No. 48 "9-11"
ピアノの続きを書こうと思っていた。 今日の午後、気がついた。 今日は9月11日。 同時多発テロにアメリカがショックを受けた日。 今日は、5周年で、ABC,CNN等で特集を組んでいた。 私は以前、マンハッタンに住んでいた。 最初は、Upper West Sideという、セントラルパークの西側。 84丁目に住んでいた。 ユダヤ人が多かった。 男性で、頭の後頭部に黒い円形の布をピンで留めている人が多い。 私は、あれは「はげ隠し」と思っていた。 それは、ユダヤ人が着用する「ヤマカ」というものであると後で知った。 日本人とユダヤ人の夫婦も多くいたところだと記憶する。 大学の数学と統計学の教授も、ヤマカをかぷった上に、山高帽のようなものをかぶり、黒い服をきて授業をしていた。 はげ隠しはともかく、84丁目のあとは、20丁目に引っ越した。 通っていた大学が18丁目、23丁目あたりにちらばっているので、早朝の授業のスケジュールにあわせるために引っ越したのである。 今の自宅のトイレより狭い19階にある自分の部屋からは、Brooklyn Bridgeが遠くに見えた。 私は日本で会社勤めを11年したあとに、すべてを捨てて、ニューヨークに飛んだ。 貯金と好きな沢山の本だけを抱えて。 学生ビザだから、正規には働けない。 違法で働いている人は沢山いたけど。 でも、働く時間もなかった。 勉強に忙しくて。 しかし、貯金通帳の残高がどんどん目減りしていくのは、恐怖であった。 部屋代、授業料・・。 ニューヨークでは高い。 でも、学生ビザでは、働いてはいけない。 8月にニューヨークに行ったが、ニューヨークは8月下旬となると、涼しくなる。 9月の下旬にはコートが必要。 日も短くなる。 お金使えないから、切り詰めるのは、食費となる。 結構ひもじかった。 なので、たまに教会に誘われて「食べ」にいった。 寿司が頭の中を飛ぶ夢もみた。 そういうときに限り、悪友が寿司の写真をはがきに貼って送ってきたのである。 ニューヨーク時代の極貧生活とある困難を乗り越えた話は別途。 ともかく、ひもじく、寂しく、つらい思いをしながらも、なんとか2セメスターを終えた6月のある日、就職課に足を運んだ。 そしたら、日本語ができるということで、そこからとんとんとアメリカの某大会社への就職が一ヶ月以内に決まってしまった。 留学生もキャン