No. 133 試してみろ、っちゅーから、試すよ。
夏休みに入って、4週目。 今年は、あまり疲れずに子供の相手もできる。 Wiiというゲームを買って、子供がそれで遊んでてくれる間は楽が出来るからか。 ということで、先週の木曜日の午前中、子供を家に残して、郵便局へ。 何を送ったか、というと、日本の教会と西海岸の教会への献金を送った。 4ヶ月のTaxの季節労働の報酬の十分の一をこつこつ封筒にためてきた。 Taxの仕事が4月の第3週に終わり、最期のお給料が5月の上旬に入った。 それから、だいぶ経ってしまったけど、ようやく先週の木曜日、各教会に送ることができた。 私の行っている教会には、すでにちゃんと献金した。 日本人が教会に関する質問の中に、献金をしなければいけないのですか?というのがある。 私に言わせれば、「しなければいけない」というレベルではない、と思う。 喜んで献金はするものだと思う。 というか、収入があるのは、神さんのお陰なので、10%は就職斡旋業としての神さんの取り分である。 私のものではない。 ということで、献じるというよりは、お返しする、というほうが正しいと思う。 旧約聖書の最期のマラキ書3章10節には、10%を納め、私を試してみよ、と神さんは言っている。 過去に試した。 そうしたら、大きな恵みが来てしまった。 ウエイトレスの助っ人で頂いた$100があった。 十分の一だから$10を納めて、そのあとすぐに借金して日本にいった。 お金ないから、飛行機代、借金だった。 そうしたら、日本の私の口座に30万円がどこからか振り込まれていた。 アメリカに戻り、それで、借金を返すことが出来た。 $10で、$3,000(役30万円)を神さんから頂いてしまったのであった。 300倍である。 知り合いが、試してみようって、十分の一の献金を始めます!と宣言して、開始した。 その数ヵ月後、旦那さんに良い仕事が与えられた。 更にその一年後、収入は倍増していた。 うちの教会のパタリロ牧師も億単位の負の遺産を抱え込んでいた。 やけくそになって、どうせ、ないお金だ!と十分の一の献金を始めてから、10年でその負の遺産は、消えた。 何故か、周りから助けてくれる人が沢山でてきたそうだ。 Taxのファイリングの仕事では、経済的なことをいろいろ質問する。 そうやって、どういうCreditなどが適用できるかを判断していくのである。 Schedu...