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No. 82 You Raise Me Up その2ー小さな祈りも聞かれたー

今日も忙しく終わった。 朝一番の用、午後の歯医者、子供の絵画教室に、図書館でのお勉強。  夕飯を食べたのが、ずっと遅くなり、7時過ぎになってしまった。 7時過ぎの夕飯は、9時には、就寝体勢に入る我が家にとっては、とても遅い夕飯なのである。  私は、まだこれからしなければならないことがあるが、今日、起こったことは、書き留めておきたい。 今朝、8時前に子供を学校に下ろしてから、ある申し込みをするために、とある場所に行った。 資料はだいぶ前に用意しておいたので、昨晩は、それを台所においておいた。 今朝、子供を送ると同時に、その書類を車に入れた。 中身は、見直さなかった。 申し込み会場に早めに行った。 会場には、すでに人が沢山座っていた。 暫くぼーっとしていたのだが、何人かの人が呼ばれていった。 その中に、パスポートを持っている人もいた。 ああっ! 身分照明の為に、パスポートが必要だったんだ・・・。  私が持っているのは、パスポートのコピーだけである。 コピーなんて偽造できるから、証明には、現物をもっていかんとだめなんだよねぇ、一般的に。  ああー、今日の受付はおじゃんで、また一ヶ月先にやり直しなんだろうか・・・、とがっかりしていた。 いやー、「あとで持ってきなさい」っていってくれかも。 アメリカって国は、結構温情的だから。 なんとかなるかなぁ・・・。  これが、日本だったら、受け付けてもくれないもんね。 でも、もしかしたら、面倒なことになるんじゃないか。 ああー、もう、いやだなぁー。 まったく馬鹿だ。 忘れてくるなんて・・・・。 と、心の中が穏やかではなかった。 これは、神頼みしかない!と、天のお父さんにお願いした。 お父さん、身分証明書の現物を忘れてくる私はアホです。 またやってしまいました。 それ以外にも、毎日、あなたの心にそぐわないことばかりしている、このアホです。 ごめんなさい。 でも、もし、御心でしたら、もし、よろしかったら、申し込みの受付の人の心を和らげて下さい。 この申し込みがすんなり行くようにしてください。 暫くして、呼ばれた。 受付の人に「すみません。 身分証明書、忘れました。」とまず言った。 「では、運転免許証ありますか?」「はい、あります。」「ソーシャルセキュリティーカードは?」「あー、あれは、うちにあります。」 運転免許証だけでは、不十分で、もう一

No. 81 You Raise Me Up

このところ、Selahというゴスペルグループを崇拝(?)している。 ラジオから聞こえてきて、心を打たれたのである。 早速、CDと楽譜を買って、歌とピアノを練習している。  曲は、昔からある賛美歌であるが、アレンジと歌い手の力量でこれほどまでに、人に感動をあたえるのだなぁ、とつくづく思いいるのである。 ここまで、うまくできるわけないけど、毎日練習している。 このところ、腹筋、背筋のトレーニングも再開した。 発声練習も再開した。 声帯も筋肉なので、鍛えなければいい声が出ない、というとあるVoice Trainer のブログをみて、もっと努力してみようと思ったのだ。 今は、9月10日の夜である。 明日も、忙しい日なので、もう早くねる。 寝る前に、簡単に一つだけUpしておこう。 今日、いとこの訃報が届いた。 歳があまり違わない従妹だった。 中学のとき、吉祥寺につれていってもらって、たばこを教わった、母方のいとこである。 最後に会ったのは、1年9ヶ月前の母の葬式である。 彼女は、大腸がんであった。 子供もまだ小さいそうだ。  明日は、9・11のテロ6周年である。 アメリカの節操の無い外交政策の結果といえば、そうだと私は思う。 しかし、5000人以上の命が失われた。 未だに覚えているのは、New York Timesの写真。 ネクタイをした証券マン風情の男性が、ビルを背景にして、まっさかさまに落ちていく写真。 ネクタイがなびいていた。  14年前、毎朝のように、ワールド・トレードセンターに通っていた私であった。私は、旦那と出会わずに、あのままNew Yorkにいたら、多分死んでいただろう。 以下は、YouTube.comからのビデオ。 昨年の9・11のメモリアルセレモニーでSelahが歌った。 この二つの曲を今、マスターしようとしている。  何故なら、歌もピアノも見事だから。 しかし、それ以上に、詩が素晴らしいのである。 私は、もう寝るけど、明日あたり、歌詞を日本語に訳してみます。 ビデオは8分あります。 周りに差し支えのない状態を確認してからクリックしてね。 だって、仕事中にコンピューターにむかってないちゃったらねー。 You Raise Me Up Words and Music by: Brendon Joseph Graham, Rolf U. Loevland Whe

No. 80 Luciano Pavarotti

超有名な、テノール・オペラ歌手のLuciano Pavarotti (ルチアーノ・パバロッティ)が一昨日、亡くなった。 享年、71歳。 若い死だと思う。 実は、私はパバロッティのコンサートに1.5回行っている。 両方とも、タダ。 ロハ。 New Yorkで、極貧学生だったときのこと。 もう、10年以上前のことである。 住んでいるところは84thのWestsideであった。 そこから、自転車で20ブロックほど南下すると、Lincolon Center (リンカンセンター)があった。 そのなかの、Arvery Fisher Hallには、自転車に乗って、音楽を聴きに行った。  とくに、冬はオペラシーズン。 拾ったぼろぼろの毛皮(というか、もう熊か雑巾をしょっているに近い格好だった)を着て、ヘルメットをかぶり、サイクリングで凍りつくマンハッタンの夜道を下った。 New Yorkの冬の風はほっぺたが切れるようであった。 吐く息も凍りそうであった。 地下鉄のトークンが1ドルくらいだったので、その1ドルも、もったいなく、自転車で移動していた。 (ちなみに、現在はトークンはない。)  お金がなかったから、ひもじかった。 消え行く貯金のなかから、$25のチケットの為に、お金を引き出すには、清水の舞台から飛び降りる決心であった。 それでも、オペラ、クラシックは聴きたかった。一番安い、一番後ろの席のチケットを勇気だして、昼間買いに行った。 その夜は、わくわくしながら、Arvery Fishher Hallに自転車を走らせた。 なので、寒かったが、心は暖かった。  着飾るようなものはもっていなかったので、セーターにジーンズ。  周りは、イブニングドレスと黒い背広にネクタイをした人たちが、オペラが始まる前に、ワインと食事を楽しんでいた。 私は、使い古しのプラスチックのボトルに水を入れて持っていった。 ”Moon Struck"(邦題:「月の輝く晩に」だったかな?不確か)という映画を見たことのある人、いるかな? シェールとニコラス・ケージが主演で、後家さんと婚約者の弟さんとのロマンスとそれを取り巻くイタリア系アメリカ人の家族の映画。 私の大好きな人間臭いイタリア的な匂いがあったし、笑えた。 そして、じーんとくる良い映画である。 後家さん演じるシェールを、最後のデートをオペラで、と頼

No. 79  子供の信仰  その2

3連休のアメリカ。 なのに、連休中日の明日、私は一日中、家にいない。 ということで、旦那が子供達を連れて、ボートに乗せてくれる、という。 このボートは、鴨の狩猟用で、昨年買ったものだ。  私は知らなかったのだが、暗い時間にボートを出すときは、照明のついた棒をボートにつけなければいけないらしい。 つけないで、見つかるとなんと$500の罰金だと。 なので、旦那は、このくそ暑い中、ボートに穴をあけて、照明灯のついた棒を設置していた。 これまた、今日の夕飯時のこと。  旦那:「今日は、ボートに照明燈のついた棒をつけたから、もう大丈夫だ。」 娘:「なんで、照明燈をボートにつけなければいけないの?」 旦那:「だって、法律だからさ。」 娘:「どの法律?  『モーゼの十戒』   ?」 ここで、私と息子はこけた。 息子は、食卓のベンチにのけぞった。 旦那は、凍っていた。 かちかちになって、無口になった旦那を娘は、じぃ~~っとみて、一言。 「You have beautiful eyes.... (あらー、美しいまなざし・・・)」 娘は(息子も)7歳である。 ******************** 食事が終わり、お皿をあらっていると、娘が私のところに来て言う。 娘:「マミー、『モーゼの十戒』の10個、すべて知っている?」 私:(うぐっ)「えーっと、 像を作って拝んではいけない 。 でしょ、 結婚したら、他の人を好きになってはいけない。 でしょ。  人に対して、嘘の証言をしてはいけない。  たとえばさー、おとなりのエミリーが悪いことして、あんたに、『私がしたって言わないで。』と頼んでも、エミリーのお母さんいは、正直にいわんといかんのよ。  あとは、 安息日を守れ、 だわ。」 娘:「これってなぁに?」 私:「日曜日は教会にいって礼拝しなってこと。 あなたは、今まであまりいかなかったよねー。」 娘:「わかった。 これからちゃんといく。 今まで、教会は、とっても退屈だったけど、最近、たのしいから。」 私:「オーケー! あとは、っと・・・・・・、うーん。 思い出せないなぁ。」 そう。 十個しかない、神様が決めた法律。 なのに、この私は覚えていない。  あー、だめなイエス営業部員だわ。  娘が、聖書はどこにあるの? だと。 絵付の子供用の聖書が居間においてある。 娘は、それを持ってきて、食卓に座

No. 78 自分の子供の信仰

さっき、子供と夕食をとっていたときの会話。 やぶから棒に、娘が切り出した。 娘:「天国にはどうやっていくの?」 私:「(何を突然言うか、この娘・・・) それは、昇っていくんだよ。」 娘:「え、でもどうやって天国に行かれるの?」 私:「それは、簡単なことさ。 イエスを信じて、口に出して、『信じます』って言えばいいんだよ。」 娘と息子:「なんで?」 私:「だってさー、聖書に 『心で信じて、口で告白して救われる。』 って書いてあるんだもん。」 娘と息子:(口を揃えて)「うん。 信じる。 僕、(私)イエスを信じるよ!!」 私:「(何を突然言うのか、この二人は???)」 そこで、娘が食卓のベンチの上に立って、飛び上がろうとしている。 私:「何してんの? お前?」 娘:「口で信じるって言ったけど、昇らないよ・・・。天国いかないよ。」 私:「おいおい、お前ーー。 死なんと、天国にいかれないだろが!」 娘:「(目を点にして)えっ?」 私:「命とか、時ってのはさー、神さんが決めてるから、何時天国行くかわかんないよ。 あんたは、今日の命をもらったんだよ。 ところで、あんた達、それだったら、洗礼受けないとだめだよ。」 娘:「なにさ、洗礼って?」 私:「水のなかにざぶんって入って、ばっと出てくんの。」 息子:「そうやって、僕の体の何かが変わるの? 何かがとれるの?」 私:「そういうこっちゃないけど。 漬かって、すぐ上がってくるだけだよ。」 娘:「どうしてよ。 私、もうクリスチャンだよ。」 私:「(また、何を突然言うのか、この娘) あのなー。 イエスと同い年のバプテストのヨハネって人がいてねー、イエスに洗礼を授けたから、私達もイエスの真似をするんだよ。」 息子&娘:納得した様子で、うなずく。 私:「じゃあさー、イエスを信じるというのなら、これから毎週日曜日には、教会へ行かないとだめだよ。 今までは、『行きたくなぁ~い』だったじゃん。」 息子&娘:(口を揃えて)「行く、行く!」 私:「(何を急に言うか。 この二人は・・・。 今までは、いきたくなぁ~いって言っていたくせに・・・・)」 息子:「マミー、ところで、赤ちゃんはどうして出来るの?」 私:「結婚しないとできないよー。」 息子:「赤ちゃんは、ぼくのタマの中にはいるんだよねー。 ちんちんの中にもはいるんだよねー。」 私:「ばっ

No. 77 よくもまあ、こんな下手な・・・・

8月10日からこの土曜日まで、またまたサンタ・フェの旦那の両親のところに行っておりました。 片道11時間かけて夫婦で交代して運転して行って帰ってきました。 なので、今日も疲れは残っています。 なのに、夕方からまた庭仕事をしてしまい、今、夜なんですが、くたくたでありんす。 今、自分の書いたBlogを読み返していたんですが、よくもまあ、こんな稚拙な文を読んでくれる人がいるんだな、と驚いています。 誤字、脱字はものすごく多い。 それにとどまらず、文章の構成も、時間的にいったりきたりしているし、文章の一節が長すぎることが多い。 なので、内容がうまく伝わっていない、と自分でも思う。 読んでくれている人たちには、もっ難解であろう。 本当にへったくそな文!  あーあ。 一応、このBlogには、Google の「Analytics」というWebやBlogに来てくれる人数などをレポートしてくれる無料解析プログラムのコードをはってあるんですよ。 それ見ると、この一ヶ月、なんと290人の人が訪ねてきてくれている。 半分は、キーワード検索していて、「あれまー、こんなところにきてしまったわい。」、とすぐに他のサイトに行く人たちです。 それでも、きちんとこのBlogに来てくれて、読んでいってくれる人は、月のべ100人を越えているんですよね。 これは、驚きです。 このBlogにきてくれる人には、日本、アメリカだけではなく、香港、スリランカ、イギリスから覗きに来てくれる人たちがあります。 いったい、どうして、ここにきてくれたのか?? 他のサイトにで紹介してもらっているんで、そこから来る人たちもいますし、キーワード検索してこられるかたも。  訪れてくれる人のなかには、とわざわざ時間を割いてコメントを書き込んでくれる人jもいます。 私の小中高の友人も、たまに読んでてくれるようです。 しかし、この下手な文章、どうにかならんかいなぁ・・・・・・。 読み返していくと、一つのBlogに話題を多くつっこみすぎる傾向があります。 なので、これからは、もっと短く、完結な文にしていこうか、と。 あと、最近は、文字のサイズを大きくしました。  老眼の人も多いだろうし。 しかし、この「老」眼って単語、どうにかならんかねぇ・・・・。 「成熟眼」とか「分別眼」てのは? ほら、こうやって、話がそれるし・・・・。 ピアノも今日ち

No. 76 ダクトの掃除、その後(No. 75 固定観念の追記)

今日は安息日の日曜日であるが、私たち夫婦は働いた。 朝、旦那は早速屋根裏にあがり、LintEaterでごりごりごりと「正しい」ダクトを掃除していた。 昨晩、手伝うよ、と言った私は、犬と子供達とで、Bedで遊んでいた。 しばらくして、旦那が、「こっちきて、見てみなさい。」と言う。 キッチンの方に寝巻きのままで赴く。 汗まみれの旦那の手にあったものは・・・・・ 「鳥の巣」 だった。  それも、かなり大きい。 ここら辺は、Hay(ヘイ)といって、馬と牛の餌にする干し草が平原にどーんと置かれている。 その干し草をつかった鳥の巣。 屋根とダクトの出口にあり、さらにダクトの中にまで、巣があったそうだ。 確かに、雨水をしのげるし、冬は乾燥機からの暖かい空気でぽっかぽかである。 でも、夏は、住めやしないぞ。 この巣のお陰で、一年近く、乾燥機がうまく使えなかったのだ。 だから、排気を家の中からオフィスのある一角に出していた。 家の一部がほこりまみれになっていた。 旦那の6ヶ月以上続いた出張もひと段落したので、こうやって、やっとダクトを直すことができた。 一休みしてから、庭の芝刈りをするから、とうい旦那。 でも、結構疲れているようなので、芝刈りは、私がした。 木の剪定(せんてい)に、雑草取り。 また、土方焼けにはくがついた。  教会に行く途中、豪雨に見舞われる。 礼拝も大幅に遅れた。 でも、ちょうど庭の水撒きが必要だったので、ちょうどよい、お湿りであった。 鳥の巣、といえば、もしかしたら、暖炉の煙突の出口にも、あるのではないか。 朝、たまに、暖炉から、鳥のピーチクパーチクが聞こえることがある。 また、冬がきて、暖炉を焚く日が来れば、焼き鳥となって落ちてくるか??? ということで、労働してしまった安息日も終わる。 今日も9時までには床に入って、「How doctors think」を読むこととしよう。 今週も安全で、良い一週間でありますように。  あなたにもね。 あかしや番頭     メールを送る

No. 75  固定観念

今朝4時に、老犬に起こされた。 ベッドのわきにきて、「う゛ー」と言われた。 人間の言葉に翻訳すると、「はよう、起きて、あたしを外に連れていかんかい! もれてしまうで!」である。 夢遊病者のように起きて、犬を外に出して、「わん!」と呼ばれるまで、居間のソファーに寝ていた。 自分のベッドに戻ってからは、私のこと、すぐに眠りについた。 旦那はそうじゃなかった。 その時から起きてしまい、家の仕事を始めた。 土曜日の今日の私たちの仕事は、詰まっている乾燥機のダクトを掃除して、空気の流れをよくすること、と、車のメンテであった。 そのダクト掃除には、先日Lint Eaterという道具をネットで買った。 煙突掃除用の細長いワイヤの先にブラシやら、小さなつかみ手のようなものを装置して、ダクトの中を這わせる。  私が起きたころには、旦那は朝食を外ですませ、必要な道具をHome Deptというところで買ってきていた。 屋根裏の板を削る電気のこぎりの音がまもなく聞こえてきた。 うちのばか犬は、何事か?といぶかしげであった。 昔のビクターのマスコットであった、ダルマシアン犬が蓄音機のラッパ型のスピーカーに耳を寄せて首をかしげている、まさにそんな感じで。 下から掃除道具を入れたが、途中、ひっかかったらしく、屋根裏にあがって、上からも詰まったリント(Lint:衣類からでる繊維のごみ)をとろう、という魂胆であった。 ダクトは、地上階から屋根裏に登って、外に熱い空気が排出される用に這わせてある。 日中は40度ちかくなるダラスの夏。 さらに、屋根裏部屋はもっと気温が高い。 その中で、旦那は一生懸命働いてくれた。 途中、旦那が屋根裏からおりてきて、「面白いダクトシステムで、つっかかったのは、なんとFanが途中に入れてある。 おもしろいシステムだね。」といっていた。 私も、「うん。よく出来たシステムだね。」と答えた。 午後は、車のメンテ。 3月のInspection(年次車検というのか)の時、メカニックがパワステ用のオイルというか潤滑油が汚いので、交換しなきゃだめ。 エア・フィルターも汚い、と見せてくれた。それぞれ、$20と$70かかると言う。 うーん。 それは、ちょっと高い。 自分で変えられるからいいや、と断った。 それを旦那と一緒にやろうとしたら、午後、あっという間に旦那がすべてやってくれた。 部品、

No. 74 Have you hugged your children today?: 今日、子供達を抱きしめたかい?

最近、生活のリズムを変えた。  夜、9時から10時が旦那の就寝時間なので、私も同じ時間に床に就く事にした。 朝は、旦那の朝食と昼のお弁当二つを作り、7時には、いってらっしゃい、と送り出す。 その後、洗濯、子供の食事、そして、子供の勉強をみっちりとする。 午後はなんだかんだ買い物などの用が入り、あっという間に6時過ぎには、夕食。 夕食を片付ければ、もう寝る時間。 ということで、コンピューターに向かう時間はほとんど無くなってしまった。 明日は、早く子供達を起こして、ダラスのダウンタウンにある博物館にいこうと思っている。 博物館への行き方をネット検索したついでにこれを書いている。 ***************************** 2日前に6年ぶりにフロリダに住んでいた時のご近所さんに用があって電話した。 うちから4件隣にすんでいたレバノン人の家族であった。 1997年、1998年あたりに、そこの高校生の息子さんの数学の家庭教師をしていた。 優秀なお子さんで、優等クラスに入ったはいいが、数学にちょっとついていけなくなった、ということで、彼の母さんから頼まれた。  ご近所さんだから、毎日来ていいよ、値段も安くしておきましょう、ということで始めた。 背の高い子で中近東人の綺麗な顔をしていた。 毎日、学校が終わると、家に荷物を置いて、すぐに私の家に来た。 お父さんが自分で会社を経営していて、お母さんも事業を手伝っているため、時には、かぎっ子状態であった。 なので、うちで、水とスナックを出してあげた。 育ち盛りだから、よく食べた。 いつも勉強のはじめには、「今日、学校で何があったの?」と聞くようにしていた。 だんだんうちとけて、「今日、俺、伝説を学校でつくったんだ! バスケットの試合ですごい業をしたんだよ。」とか、「あの先生ににらまれた。」「麻薬は学校で簡単に手に入るよ。」などと、自分の親には、話さないであろう内容の会話もしてくれる間柄になっていった。 勉強の方も、試験を受けるコツ、見直しの大切さを教え、幾何学では、箱をつかって立体モデルを作って説明した。 結果として、平均して、95点以上の成績をキープできるようになった。 その子は3人兄弟の長男だった。 妹さんと一番下には弟さんがいた。 時に、頼まれて、妹さんが数学で苦労していたときは、タダで見てあげた。 一度、3兄弟が

No. 73 またやってくれた、ばかちんちん

本来なら、No. 73  すべて任せて飛ぶ その2、と来るはずだったのであるが、今日起こったことを書く。 うちのばか犬は1歳になった。 でも、物を噛む癖はまったく治らない。 毎日、何かが噛み砕かれて、床に散らばっている。 それを片付けるのも疲れてきた。  このばか犬が我が家に来てから、余計な事が増えて、疲労困憊となった一年であった。 あまりにも、いたずらが過ぎるので、最近は、「ばかちん」と呼ぶようになっている。 先週、時差ぼけフルスイングの時に、昼寝をしていた。 なんのきなしに起き上がってベッドの横をみると、ばかちんは、バッグの中から私の携帯電話をそろりと抜き出して、アンテナのところくわえて、そーっと引きずっていた。  現行犯逮捕とあいなった。 今日の午後、自分のオフィス野暮用をしていると、突然、子供達が大声を上げながら入ってきた。 「たいへんだー!! ○○(犬の本名)がマミーの電話を食べたーー!!!」 なにぃーっと、寝室へかけていった。 そこにあったのは、かじられた私の携帯電話。 ソフトカバーをつけてあったのだが、その下半分がかじられていた。 アンテナの先のプラスチックは消えていた。 延長アンテナは、曲がっていて、中に押し込んでも入っていかない。 細い針金が出たまんまになってしまった。 アンテナの元の太い部分には、歯型ががじがじに後を残していた。 しかし、電話は死んではいなかった。 なので、歯型のついた電話だけども、そのまま使うことができるので、買い替えの必要はない。 ただ、ばかちんは、証拠をしっかりと残し、双子の証人もいるので、執行猶予なし、情状酌量なしの確信犯である。  電話を鼻っ面に持ってきて、「ばかちん。 この、ばかばかばかばかばかばかばかーーーー!!!」 と頭とお尻を何回かひっぱたいた。  こうして教えないと、再犯となる。 昨日の礼拝の牧師のメッセージの冒頭は、「Dog Wisperer」(犬と会話が出来、どんな犬でも手なずけてしまう人のこと)の話であった。 そういったDog Wispererは犬を大声で決して叱らない、手を挙げない、とのこと。  そのメッセージを聞いた翌日に、しっかりと飼い犬をひっぱたいている私である。  これを馬耳東風という。 旦那はいつも4時過ぎに帰宅する。 帰宅したところを見計らって、買い物と郵便局に行った。 郵便局では長蛇の列。

No. 72  すべて任せて飛ぶ  その1

今朝、また2時40分に目が覚めてしまった。 日本から戻りすでに5日も経つというのに。  今回の時差ぼけは、かなりきついのである。  いつもなら、帰国後3日目くらいが一番きつくて、その後は、だんだんとアメリカの時間になじんでいくのであるが、今回は違う。 子供達も昼間寝てしまい、翌朝は早朝4時から全開で遊びまわる。 今回は旦那は出張が続き、お留守番で、日本にはいかなかった。 当然であるが、彼には時差ぼけがなく、通常のスケジュールである。 朝の4時から子供達が「ダディー!!」と騒ぐので、旦那にとっては、降ってわいた大迷惑である。 今、私はキッチンでお茶をいれたのだが、うちのばか犬が湯飲み茶碗の音を不法侵入者と勘違いして、「わお わお わおーん」と吠えた。 このばかちんは飼い主にも吠える。 どうしようもない「あほ」である。 「ばかちん!それは、私だ!吠えるな!」と押し殺した声で叱咤したものの、果たして、旦那を起こしてしまったのでは、と冷や冷や。  *************** 今回の日本への帰国は、去年の年末と同様に、「行かねばならぬ理由」があった。 私は誕生日が6月で運転免許の更新が今年となっていた。 日本を出てしまった者にとって、免許証は日本に於ける大事な身分証明書となる。 その為、更新はしっかりやっておきたいと思った。  まだ、親の残した小さな遺産の分割も済んでいないので、分割協議書には、印鑑証明だの、戸籍謄本だの、免許証だの、と煩雑ながらも、いろいろな書類が必要となる。 こういった証明書の類は、先手先手で準備万端にしておきたい。 結果的に、こういった努力が時間と費用の短縮になると思う。 また、日本で働いていた時に加入していた「ガン保険」「介護保険」を解約する必要もあった。 20代、30代の頃の私は、自分は結婚して家庭を持つ、などと思っていなかった。 その為、将来に病気になった時と寝たきりになった時の為に、会社で提供していた上記保険に20才台の後半に加入していた。  アメリカに渡ってからも、多少の蓄えは日本の口座に残しておいたので、そこから毎月の保険料を自動引き落としで支払っていた。 しかし、過去十年は親の件で一年に1-2回は帰国していた為、その貯金も尽きてきた。 そして、口座残高が足りなくなって、保険料を引き落とせなくなっていた。 この春に、保険料未払いの為、保険

No. 71 インターネットのない生活へ

6月下旬まで無沙汰をさせていただきます。 そこには、インターネットが無い、日本海に面した集落というか、村というか、町です。 昔は共同浴場があり、秋には、若者たちが剣を持って踊る祭りがあります。 お寺があって、それを中心に村ができています。 お店は一軒しかありませんでしたっけ。  年を取った方には、その村から一歩もでたことがない、といいます。  ちょっと出ると地平線に砂丘が見えて、そこまでずっと田んぼが続きます。 今頃は、苗代で稲が生長していて、田植えの時期だとおもいます。 過去25年通っていたんですが、最近は駅の周りも華やかになってきました。  おどろいたことに、教会も出来ていました。  では、6月下旬に。 あかしや番頭

No. 70 GPS

先週の終わりから、旦那とのコミュニケーションの時間をしっかりと持つため、夜9時の旦那の就寝時間以降は、コンピューターに向かうのを辞めた。 でも、今日は、旦那は出張。 それに、神さんに書けって言われているようだ。 日本行きの準備やら、ケーブルから光ケーブルのブロードバンドに変える工事やら、息子のサッカーやらでくたくたなので、30分以内で書いてみようと思う。 自慢ではないが、私は野外や路上での方向感覚が悪くない。 太陽の場所とか、感覚的に方向がわかる。 本当に迷って困ったというは、イタリアのベネチアでまよって、ウィーン行きの夜行列車の出発5分前に列車に飛び込んだということくらい。 一方、旦那は始めての場所は方向音痴。 歌も音痴。 だからか、狩猟のポイントを記録しておくためか、GPSのナビゲーションの端末をだいぶ前に購入した。 ちょっとした遠出には、このGPSを持っていく。 GPSとは、Global Positioning Systemの略で、衛星からの信号を受けて、地球上の位置を確定するシステム。いまや飛行機も船も使っている。 この週末、旦那の上司というか、仲の良い人の別荘というか、キャンピングカーの置いてある湖畔のコミュニティーに行ってきた。 これは、2006年の夏あたりの弊投稿「みあげてごらん、夜の星を」に書いた場所。 我が家から2時間のところ。 ダラスの北東にあり、ルイジアナ州よりである。 さて、旦那はこのGPSを車に乗せて発信した。 子供の日本語学校からの出発であった。 私は、一回行った場所なので、方向、使う道、ハイウエイはあたまに入っていた。  このGPS, うるさい。 そろそろ曲がる、ってときに、「ビビッ」と言う。 今、曲がれ、ッちゅー時には、、「ビビーッ!」  さらに、このGPS, 危ない。 運転しながら、旦那、「ピッピッピッ」って、GPSの機械のボタンを押すもんだから、こちとら、事故になりやせんか、とひやひや。 私にとっては、道順と方向をを最初から頭にいれておいて、肝心な右か左かの曲がる方向と場所だけ掴んでおけば、大丈夫なのであるが、旦那は、GPSに頼っている。 なんか面白くない。 あぶない。 うるさい。 さて、日本語補習校をでて、私はてっきりMarshという道を右にまがって、635というダラスを中心の環状線を通って、I-30というハイウエイを東にいくも

くそ忙しいぞ!

5月下旬の日本帰国 -いや、滞在というのか ー に向けて、こまごまとした準備で忙殺されているんだよね。 子供たちを田舎の小学校に体験入学させる。 通学服の色と形が決まっているし、体操着だの、「名札」をつけなきゃいけない。 なにも書いていない真っ白の子供のT-シャツを探すだけで、くたくたになる始末。 ないのよ、子供用の白いTシャツ。 体操着袋、歯磨きセット袋・・・。 それに名前かいて・・・。 うわばきの存在すら忘れていましたよ。 いろんな人に世話になるから、おみやげを選んで。 アメリカってろくな土産ないんだよね。 日本で入っていたいろいろな保険も解約するし。 解約書類、PDFで送ってください、と頼んだけど、「本紙」 - たぶん、厚い紙なんだろう - じゃないと駄目とか。  それに、日本では、免許更新に28年ぶりに高2クラスの同窓会に、いとこと一緒に温泉だ。 親が二人ともいないってのは、やっぱ不自由だね。 「親を敬いなさい」 - 十戒  ほんとうだよね。 出発までに、書けたらかくね。 あかしや

No. 68 パンドラの箱

前回の投稿でかいたように、私は遅刻大王であり、時間の使い方がへったくそである。 そして、家の片付けも大の苦手なのである。 物が捨てられない。 昭和一桁生まれの両親にそだてられたからかも、と理由を死んだ親にこじつける。 昭和一桁生まれの人たちは、第二次世界大戦、または、太平洋戦争のとき、10代を過ごし、戦争中は配給制、戦後派は物資不足の中を闇市で口糊をしのいできた人たちが多いので、物を捨てない。 なので、親からは、「物を上手に捨てる。」ということを習うことをがなかった。 私の捨てられないもの、とは、本。 大学の時の(アメリカでの)ノートと教科書。 子供の書いた絵、作品。 紙の手提げ袋。  とくに、本は、司馬遼太郎がすきだし、そのほか、いろいろな本がある。 何度も読み返すことがあるので、捨てられない。 旦那も一週間に、1-2冊読んでしまう人なので、二人の本の数がすごい。 数ヶ月前、ついに、本棚が重さで崩れ落ちた。 それも修理しておらず、山積みのまんま。 大学の時の教科書は、会計、税制の分厚い本があって、今でも使うので、自分のオフィスの上にしまってある。 ノートもきちんととっていたので、これもすてられない、というか、会計などの技術的なことのノートはあとで読み返すかも、と捨てられない。 さて、これだけではない。 アメリカでは、毎日これでもか、これでもか、とダイレクトメールが来る。 それをいちいち開けて見る時間がないので、そこらへんにぽいとおいて、それが山となる。 これだけは、なんとかしてほしいものだ。 さて、物を捨てられない上に、我が家には、引越し荷物がダンボールにはいったまま、たくさん残っている。 私たち家族がシンガポールからテキサスに引っ越してきたのが、2004年の9月の終わりであった。 となると、今年の秋で3年となる。 それを遡る2002年の9月にフロリダからシンガポールに引っ越した。 となると、2002年から2004年の間に海外引越しを2回したということだ。 私自身、日本にいるときから数えて引越しは、海外引越し2回を入れて合計7回である。 旦那は、その3倍くらいは引越ししているんだと思う。 引越しをするたびに、「なんでこんなに荷物があるんだろう。」といつも驚く。 それは、引越し回数を重ねるごとに、荷物の量は増えるのであった。 引越しが頻繁になると、引越し荷物を開けな

No. 67 時間のやりくりと要領

ここで告白する。 私は遅刻大王である。  中学の頃から、遅刻は得意であった。 まだ、時間あるやーっていつも構えていて、直前になって青くなって、ばたばた・・・。 早くいって待ってりゃいいのに、どうもぎりぎりまで、うだうだしている。 結果遅刻となる。  高校のときは、学校まで7分というところに住んでいて、学校と家の間に担任が下宿していたので、歩いて学校に向かっている担任を走って追い越せば、遅刻にならなかった。 まったく自慢にならない。 母に生前言われた。 あなたは、このことでいつか大失敗する。と。 失敗、とは意識しないまでも、信頼は失っているんだろう。 あーあ。 子供にも悪い影響、与えてるんだろうなぁ。 さらに、私は時間の使い方がへたくそである。 これを少しここでやって、次にこれをここからやって、という芸当ができない。 何か始めて、それに没頭してしまうと、途中で止められない。 次に計画していたものが出来なくなる。 一度始めたことは、集中してしまうと、かっぱえびせんの状態。 ♪やめられない、とまらない、かっぱえびせん♪、なのだ。 以前、上司に「お前は竹槍投げだ!」といわれたくらい、何かを始めると、職場にも帰ってこなかったり・・・。 しかし、竹やりって、今でもあるのか? まあいいや。 そんなことで、毎週のように、後悔ばかりしている。 このBlogだって、今日は辞めとくかと、思っていても、書き始めると一気に書いてしまうので、結果として、寝るのが遅くなり、翌朝つらいのである。 そんなことしてるから、朝は、子供たちを短時間で食べさせたり、あげくのはてに、送っていく車のなかで食べさせるということになる。 ぐうたら母親である。 さて、こんなアホがMIXIというオンラインコミュニティーにはまったらどうなるか、それは火を見るより明らかである。 28年ぶりの高校の同窓会の連絡をMIXIでやっていた、という理由もあるが、別のコミュニティーで、いろいろあり、そこで時間をさいて、投稿していた。 なので、結構時間を取られていたようである。 いつものことながら、どつぼにはまっていたんだと思う。  これが度を越すと、日本語では、「○○中毒」「○○依存症」と呼ばれて、英語だと、「○○Abuse」とか、「○○Addiction」となるんだろう。 しかし、先週の日曜日から一日のスケジュールを変えた。  朝は

No. 66 わたしゃ、妖怪ではないぞ!

ごぶさたで候。 さて、このブログを読んでくれている人たち何人かから、「なんで、あかしや番頭なの?」と聞かれる事がある。 もったいつけて、「それは、ブログを読んで。」とじらしているのである。 あかしや番頭とイエス兄さん、なんの関係があるんだろうか、と悩んでいる方へ、今日はその意味を説明しよう。 苗字の「あかしや」は「吉本興業」からか? さんまと関係でもあるのか? と思われる人もいるだろう。 あれは、「明石」(あかし)からきているんだと思う。  でも、私のは、別の漢字の「証」(あかし)、から取った。 ほんじゃ、「証:あかし」ってなんじゃらほい?という方たちへ、説明しようね。 わたしゃ、牧師でも牧師の奥さんでも、神学校の生徒でもなぁーい。 ただの、普通の主婦。 旦那のことをほっぽらかして、自分の部屋で、夜はコンピューターにむかって、カタカタとキーボード打って、うつつをぬかしている、ただのぐうたら。 おまけに、まだ聖書全部読み終えていなぁーい。 こんなんだから、神さんとイエス兄さんのことを格調高くはなせなぁーい。 理論に沿って話せなぁーい。 この文読めばわかるっしょー。 XXXXXという御言葉(みことば)は、○○○○○の手紙の△△章◇節にある、なんて、辞書みたいに出てこない。 でも、イエス兄さん、神さん、聖なるバディーは、私たち家族を津波から救ってくれていたし、母を天国に連れていってくれたし、このコンピューターをただでくれたり、もう、いろいろ世話になりっぱなし。 なので、せめて、心にじぃーんときたこと、思うことを自分の出来る範囲の稚拙な文章でなんとか表して、感謝の気持ちを表現したい、っちゅーことなんだよね。 自分の体験、心と魂でじぃーんときたことを私なりの言葉で表現して、お友達とか、知り合いに話すこと、それが「あかし:証」なんだよね。  別のいいかたすれば、彼氏とか彼女のことを、「こんなにいい人で、こんなにいいこと、私にしてくれたんだよーん。」って「のろける」ことなのさぁ。 「神さんって、こんなにいい人で、すごくってさぁー、こーんなこと、私にしてくれたんだよねー。」って調子で。 牧師さん・神父さんが持っているちゃんとした知識が私になくても、「のろける」ことなら、アホな私にだってできるもんねぇ。 そうだしょ?  じゃあ、そうやっていこうかぁーって、苗字を「あかしや:証屋」にし

イースター:オクラホマにいっとるで~

イースターの週だ。 ここ、アメリカでは、学校が休みになったり、交通量が増えている。 メキシコに用があって、連絡したけど、返事なし。 そうだ、Semana Santoといって、「聖なる週」ってことで、仕事してないと思う。 4月3日がイスラエルのお祭りの「過ぎ越しの祭り」なんだよね。 その祭りが始まる前に、イエス兄さんは十字架の上で死んだ。 そして、3日後に蘇った。 ちゅーことは、本当の復活の日は、今年は、4月5日ってことか? 暦の上では、4月8日がイースターとなっているけど、これは、日曜日だから。 本当は違う日ではないかなぁ。 さて、下痢から復活した私ですが、家の汚さ、洗濯物がエベレスト、という状態で、がたがたしていたんです。 それなのに、今度は明日から、オクラホマに一泊してきます。 親戚まわりでんがな。 今日の夕方から、うちの教会が間借りしている教会で、合同礼拝があった。 うちの教会+韓国の教会+アメリカの教会とで。  クワイヤー(合唱団)に参加してきたんだけど、今日一日歌っていたし、睡眠不足もかさなって、今日はもう、くたくたのくたさん。 だめだわ。  イースターのことなど、書きたいな、と思っていたけどなぁ~。 日本だと、あまりイースターって聞かないよね。 ん? たまごに色を塗る? イエス兄さんとは関係ないものだよ。  まあ、お時間あったら、マタイによる福音書の26-28章を読んでみてくださいなぁ。 っちゅーことで、わたしゃ、もう寝るわ。 おやすみね。

No. 65 寝込んで思ふこと

この金曜日、3月23日に11時間運転してサンタ・フェから帰ってきた。 帰ってくる日から気持ち悪くて、家についてからは、ダウン。 胃にくる風邪らしい。 日曜日の夕方、すこし良くはなったので、固形物を少し食べた。 その夜中、ものすごい腹痛とものすごい下痢。 恐れていた「げげ」はまぬがれたものの、真夜中、一人で結構苦しんだ。 なにせ、トイレには5分おきに行かなければならなかった。 ばか犬も眠くて、起きて来やしない。 その苦しみのなかで、現在、抗がん剤の副作用に苦しむ友を思った。  抗がん剤の副作用の吐き気と下痢、脱力感とは、これ以上のものであろう。 私のこの症状は一週間でなんとか治るであろう。 しかしながら、彼女はこのつらい状態が一年続くわけである。 それを思ったら、苦しみのなかでも、「神様、私のこの苦しみを取り払ってください。」と自分の為に祈るよりも、その友人の為に祈ることとなった。 このつらさも、多分、彼女の苦しみの百分の一を理解できるように与えられたんじゃないか、と。 それを思ったら、また、マゾ精神なのか、この苦しみを有難うございます。 これで、彼女の苦しみが少しわかります。 もっと彼女のことを祈っていきます、と祈った。 そして、いつの間にか眠りについた。 しかし、こういった苦しみを家族から離れた病院で絶えているご老人たち、いかに寂しいだろうか、と思う。 夜中の病院、ブザー押して、「痛い。 助けてください。」といっても、夜中は看護士が手薄だから、希望がなかなか叶わない。 家族の負担はものすごいけど、やはり、お年寄りは家で家族と一緒に最後まで過ごせるのがいいのかなぁ。 家族といっても、嫁とか姑とかあるから、複雑だろうけど。 その翌日の昨日、前夜の苦しみの再発が怖くて固形物を食べれず、何も食べずに、寝ていた。 直腸がんでなくなった親友の旦那さんを思い出した。 腸が癒着して、最後には何も食べれなかった彼。 下がふさがっているから、食べ物が下からでない。 逆行するのみ、という地獄の苦しみ。 「俺、本当はチャーハンたべたい! 餃子たべたい!」と言っていた。 その気持ちも分かった。 3時にはなんとか子供たちを迎えにいって、その脚で、スーパーにいき、ゲーターレードを沢山かってきた。 日本だったら、ポカリスエットを迷わず10本は買っているんだが、合成着色料がまかり通るアメリカ。 赤

春休み

3月19日から一週間、子供の学校の春休みです。 ということで、また、じじばばの住むSanta Feに行ってきますだ。 また、600マイル、旦那と交代で12時間運転か・・・。 でも、ばばが楽しみにしているので、行ってきます。 明日の朝、3時起き。 気が向いた人は、天のおとうさんに、「道中、守ってね。」って言ってみてくださいね。 では、3月の下旬まで! あかしや