが携帯に電話をくれた。 心配していてくれたのである。 夜の8時になっていた。
家に着くと、そのままベッドへバタンキューであった。 夜中の2時に電話があり、これからはじめます、とのこと。 そして、4-5時ごろに、終わりました。 彼女は大丈夫ですよ!と嬉しいしらせがあった。 その診療所は朝の7:30に閉まるので、6:30にプップちゃんを子供たちと一緒に迎えにいった。 まだショックらしい。 しっぽをふらない。 なめてもくれない。 子供たちはそのまま学校にいかせたが、途中、渋滞で遅刻してしまった。 でも、学校の事務員も担任も理解があった。
プップちゃんは包帯だらけ。 口が曲がってしまい、犬歯が内側に入ってしまっていた。 私たちのベッドの旦那が寝る場所にタオルを沢山ひいて、プップちゃんの病床とした。 病人みたいに横たわっていた。 でも、命は助かったのだ。 疲れが出て、プップちゃんの横で寝てしまった。 かかった費用は全部で千ドルほど。 貯金がこれでどーっとなくなった。 子供の歯医者の費用もあるし、旦那の肩の手術も控えている。 でも、いいんだ、そんなの。 バンを運転していたご近所さんに請求する気もない。 彼女のせいではない。 ただ、ただ、プップちゃんに生きて欲しい、それだけなのである。
プップちゃんの受難から一ヵ月後、旦那が肩の手術を受けた。 術後、痛みが2週間も続いて、とてもつらそうであった。 起き上がれないので、しびんの片付け、食事運びと、いろいろ面倒を看た。 (あたりまえだ。) そのうち、少しよくなったけど、ちょっと寝返りをうつと、「ぎゃー!」と痛がる毎日であった。 でも、私にはどうしようもなかった。 回復を待つのみであった。 そのうち、プップちゃんも回復してきて、やっと私をなめてくれる心の余裕が出てきた。
ある日、ふと思った。 私は旦那の手術の時、祈ったかな? 祈った。 でも、手術中、近くの本屋に買い物にいってしまった。 家に帰ってきてから、旦那の為に祈ったかな? 祈らなかった・・・・。 旦那の肩の手術は、事故の急患ではなく、以前から予定していた手術で、生命の危険というリスクは少なかったからかもしれない。 でも、プップちゃんの受難の時のように、必死では祈らなかった。 一番大事な人のことを祈らなかったのである!!
その週の礼拝でのパタリロ先生のメッセージは、「汝、滅ぶなかれ」であった。 なぜか、私が英語の通訳をした。 「天国に行かれるのは、イエス様を信じたものである。 イエス様を通してしか、行かれない。 ならば、あなたの大事な人たち、ご家族、ご兄弟、友人の為に祈り、福音を伝える力を下さい、と祈りましょう。」という内容であった。
天のお父さんはすべてお見通しであった。 私は愛する旦那の為に必死に祈らなかった。
旦那は母親がラテンアメリカ人でカトリックで育った。 しかし、自ら無神論者である、といって、福音派(Evengelist)の友人を怒らせたり、論議をしていた。 EvangelistがBush政権の裏にいて、コントロールしているのがいやらしい。 また、今世の中で起こっている戦争、紛争が、結構宗教がらみで、アメリカの「キリスト”教”」に対して、不信感があるのだ。 なので、教会にはいかない。 一回だけを除いて。
それは、知り合って3ヶ月しか経たない頃、彼が前立腺がん(初期)と診断されて、ショックを受けているとき、当時私が住んでいたニューヨークにワシントンDCに住んでいた旦那を招待して、フィガロの結婚のオペラに連れて行った。 冬だったから、ニューヨークはオペラシーズンなのである。 あと、ニューヨーク見物も。 5番街をCentral Parkの方に上ると、右側にカトリックの大きな教会がある。 有名なやつだ。 そこに入っていった。 当時、私はイエス兄さんを知らなかったので、教会の後ろで、旦那を待っていた。 旦那は前の方にいき、暫くじっとしていた。 あとできくと、「力を下さい。」と祈ったんだそうだ。 ガンの手術、結婚、引越し、体外受精による双子出産、とその後に起こる事なんて、考えもしなかった。 なにせ、結婚するかどうかも考えたことがなかったから。
プップちゃんの受難のころは、日本での遺産のことやら、日本で帰る場所がなくなる自分のことで、もんもんとしていた。 天のお父さんに、「お金下さい。 そして、実家を買い取って、教会にしたいんです。 そうしたら、私も日本で帰るところができます。」 と祈っていた。 でも、パタリロ先生のメッセージを聞いたあと、考えさせられて、今、自分が一番欲しいものは何か、と考えた。
お金じゃない。 大好きな、かけがえのない旦那と一緒に天国で暮らすこと、それが私が望むものなんだ。
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それからは、旦那のことを毎日祈るようになった。 出張が多いので、身の安全と健康を。 そして、「旦那にいつか教会に来て欲しいから、お父さん、お願いします。 教会に来るようになって、イエス兄さんを信じるように導いてください。 私が一番欲しいことは、旦那と一緒に天国で暮らすことなんです。」と祈った。 旦那には、以前、「教会に来る?」と2回聞いたら、「No.」の一言が帰ってきた。 強制したくないので、私と子供だけ行っていたのである。 こういう日本人の奥さんって少なくないと思うよ。
そう祈ること、一ヶ月半。 イースターの日が来た。 我が家にはニューメキシコ州、サンタ・フェから旦那のご両親と弟さんがイースター休暇でうちに来た。 私は何も言わなかったが、何故だか、日曜日は皆で教会に行こう、と旦那が言うのである。 ぎょぎょぎょ!!!!! 母親がいるからか、イースターエッグハンティングがあるからか。 よくわからん。 再度言うけど、私は何も言わなかったよ。 ただ、天のおとうさんに頼んだだけである。
毎朝、森の中をプップちゃんと歩く。 そして、いつもの祈りの場所に行く。 プップちゃんは祈る間、私をじーっと見守ってくれる。 そして、プップちゃんはリスを追いかけるほどに回復した。 はがれた皮膚もあとかたもなく、治っている。 これを書いている今、プップちゃんは足元にいない。 病気の旦那のそばから離れず、じっと見守っている。
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天のお父さん、天国には私たちの愛犬いかれるのでしょうか? <あ>