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No. 71 インターネットのない生活へ

6月下旬まで無沙汰をさせていただきます。 そこには、インターネットが無い、日本海に面した集落というか、村というか、町です。 昔は共同浴場があり、秋には、若者たちが剣を持って踊る祭りがあります。 お寺があって、それを中心に村ができています。 お店は一軒しかありませんでしたっけ。  年を取った方には、その村から一歩もでたことがない、といいます。  ちょっと出ると地平線に砂丘が見えて、そこまでずっと田んぼが続きます。 今頃は、苗代で稲が生長していて、田植えの時期だとおもいます。 過去25年通っていたんですが、最近は駅の周りも華やかになってきました。  おどろいたことに、教会も出来ていました。  では、6月下旬に。 あかしや番頭

No. 70 GPS

先週の終わりから、旦那とのコミュニケーションの時間をしっかりと持つため、夜9時の旦那の就寝時間以降は、コンピューターに向かうのを辞めた。 でも、今日は、旦那は出張。 それに、神さんに書けって言われているようだ。 日本行きの準備やら、ケーブルから光ケーブルのブロードバンドに変える工事やら、息子のサッカーやらでくたくたなので、30分以内で書いてみようと思う。 自慢ではないが、私は野外や路上での方向感覚が悪くない。 太陽の場所とか、感覚的に方向がわかる。 本当に迷って困ったというは、イタリアのベネチアでまよって、ウィーン行きの夜行列車の出発5分前に列車に飛び込んだということくらい。 一方、旦那は始めての場所は方向音痴。 歌も音痴。 だからか、狩猟のポイントを記録しておくためか、GPSのナビゲーションの端末をだいぶ前に購入した。 ちょっとした遠出には、このGPSを持っていく。 GPSとは、Global Positioning Systemの略で、衛星からの信号を受けて、地球上の位置を確定するシステム。いまや飛行機も船も使っている。 この週末、旦那の上司というか、仲の良い人の別荘というか、キャンピングカーの置いてある湖畔のコミュニティーに行ってきた。 これは、2006年の夏あたりの弊投稿「みあげてごらん、夜の星を」に書いた場所。 我が家から2時間のところ。 ダラスの北東にあり、ルイジアナ州よりである。 さて、旦那はこのGPSを車に乗せて発信した。 子供の日本語学校からの出発であった。 私は、一回行った場所なので、方向、使う道、ハイウエイはあたまに入っていた。  このGPS, うるさい。 そろそろ曲がる、ってときに、「ビビッ」と言う。 今、曲がれ、ッちゅー時には、、「ビビーッ!」  さらに、このGPS, 危ない。 運転しながら、旦那、「ピッピッピッ」って、GPSの機械のボタンを押すもんだから、こちとら、事故になりやせんか、とひやひや。 私にとっては、道順と方向をを最初から頭にいれておいて、肝心な右か左かの曲がる方向と場所だけ掴んでおけば、大丈夫なのであるが、旦那は、GPSに頼っている。 なんか面白くない。 あぶない。 うるさい。 さて、日本語補習校をでて、私はてっきりMarshという道を右にまがって、635というダラスを中心の環状線を通って、I-30というハイウエイを東にいくも

くそ忙しいぞ!

5月下旬の日本帰国 -いや、滞在というのか ー に向けて、こまごまとした準備で忙殺されているんだよね。 子供たちを田舎の小学校に体験入学させる。 通学服の色と形が決まっているし、体操着だの、「名札」をつけなきゃいけない。 なにも書いていない真っ白の子供のT-シャツを探すだけで、くたくたになる始末。 ないのよ、子供用の白いTシャツ。 体操着袋、歯磨きセット袋・・・。 それに名前かいて・・・。 うわばきの存在すら忘れていましたよ。 いろんな人に世話になるから、おみやげを選んで。 アメリカってろくな土産ないんだよね。 日本で入っていたいろいろな保険も解約するし。 解約書類、PDFで送ってください、と頼んだけど、「本紙」 - たぶん、厚い紙なんだろう - じゃないと駄目とか。  それに、日本では、免許更新に28年ぶりに高2クラスの同窓会に、いとこと一緒に温泉だ。 親が二人ともいないってのは、やっぱ不自由だね。 「親を敬いなさい」 - 十戒  ほんとうだよね。 出発までに、書けたらかくね。 あかしや

No. 68 パンドラの箱

前回の投稿でかいたように、私は遅刻大王であり、時間の使い方がへったくそである。 そして、家の片付けも大の苦手なのである。 物が捨てられない。 昭和一桁生まれの両親にそだてられたからかも、と理由を死んだ親にこじつける。 昭和一桁生まれの人たちは、第二次世界大戦、または、太平洋戦争のとき、10代を過ごし、戦争中は配給制、戦後派は物資不足の中を闇市で口糊をしのいできた人たちが多いので、物を捨てない。 なので、親からは、「物を上手に捨てる。」ということを習うことをがなかった。 私の捨てられないもの、とは、本。 大学の時の(アメリカでの)ノートと教科書。 子供の書いた絵、作品。 紙の手提げ袋。  とくに、本は、司馬遼太郎がすきだし、そのほか、いろいろな本がある。 何度も読み返すことがあるので、捨てられない。 旦那も一週間に、1-2冊読んでしまう人なので、二人の本の数がすごい。 数ヶ月前、ついに、本棚が重さで崩れ落ちた。 それも修理しておらず、山積みのまんま。 大学の時の教科書は、会計、税制の分厚い本があって、今でも使うので、自分のオフィスの上にしまってある。 ノートもきちんととっていたので、これもすてられない、というか、会計などの技術的なことのノートはあとで読み返すかも、と捨てられない。 さて、これだけではない。 アメリカでは、毎日これでもか、これでもか、とダイレクトメールが来る。 それをいちいち開けて見る時間がないので、そこらへんにぽいとおいて、それが山となる。 これだけは、なんとかしてほしいものだ。 さて、物を捨てられない上に、我が家には、引越し荷物がダンボールにはいったまま、たくさん残っている。 私たち家族がシンガポールからテキサスに引っ越してきたのが、2004年の9月の終わりであった。 となると、今年の秋で3年となる。 それを遡る2002年の9月にフロリダからシンガポールに引っ越した。 となると、2002年から2004年の間に海外引越しを2回したということだ。 私自身、日本にいるときから数えて引越しは、海外引越し2回を入れて合計7回である。 旦那は、その3倍くらいは引越ししているんだと思う。 引越しをするたびに、「なんでこんなに荷物があるんだろう。」といつも驚く。 それは、引越し回数を重ねるごとに、荷物の量は増えるのであった。 引越しが頻繁になると、引越し荷物を開けな

No. 67 時間のやりくりと要領

ここで告白する。 私は遅刻大王である。  中学の頃から、遅刻は得意であった。 まだ、時間あるやーっていつも構えていて、直前になって青くなって、ばたばた・・・。 早くいって待ってりゃいいのに、どうもぎりぎりまで、うだうだしている。 結果遅刻となる。  高校のときは、学校まで7分というところに住んでいて、学校と家の間に担任が下宿していたので、歩いて学校に向かっている担任を走って追い越せば、遅刻にならなかった。 まったく自慢にならない。 母に生前言われた。 あなたは、このことでいつか大失敗する。と。 失敗、とは意識しないまでも、信頼は失っているんだろう。 あーあ。 子供にも悪い影響、与えてるんだろうなぁ。 さらに、私は時間の使い方がへたくそである。 これを少しここでやって、次にこれをここからやって、という芸当ができない。 何か始めて、それに没頭してしまうと、途中で止められない。 次に計画していたものが出来なくなる。 一度始めたことは、集中してしまうと、かっぱえびせんの状態。 ♪やめられない、とまらない、かっぱえびせん♪、なのだ。 以前、上司に「お前は竹槍投げだ!」といわれたくらい、何かを始めると、職場にも帰ってこなかったり・・・。 しかし、竹やりって、今でもあるのか? まあいいや。 そんなことで、毎週のように、後悔ばかりしている。 このBlogだって、今日は辞めとくかと、思っていても、書き始めると一気に書いてしまうので、結果として、寝るのが遅くなり、翌朝つらいのである。 そんなことしてるから、朝は、子供たちを短時間で食べさせたり、あげくのはてに、送っていく車のなかで食べさせるということになる。 ぐうたら母親である。 さて、こんなアホがMIXIというオンラインコミュニティーにはまったらどうなるか、それは火を見るより明らかである。 28年ぶりの高校の同窓会の連絡をMIXIでやっていた、という理由もあるが、別のコミュニティーで、いろいろあり、そこで時間をさいて、投稿していた。 なので、結構時間を取られていたようである。 いつものことながら、どつぼにはまっていたんだと思う。  これが度を越すと、日本語では、「○○中毒」「○○依存症」と呼ばれて、英語だと、「○○Abuse」とか、「○○Addiction」となるんだろう。 しかし、先週の日曜日から一日のスケジュールを変えた。  朝は

No. 66 わたしゃ、妖怪ではないぞ!

ごぶさたで候。 さて、このブログを読んでくれている人たち何人かから、「なんで、あかしや番頭なの?」と聞かれる事がある。 もったいつけて、「それは、ブログを読んで。」とじらしているのである。 あかしや番頭とイエス兄さん、なんの関係があるんだろうか、と悩んでいる方へ、今日はその意味を説明しよう。 苗字の「あかしや」は「吉本興業」からか? さんまと関係でもあるのか? と思われる人もいるだろう。 あれは、「明石」(あかし)からきているんだと思う。  でも、私のは、別の漢字の「証」(あかし)、から取った。 ほんじゃ、「証:あかし」ってなんじゃらほい?という方たちへ、説明しようね。 わたしゃ、牧師でも牧師の奥さんでも、神学校の生徒でもなぁーい。 ただの、普通の主婦。 旦那のことをほっぽらかして、自分の部屋で、夜はコンピューターにむかって、カタカタとキーボード打って、うつつをぬかしている、ただのぐうたら。 おまけに、まだ聖書全部読み終えていなぁーい。 こんなんだから、神さんとイエス兄さんのことを格調高くはなせなぁーい。 理論に沿って話せなぁーい。 この文読めばわかるっしょー。 XXXXXという御言葉(みことば)は、○○○○○の手紙の△△章◇節にある、なんて、辞書みたいに出てこない。 でも、イエス兄さん、神さん、聖なるバディーは、私たち家族を津波から救ってくれていたし、母を天国に連れていってくれたし、このコンピューターをただでくれたり、もう、いろいろ世話になりっぱなし。 なので、せめて、心にじぃーんときたこと、思うことを自分の出来る範囲の稚拙な文章でなんとか表して、感謝の気持ちを表現したい、っちゅーことなんだよね。 自分の体験、心と魂でじぃーんときたことを私なりの言葉で表現して、お友達とか、知り合いに話すこと、それが「あかし:証」なんだよね。  別のいいかたすれば、彼氏とか彼女のことを、「こんなにいい人で、こんなにいいこと、私にしてくれたんだよーん。」って「のろける」ことなのさぁ。 「神さんって、こんなにいい人で、すごくってさぁー、こーんなこと、私にしてくれたんだよねー。」って調子で。 牧師さん・神父さんが持っているちゃんとした知識が私になくても、「のろける」ことなら、アホな私にだってできるもんねぇ。 そうだしょ?  じゃあ、そうやっていこうかぁーって、苗字を「あかしや:証屋」にし

イースター:オクラホマにいっとるで~

イースターの週だ。 ここ、アメリカでは、学校が休みになったり、交通量が増えている。 メキシコに用があって、連絡したけど、返事なし。 そうだ、Semana Santoといって、「聖なる週」ってことで、仕事してないと思う。 4月3日がイスラエルのお祭りの「過ぎ越しの祭り」なんだよね。 その祭りが始まる前に、イエス兄さんは十字架の上で死んだ。 そして、3日後に蘇った。 ちゅーことは、本当の復活の日は、今年は、4月5日ってことか? 暦の上では、4月8日がイースターとなっているけど、これは、日曜日だから。 本当は違う日ではないかなぁ。 さて、下痢から復活した私ですが、家の汚さ、洗濯物がエベレスト、という状態で、がたがたしていたんです。 それなのに、今度は明日から、オクラホマに一泊してきます。 親戚まわりでんがな。 今日の夕方から、うちの教会が間借りしている教会で、合同礼拝があった。 うちの教会+韓国の教会+アメリカの教会とで。  クワイヤー(合唱団)に参加してきたんだけど、今日一日歌っていたし、睡眠不足もかさなって、今日はもう、くたくたのくたさん。 だめだわ。  イースターのことなど、書きたいな、と思っていたけどなぁ~。 日本だと、あまりイースターって聞かないよね。 ん? たまごに色を塗る? イエス兄さんとは関係ないものだよ。  まあ、お時間あったら、マタイによる福音書の26-28章を読んでみてくださいなぁ。 っちゅーことで、わたしゃ、もう寝るわ。 おやすみね。

No. 65 寝込んで思ふこと

この金曜日、3月23日に11時間運転してサンタ・フェから帰ってきた。 帰ってくる日から気持ち悪くて、家についてからは、ダウン。 胃にくる風邪らしい。 日曜日の夕方、すこし良くはなったので、固形物を少し食べた。 その夜中、ものすごい腹痛とものすごい下痢。 恐れていた「げげ」はまぬがれたものの、真夜中、一人で結構苦しんだ。 なにせ、トイレには5分おきに行かなければならなかった。 ばか犬も眠くて、起きて来やしない。 その苦しみのなかで、現在、抗がん剤の副作用に苦しむ友を思った。  抗がん剤の副作用の吐き気と下痢、脱力感とは、これ以上のものであろう。 私のこの症状は一週間でなんとか治るであろう。 しかしながら、彼女はこのつらい状態が一年続くわけである。 それを思ったら、苦しみのなかでも、「神様、私のこの苦しみを取り払ってください。」と自分の為に祈るよりも、その友人の為に祈ることとなった。 このつらさも、多分、彼女の苦しみの百分の一を理解できるように与えられたんじゃないか、と。 それを思ったら、また、マゾ精神なのか、この苦しみを有難うございます。 これで、彼女の苦しみが少しわかります。 もっと彼女のことを祈っていきます、と祈った。 そして、いつの間にか眠りについた。 しかし、こういった苦しみを家族から離れた病院で絶えているご老人たち、いかに寂しいだろうか、と思う。 夜中の病院、ブザー押して、「痛い。 助けてください。」といっても、夜中は看護士が手薄だから、希望がなかなか叶わない。 家族の負担はものすごいけど、やはり、お年寄りは家で家族と一緒に最後まで過ごせるのがいいのかなぁ。 家族といっても、嫁とか姑とかあるから、複雑だろうけど。 その翌日の昨日、前夜の苦しみの再発が怖くて固形物を食べれず、何も食べずに、寝ていた。 直腸がんでなくなった親友の旦那さんを思い出した。 腸が癒着して、最後には何も食べれなかった彼。 下がふさがっているから、食べ物が下からでない。 逆行するのみ、という地獄の苦しみ。 「俺、本当はチャーハンたべたい! 餃子たべたい!」と言っていた。 その気持ちも分かった。 3時にはなんとか子供たちを迎えにいって、その脚で、スーパーにいき、ゲーターレードを沢山かってきた。 日本だったら、ポカリスエットを迷わず10本は買っているんだが、合成着色料がまかり通るアメリカ。 赤

春休み

3月19日から一週間、子供の学校の春休みです。 ということで、また、じじばばの住むSanta Feに行ってきますだ。 また、600マイル、旦那と交代で12時間運転か・・・。 でも、ばばが楽しみにしているので、行ってきます。 明日の朝、3時起き。 気が向いた人は、天のおとうさんに、「道中、守ってね。」って言ってみてくださいね。 では、3月の下旬まで! あかしや

No. 64 怖いもの

今朝、いつものように、ばか犬(ぴっぴちゃん)と老犬ぷっぷちゃんを散歩に連れていった。 いつも車を停める駐車場にバンを置いて、二匹をおろした。 もちろん、呼んでもそばにこないばか犬は、首輪に引き綱をつけた。 その駐車場から森への小道にいくには、道路沿いにある歩道をほんの少しだけ歩く。 その歩道にさしかかるころ、ぴっぴのばか犬、行きたくない、という。 「なにぃ~、なにしとるんや! ほれ!いくんだよ!」と綱をひっぱって、森の方に向かうと、今度は、猛ダッシュしやがった! こちとら、そこの高い靴(ハイヒールというより、全体が高いブーツのようなもの)をはいているんで、危うく、こけそうになった。 危ない! ぐいんってひっぱるから、へたすりゃ、鞭打ちになるよ。 老人になったら、こういったばか犬は飼えない。 こけて、骨折って、寝たきり老人となってしまう。 そんなことを考えている私のことは、どうでもよく、ばか犬はぐいぐい、ひっぱっていく。 森の小道に入ったところで、首輪と引き綱をはずしてやった。 それでも、道を先へ、どんどん走っていく。 「お~い、どこへいくんだぁ??」 それでも、しっぽを下げて走っていくあのばか犬。 後ろを振り向くと、今、通ってきた道路の分離帯では、工事をしていた。 その工事現場には、キャタピラー社製の大きなパワーシャベルが土を掘っていた。 ぐお~ん、ぐお~ん、という音と、エンジンの音がしている。 そうか、これだったんだ。 ばか犬がこわがっていたのは・・・・。  そうね。 犬にしてみれば、パワーシャベルの用途なんて理解できるわきゃぁないわ。 あの黄色くて、どでかいロボットのような手のものが、ごぉ~って動くんだから、そりゃあ、怖いかもしれない。 人間にしてみれば、ジャイアントロボにせまられてるようなもんだ。 (* ジャイアントロボ:1960-1970年代のTV番組:でかーいロボットよん。)  老犬のぷっぷちゃんは、べつに~と普通に歩いている。 さ~すがぁ、年の功。 年季はいってるよね、このおばさん。 年輪を重ねると、あまり驚かなくなるってことね。 ばか犬でも、怖いものがあった。 怖いといえば、思い出すのが、野茂投手。  13年前、日本人ただ一人、アメリカの大リーグで勝負するために来日した。 ロス・アンジェルスのドジャーズに入団。 あのナックル投法で、多くのスラッガーを三

No. 63 読んでくれて有難うござんす

来月で、このBlogを始めて一年がたちまする。 不定期発行で、時には2週間も書かない、ほんまにいい加減なBlogなんですが、それでも、ちょぼちょぼ、ここに辛抱強く来てくれる人たちもおられます。  心より、御礼申し上げまする。 最近では、スリランカにいる日本人の人のBlogに「もうリンクしました。」なんてメールが来たり、どこかの神父さんか牧師さんからメールで、コメントをうけたまわり候。 さらに、28年ぶりの高校の同窓会が今週末あって、それを機会に昔の同級生、同窓生と通信が始まり、同級生、同窓生もこのBlogを読んでくれたり候。 あっしは、敢えて、熟練クリスチャンにはなりたくなく、むしろ、イエスって何者?という時の自分にいつもたちもどり候。 どういったことで「クリスチャン」という言葉にたいして抵抗があったか、どういうことが分からなかったか、などを振り返りながら、敢えて口語体で、筆をはしらせたり候。 それもあほな、江戸弁、横浜弁、関西弁をごちゃまぜにして候。 先週、ここダラスの日本人の人から、わざわざ電話ももらいたり候。「おもしろい。 罪ってこう書かれると俺でもわかるよ。」と言ってくださり候。  てなことで、相変わらず、誤字、脱字、まちがいの多い文しかかけまへんが、見逃しておくれやす。(これは京都弁か?) では、これからも、よろしく、よろしく、お頼み申し上げ候。 めちゃくちゃ日本語で候。 だから、あほなんよ。 やはのうえ本舗 イエス営業部 小間使い あかしや番頭

No. 62 恩人の言葉

2007年、2月ももう終わろうとしている。 速いもんだなぁ・・・。  私がマンハッタンに留学生として降り立ったのが、1992年の8月だから、アメリカ滞在、もう15年目となるんだ。 日本では、バブルが1991年にはじけて、その打撃が個人レベルで感じられるようになった年に日本を出た。 なので、「失われた10年」というものを経験していない。  ここまでの15年、いろいろあり続けたけど、今日も、朝起きて、私は生きている。 毎朝、毎朝、それを第一に、天のお父さんに感謝している。  1992年当時、私は30歳をちょっと越えたばかり。 そんな年で、結構よかった年収の仕事を辞めて、アメリカに留学、と決めた。 でも、母は難病を抱えていたし、そんな状態で親を置いて、出ていいものか、という躊躇もあった。 一応、私は長女で、父と母は私を頼りにしてくれていた。 そんな時、高校からの親友の旦那さん交えて、食事をした。 彼は、大企業の部長さんに、30台後半で昇格したばかり。 北陸出身の人で、北陸の有名国立大学を卒業して、東京に本社のある会社に勤めた。 彼は、私に言った。 「いつかは、親を捨てる時がくる。」 と。 その一言が私の運命を後押ししてくれた、と言っても過言ではない。 この人の言葉で、私は踏ん切りがついた。 彼自身、若いころ、父親を亡くした人であった。 東大に入れた人でもあったようだ。 しかし、母親を残すことに躊躇し、地元の国立大学に入った。 その後悔があったらしい。 彼は、その後悔を私に託し、前進しろ、と背中をこの言葉で押してくれたのであった。 難病の母も、私には、やりのこしたことがある、とわかっていたらしい。 「行ってきなさい。」と言ってくれた。  父は、ぶすっとしたままであった。 そして、両親と多くの友人たちに見送られて、1992年の8月の上旬、成田空港から飛び立った。 英語の苦労、極貧生活の最初の一年であった。 つらい日々の後は、仕事が与えられ、口糊をしのぐことが出来るようになり、さらにそれがきっかけで - といっても、風が拭けば桶屋がもうかるの類のきっかけであるが - 旦那にもドイツでめぐり合うことが出来た。 今は、双子の元気(すぎる)子供と2匹の犬たちと、私にはもったいないくらいの旦那と、楽しい家庭を持つことが出来ている。  だいぶ後の2年前にわかったことだが、アメリカ行きは、

No. 61  うちのばか犬 その2

いっそがしい一週間であった。  バレンタインズデー、娘の初めての歯医者、息子をドラムのコンサートに連れて行き、日本人学校、娘のクラスメートのお誕生会に・・・と、学校と家を何回も往復したり、子供のクラスで、バレンタインズデーPartyするってんで、御菓子一人一人包んだり。  双子で、二クラスだから、子供36人。 足すことの、先生二人。 こんなにキャンディーもらってどうすんねん! だから虫歯になるんだ! それに、キャンディーの色っちゅーたら、赤青黄色・・・。 どれも人工着色料じゃないか。 あれは毒だ!! と叫んでも、いつのまにか、娘は平気な顔をして、キャンディーをあっというまになめ終わっているのである。  さて、そんな忙しい一週間であっても、うちのばか犬は一向に反省する気配なし。 最近は朝、人が寝ているところに、どーんとのっかってきて、べろべろしながら、手(犬の)で人の顔を殴るのである。 起こしてくれるのは、ありがたいが、お手柔らかに頼む。 先々週の金曜日の夜、掃除機を解体した。 夜、食事が終わり、お皿を洗ったあと、新聞紙をひいて、ドライバーを出してきて、よっこらせっ、っと床に座って始めた。 なぜ、解体か? Mixiの日記にも書いたので、Mixiで日記読んでくれている人はご存知である。 金曜日の日中、家の掃除をしようと、まず、リビング・ルームから掃除機をかけた。 タイルの上にカーペットが引いてある。 赤、茶色、ベージュの一般的なイラン模様のカーペット。 その上も掃除機をかけた。  しばらくして、やたら臭い。 ん?????????? やっぱ臭い。 ん???????? なんと、うちの馬鹿犬のウンチがカーペットにあったのだが、うんちがカーペットと同じ色だったので、気づかずに、その上を掃除機でがーっと・・・・・。 ウンチは、カーペットの上にのりのようにのばされ、へばりついていた。 知らぬまま、別の場所に、ウンチ付き掃除機かけたもんだから、うんちは、一箇所だけにとどまらなかった。 さらに!掃除機の車輪の中にもめりこんでしまったのであった。 ひえぇぇぇぇぇーーーーーーー!!!! 当然、犯人はあのばか犬。 少し下痢気味だったのか、ゆるい状態のもの。 見事、カーペットの模様になじんで、カメレオンのように、擬似体となっていたうんちであった。 掃除機をひっくり返して、底をみたところ、結構奥

No. 60 うちのばか犬

うちにぴっぴちゃん、というラブラドール雑種の犬がきてから、6ヶ月になった。 今は、生後8ヶ月。 ここんとこ、ぴっぴちゃんは、「Idiotta! (イディオッタ)」と呼ばれている。 つまり、「おばかちゃん」「ばかもの」転じて、「ばか犬」となってしまった。 なんでかっていうと・・・ (1)未だに、ちゃんと外に出しておしっこさせないと、家のなかで、「じょー」ってしてしまう。 この間は、人の目の前でしてくれた。 (2)子供のぬいぐるみ片っ端から引きちぎる。 家に外出先から帰るたび、詰め物の綿が、床一面に広がっている。 (3)人の(特に子供達の)食べ物をテーブルから盗む。 鶏の骨など、犬の腸には良くないのだが、テーブルの下から、長い舌を出して、ものすごい勢いで盗む。 「こらーー!!」と追いかけると、逃げ回る最中に、骨を飲み込んでしまう。 すごい芸当だ。 それでも、翌日、生きている。 (4)人に飛びつく。 娘は、ほっぺたに引っかき傷をつけられた。 (5)家の庭の大切なもみじの根っこを掘り出した。 ばかものー!! そして、泥だらけの足で家のなかを走り回る。 (6)そのくせ、怒られると、すぐ仰向けになり、服従の姿勢をとる。 いや、ただ単に、おなかをさすってもらいたいだけか。 (7)私のベッドの足元で寝るんだが、動かそうとすると、「う”--ん」とうなる。怒る。 私のベッドだぞ! (8)呼んでも来ない。 車に轢かれても知らんぞ! (9)まだ、歯がすべて生え終わっていないので、人の指をかみかみする。 痛い。 (10)車のシートベルトをカチッとはめるところを、がりがり噛んでくれた。 食卓に使っている椅子も噛んでくれている。  (11)子供をお風呂にいれたあと、湯船のお湯を抜くのを忘れていた。 お湯を抜きに行ったら、ちゃっかりと、「いーい湯だな」と浸かっていた。 (12)犬2匹と旅行した帰り、知人の家に一泊した。 そこで、しっかりと、じゅうたんの上にうんちをした。 $100払ってきた。 (13)庭は、うんちだらけ。 毎週、拾い集めるのだが、2-3キロにはなる。 そして、そのうんちに、子供の色付きねんどが入っていて、うんちがピンク色交じり、緑色まじり、青まじり、となっている。 この間は、ドラムスティックの先のプラスチックを発見。 いろいろな家庭にあるものが、混じってでてくる。 それでも、生きて

No. 59 骨なし野郎の試作品

このBlogはGoogleのBloggerを使っている。 新機能ができたというか、Beta版から脱却したということで、変換したら・・・あじゃぱ~~、右のE-mailとLinkが文字化けしとるわ。 海外にいて、海外使用のコンピューターで、日本語を書こうとすると、IME(Input Method Editor)を使って日本語を書く。 でも、相手方によっては、文字化けすることもある。  まあ、しょうがない。 ゆっくり直していきます。 ********************* 昨日、ダラス地域に雪が降った。 これで、3-4回目。 ダラスでの3回目の冬であるが、今年は冷え込む。 気温もぐっと下がる。 こちらは、華氏を使っている。 華氏32度は摂氏の0度だから、華氏30度台は寒い。 これが20度台だと、零下を十に越えているから、凍る気温、っちゅーわけ。 昨日の朝の気温は28度であった。 子供を学校に送っていったあと、いつものように、犬2匹連れて、森の中へ行く。 犬たちって、あんな薄い毛皮しか着ていないのに、寒さや雪は大丈夫。 まったく、人間だけだよ。 服着なきゃいけないの。 まったく、アダムとイブのやつ。 どうしてくれんだよ。 駐車場から、森の遊歩道に行くまでのたった、30メートルの道のりには、なんと橋がある。 その橋を下を流れる大きな運河というか下水を見ながら通り過ぎる毎日である。 しかし、昨日は、歩みを慎重にした。 だって、凍ってるんだもーん。 ちらちら降った雪が解けて、それが凍って、すべりやすくなっている。  こういう日は橋の上を運転するときには、注意が必要。 スピードを緩めて、決して、橋の上では、ブレーキを踏んだり、ハンドルを切ってはいかんのだ。 車、好き勝手な方向にワルツ踊っちゃう。 事故になる。 ということで、昨日、25マイル離れたところで聖書の学びの会があって、そこでピアノ弾きしとるんだが、それを、「わたしゃ、お休みやで。」と休んでしまった。 ごめん、じゃみら。 凍った橋を通り過ぎて、森の中の遊歩道にはいる。 土の上に積もった落ち葉の上に、雪がちょっと積もっている。 小枝、木々も銀世界になっている。 いやー、きれいっすねぇ、お父さん! 寒いことより、景色の美しさにしばし、とどまっていたんだ。  地面に目をやると、土の上は雪が解けはじめている。 やっぱ、土って暖か

No. 58 怠慢への大反省

あれまー、この前の投稿が1月3日ということは、今日がもう1月20日だから、2週間以上、ほっておいた。 また、やったわ。 この週、ダラスには寒波が来て、雪も降った。 娘も熱を出して学校を休んだ。 まあ、今週はそういう理由で忙しかったから、ここにこれなかったけど、先々週、私は何をしていたんだろう?  うーん、思い出せない。 健康診断のフォローアップにいったくらいかなぁ。 同じく、私は、去年一年、何をしていたのか、あまり思い出せない。 母が亡くなってからの一年であったから、喪中ではあった。 そして、その夏はくそ暑かった。 秋から冬にかけて、悶々としていた時もあり、断食して祈った。 そして、12月に日本に帰った・・・、位しか思い出せない。 ただ、すべきことをあまりしなかった一年であった。 引越し荷物の片付け。  教会の会計のシステム構築。 家計の経費の削減(ケーブルキャンセル・インターネット電話に切り替え)  本の翻訳。  発声練習。  ジャズピアノの練習。 やらなければいけない、やらなければいけない、と思う一方、体と心がついてこなかったと思う。  また、「~せねばならぬ」と考えるから、自分自身にプレッシャーをかけるんだけど、実際、なにもしなかったから、良心の呵責(かしゃく)も芽生える。 特に、教会への奉仕で、自分で言っておきながら、何もしていなかったことが心の中で重くなっていた。 だから、自分の心のなかで、ひとりずもうして汗かいているようなもんだった。 体も多少は年をとっているけど、何もしなかったのは、むしろ、心が疲れていたからだろう。 あることにとらわれていて、何も手につかなかったという一年でもあったんだろう。 また、親の死のあとの「ずーーん」と来るものは、以外にも大きかったんだろう。 なにか達成したかなぁ、と考えたら、ピアノを買ったんだ。 このことのBlogもかきそびれている状態だけど。 それで、毎日ピアノを練習しているから、多少は上達したと思う。 歌の練習も始めたけど、もう少し家で腹筋つけたり、トレーニングをしないとだめだから、これは、「達成」のうちには入らない。 ということで、去年は、あまり達成感が得られなかった、悶々とした、ぐうたらな、怠慢な一年であった。 でも、喪中ってこういうもんなんだなぁ、と自分で勝手に理由をこじつけて、自分を勝手にゆるしていた。   私の

No. 57 がまん強さ

新年おめでとう! 昨日の夕方、サンタ・フェから戻った。 本当は、12月28日に戻り、お正月を自分の家で過ごそう、という計画であったのだが、戻ったのは、5日後の1月2日。  サンタ・フェでは、記録的な大雪で、帰路の高速道路がすべて通行止めになってしまったのであった。  お陰で(?)、一日余分に息子にスキーを教えてあげることが出来た。 さすが、私と旦那の息子である。 教えて2日目には、すいすいと、ゲレンデを滑って行った。  スピードの制御がまだであるが、急勾配でないスロープなら、転ばずにすいすいと滑っていくことができる。 学生のころ、横浜のYMCAで子供たちにスキーを教えていた。  子供に教えるには、まず、最初にスキーのバインディング(スキーとスキー靴を留めるデバイス)の調整をしっかりする。 これを怠ると、骨折事故に簡単につながる。 だから、自分の担当の子供たちには、時間をかけてでもひとりひとりバインディングを調整する。 ゲレンデで転んだとき、負荷がかかってバインディングが外れるように調整する。 大きな負荷がかかっても外れないときは、捻転骨折につながる。 一方、バインディングがちょっとした負荷で簡単にも外れてしまうと、スキーをしている最中にスキーがはずれ、これまた怪我の元となる。  なので、必ずドライバーを用意して、一人一人の調整をしてあげた。 調整して、スキーを履かせる。 そのスキー靴を横から思い切り蹴って、外れれば良し。 外れなければ、ちょっと緩める。  自慢ではないが、こうやって無駄に思える時間を一人一人に費やしたので、私の担当のグループからは怪我や骨折した子供は一人も出なかった。 一人の子に時間を費やしている間、子供達には勝手に雪の中で遊んでいてもらう。 これも重要なトレーニングの一つ。 「雪慣れ」してもらうのである。 バインディングの調整が終わったら、次は転び方と立ち方。 転び方は、女性の横座りのごとく、お尻をスキーの外の「山側」、つまり斜面の上に落とす。 両足の間にお尻を落としたって、スキーはなかなかとまらない。 そのまま「ぎゃぁーー!」と奈落の底に滑っていくのを眺めるしかない。  起きるには、まず、寝そべって、上体を「山側」、つまり、斜面の上、に置き、足を「谷側」、つまり斜面の下側に持っていく。 寝そべって両足を宙に振り上げてでも、その体勢に持っていく。 

No. 56  いのちある限り

先日、日本から帰った。 鼻かぜを引いたまま。 サイナス・インフェクションといって、眉間の内側、鼻の周りにある空間というのか、日本語でなんというのか、「びくう」というのか? 文字変換がでないので、なさけない。 まあ、とにかく、そこのところが痛い。 感染しているんである。 幸い、今、日本で流行っている「ノロウイルス」ではないので、胃腸は大丈夫。 時差ぼけもすこしとれてきたところ。 ということで、明日の早朝4-5時に出発して、ここから600マイル(960km)の距離にあるSanta Feという町にいく。 ニューメキシコ州にある古い町である。 コロラド州の南に位置する。 古くから住み着いたプエブロインディアンとメキシコ人の文化があり、アメリカで一番古い町である。 クリスマスは、ファロリトといって、Brown Bag(茶色の紙の袋)に砂を入れて、そのなかにろうそくをいれて点火する。 サンタフェやニューメキシコ州独特のAdobe(アドビ)という建物の作り方がある。 (興味のある人は検索してね。) そのアドビの上にずらーっと並べる。 町中がそうだ。 とても美しい。 その美しい町のなかで、トレーラーハウスに住んでいるのが、旦那の両親。 二人とも、92歳。 第一次世界大戦のころ、生まれたということである。 お父さんは、腰が痛く、もうあまり外には出たがらない。 しかし、お母さんは、この間も一人で故郷のパナマに行ってきたほど、元気。 パーティーで一晩中、踊ってしまうひとでもある。 200歳まで生きる、といっても過言ではない。  このお父さんとお母さんには、私は今まで一度も嫌な思いをさせられたことが無い。 むしろ、家族として、しっかりと受け入れてくれている。 そして、私の両親亡き後は、残された唯一の私の親でもある。 だから、子供の学校が休みのときは、出来る限り、会わせてあげたい。 こんな体調の悪い時でも、無理して行こうと思う。 92歳、いつ、何があってもおかしくない。 ご両親の命あるかぎり、心を尽くして、会いに行こう。 一人になったら、面倒を見てあげよう。 あなたの両親を敬え。 それは、あなたが、与えられた地で長く生きるためである。 クリスマスです。 アメリカにいて、日本の親と遠く離れている方、ちょっと電話して、「元気?」の一言でもかけてあげようね。 明朝、かなり早いので、今日は、この辺で

No. 55  主夫(しゅふ)、Mr. Mom

12月10日から19日、日本にいた。 野暮用と実家の母の遺品やら、私の荷物をアメリカに送るという、海外引越し屋まがいの作業であった。 引越しは、7-8回しているので、パッキングはなれたものである。 しかし、日本では、友人にあったり、いろいろな用事も飛び込んでくるから、滞在時間のすべてを荷造りにはかけられなかった。 だから、ものすごいスピードで、それこそ、「鬼」のように、荷造りをしたのであった。 やっぱ、私には頭を使わないこういった肉体作業の方があっているようで。  私の不在中、子供は近くのDay Care Centerで面倒見てもらおうかと思っていた。 そうしたら、旦那が、お金もったいないし、これが始めてじゃないから、俺が面倒みる、とかってでてくれた。 子供の面倒見の良い旦那。 安心して、出発した。 日本では、携帯をもっているので、そこに旦那から毎日電話とメールがくる。 そんなある日、「あの犬、殺す!」とのメールが・・・。 あの犬、とは、今年の初めに事故にあった13歳のぷっぷちゃんではなく、8月に我が家にきた、仔犬のぴっぴちゃんのことである。 そのやんちゃなぴっぴちゃん、池の鯉を取ろうとして池におちた。 そしてずぶぬれのまま、家にはいり、ベッドによこたわたそうだ。 もちろん、ベッドは水浸し。 さらに、石鹸を食べて、一晩中、吐いていたとか。 なんでも食べてしまうんだよね。 あの子。 さらに、子供のおもちゃやら、いろいろかじったらしい。 旦那、「君が帰るころは、もういないかもしれない」だって。 さて、帰国したのが一昨日。 顔つきから、旦那、限界だったみたいよ。 でも、帰った日の夕飯は作ってくれたのである。 それに、「密輸」した「毛蟹」を出してあげて、少しホットしたみたい。 旦那が、子供の弁当箱、洗っといてね、という。 ん???  見ると、ご飯と豚肉の焼いたのが残っていた。  旦那、子供に弁当まで作っていた!  それに、きちんと毎晩、宿題の読書をちゃんと子供たちにやらせていた。 大変だったろうに・・・・。 旦那の仕事は連邦の国家公務員で、かなりの年月努めているので、休暇が貯まっている。 だから、子供の面倒を見ながら仕事もできる。 料理も自分で出来る人である。 だから、結婚したんだが。 過去10年、日本との往来をした私にとって、普通の男性だったら、続いていなかったのではない

No. 54  落ち葉を踏みしめ、ワーズワースの詩をおもふ

前、ブログを書いたあと、なんと胃に来る風邪に子供と一緒にかかり、一週間ほど機能しない状態になっていた。 お腹は痛いし、気持ち悪いし。 子供たちはげろげろでその洗濯やら。 そんな時に、日本の盆暮れ正月のような季節が到来したアメリカ。 11月23日はサンクスギビングって言って、親戚家族一同が集まる日。 陸、空ともに、往来の多い忙しい日。  やっと調子が戻ったが、今度は、日本に野暮用で帰国する。 その準備で忙しいんだが、なんか神さんに「書け」といわれとるようなので、帰国前に、書くことにした。 ******************************************* 毎朝、森の中で祈りの時を持つようになってから、もう一年以上になる。 いつも歩く小道の上は、今は、落ち葉で一杯である。 祈りの場所へは、森の中にはいる小さな道がある。 落ち葉を踏みしめて、祈りの場所にいく。 さくさく、という音があり、雨のあとは、ぐしゅぐしゅと音を立てながら。 母は膠原病を25年以上、わずらっていた。 常用していた多くの薬があったが、そのなかの薬で骨髄をやられ、白血球が激減する症状を死までの2年間繰り返した。 一年の間に、入退院を10回近くくりかえした末、実家から2-3時間かかるところに訳あって連れてこられてしまった。 去年の10月、入院中の母の元に帰った。 自分の家から引き剥がされて、狂ってもいないのに、精神科の病棟にいれられ(そこしか受け入れ先が無かった)、周りはまともな話が出来る人間は看護婦以外にはいなかった。 母は長期入院がたたり、歩けなくなっていた。 自分が好きだった身の回りのものも一切もってこれず、ただ、一人、病室のベッドにいた。 母は、私が死ぬのはここかねぇ、とぽつんと言った。 奇跡的なことが起こり、普通では起こらないことが起こった。 婦長さんが独自の判断で、私は母の病室に泊まって良い、ということになった。 海外から遥々来た人でも、普通はそういう待遇はしない、といわれたが、特別に、と言われた。 荷物を病室に運び、私は病室で母と時間を過ごした。 疲労と戦いながら、夜中に体が痛いという母に起こされ、背中をさすり、寝れない日々であった。 それでも、母に按手し、祈り、聖書を読んであげた。 本当に疲れたある夜のこと。 ある聖書の箇所を読んでいた時、母はイエス兄さんの元に回帰した。