No. 28 誕生日と化け物
ご無沙汰っす。 一昨日まで、朝は惰眠をむさぼる毎日で、今日からまた、朝6時に起きる生活になってしまった。 子供の夏のESL(English for Second Language)夏講習が始まった。 ということで、遅く床に着くと明日がつらいので、今日は手短に。 先週の金曜日の6月2日は誕生日であった。 その朝は、旦那が起きたのがわかったが、「敢えて」起きて手持ちの朝食をつくらなかった。 学校がない一週間、惰眠をむさぼる快感がこれまた、風呂上りのビールみたいに気持ちがいい。 「今日は、何の日だか、わかっているでしょ?」と言わんばかりに起きなかった。 ベッドのなかで、旦那が自分でサンドイッチを作っている音を夢うつつに聞く。 目が覚めると、なんと双子たちが両脇で寝ている。 いつ、忍び込んだんだぁ~? しかし、出かける旦那に何か言われて、起きて、どこかへいって、戻ってきた。 カードをくれた。 そして、"Happy Birthday!" といってくれた。 翌日の土曜日は、旦那が、ダラスのNobuというレストランに連れて行ってくれた。 高いんだけど、なんと旦那、出張手当てをこの日の為にちょこちょこ貯めていたんだと。 お陰で、とても美味しいデイナーでした。 Nobuでは、シェフのおまかせコース。 最後に出てきた握りすしがなんと、昔通っていた築地の寿司清(すしせい)の握り方に似ていて、懐かしかった。 ご飯は少なめで、ゆるく握るのであるが、それでいて崩れない、そんな握り方。 帰りがけ、寿司カウンターの人たちにお礼をいって、今度昼来ます、と言い残した。 でも、ここ、昼の定食が$50。 こんな金額だから、いつ来れることやら。 46年前、私は東京は渋谷の日赤病院で生まれた。 朝の2時ごろだったらしい。 母は微弱陣痛をおこし、難産の末、やっと私が生まれたそうだ。 生まれたときは、私はなかなか泣かなかったそうである。 昭和35年ころは、Epidural(硬膜外麻酔)も子宮収縮剤というのも、一般的ではなかったので、大変だったんだろうなぁ。 私が生まれたあと、父と祖母は板橋の家まで、歩いて帰ったそうだ。 その道すがら、朝日がのぼり、そのなかを歩いていったのが印象的だった、と父が言っていたっけ。 今年は、XX歳になりました、と電話して報告する両親もおらず、ちょっと寂しくもある。