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No. 120 遠いところへ行くあなたへ

この夏の終わり、ある人の夫が危険地帯に行くという話を聞いた。 とても、気になっていて、突然、歌が出来た。 歌詞もメロディーも、沸いてきたというか、来たというか。  神様から与えられたという人もいるだろう。 歌詞がこんな出だしです。 サビとEndingの歌詞が未完成で、まだ60%しかできていないけど。 「守ってください」  遠いところに行った  彼を守ってください その足元を 照らしたまえ 盾になり 守りたまえ 私は毎日祈る あなたを賛美し続ける 頼るのはあなただけ それが私の光 (このあとサビの予定)    2008© Akashiya Banto 前回の投稿にも書いたけど、師匠でもないのに走っている私がいる師走である。 Taxのトレーニングが2週間続き、上級コースの勉強、車の修理、代理教員と、家を掃除する時間もない。 でも、12月は12月。 いろいろな節目である。 卒業式、引越し、転校、退職、解雇、店じまい。 時期柄、何かに終止符を打つ、という季節でもある。 おっと、そういえば、母の命日は・・おっと、6日前だった。 もう、3年前のことになってしまった。 この地での生活に終止符を打って、天国に移動しただけのこと。 今は、天国で幸せだから、こちらも心配なし。 私が行くのをお茶をすすりながら、のんびりまっているでしょう。 今週は2回も子供たちの小学校の特別教室に代理教員して出向くことになった。 月曜日と明日の水曜日。  この代理教員の仕事をしてから、一年経つ。 代理教員が行きたがらないのは特別教室で、電話のシステムで毎日のように、自宅待機の代理教員に電話が最後までかかってくるのが特別教室。 「なんだよ、誰も行かないじゃん。 これは、かわいそうじゃん。」と、出向いたのが始まりだった。 更に、子供の学校なので、子供の送り迎えが楽という点は利点でもあった。 そして、特別教室の先生が信頼しくれて、代理が必要なときには、学区のシステムに入れる前に、個人的に電話がかかってくるようになった。  特別教室というか、日本語だと、養護教室と言ったほうが分かりやすいかも。 今は、4人の重度の障害のある子供たちがいる。 一人として、喋れない。 自分で食べることもできない。 一人だけは、食べ物を砕いて、スプーンで口にいれてあげれば、食べれる。 あとの子達は、おなかについている穴みたいのに、チュー

No. 119 盆暮れ正月クリスマス

なんと、もう師走である。 そう。 師匠も走る師走。 このところ、ダラスはものすごく冷える。 庭のトマトももうだめになっただろうか? だろうか、というのは、寒くて庭に出ていないので、分からないのである。 さて、11月下旬からアメリカは盆暮れ正月クリスマスのせわしない時期となる。 大不況だけど、クリスマス商戦の宣伝はどこもすごい。 私は、相変わらず、クリスマスショッピングが大嫌いで、土日は、そういった店に足を運ばない。 でも、お世話になった数人の人には、お礼ということで、商品券を差し上げようと思っている。 物だと、選ばなければならないし、それが、本人にとって必要、または、欲しいもの、役に立つものとは、分からない。 商品券、Gift Certificateだったら、探す時間と労力は要らないし、もらうほうも、自分の本当に好きなものが買えるから。 と、いいかげんで、ぐうたらなワタシには、ピッタリのギフト。 私たち家族は、12月20日か21日の週末に、いつものようにニューメキシコ州のサンタフェに出かける。 じじばばとクリスマスを一緒に過ごし、スキーをする恒例の予定。 その前の2週間は、なんとTaxのTrainingがびっちり入っている。 今日で、3日目である。 さらに、11月までに取ったTaxのAdvanced Courseの試験を4-5個パスしなければならない。 ひえ~、できるんかいな????? ということで、Blog書いている暇はないんだけど、言い訳、一度いっておかんとな、と。 家の中も、ごみとほこりだらけ。 猫は、娘の部屋にうんちしちゃっているし、子供の部屋は片付けていない。 子供がやることだ。 ふん! さらに、先々週のキャンプの片付けも終わっておらず、洗濯物は、洗ってたたんであるが、籠の中にはいったまんま。 なので、毎朝、息子が、「マミー! 僕のソックスひとつもないよ~」と文句を言う。 「だったら、ソックス、家の中のあちらこちらにほったらかしにするんじゃねぇ~。」とのたまう母の私。  今日は、息子のソックス、新しいのを沢山買ってきた。 これで、しばらくは息子、静かになるだろう。 娘が、それをみて、私には?と怒り始める。 さて、こんな忙しい師走なんであるが、ここんとこ、長い時間祈っていない。 祈っても短い。 パタリロ先生の言う電子レンジ祈祷。 3分間でチーンってやつ。 聖

No. 118 うちのばか犬(その3)

出た! ひさびさの「ばか犬」シリーズです。 今、夜の11時なんだけど、ちょっとくたくた。 なので、ばかちんのことを書いてリラックスしようかと。 疲れたわけは、今日したことがこれだけあったから。 ①家から歩いて、近くの公園に犬二匹と歩いた。 久々の散歩。 ②パナマのスープ、サンコチョを作った。 チキン丸ごと、皮と脂肪をとって、どぼんと大きな鍋にいれて、ぐつぐつ6時間。 ③バター4パウンドを使って、パンウンドケーキを10個焼いた。(日本語学校のバザーのため) ④Tax のリサーチ:日米税制協定の条文を読んでいた。 ⑤Kidney Foundationという慈善団体に寄付する物をかき集めた。 ⑥出産したばかりの子供の友達のお母さんをパナマのスープをもってお見舞い。 ついでに、夕飯の支度をしてきた。 ⑦子供をサッカーのレッスンに夜連れていく。 ⑧戻ってきて、イカの皮を剥いて、さばいて、カラマリにする準備をした。  これだけのことを、それぞれ、一時間から2時間かけて、済ませたわけだ。 出来るかな、と思ったけど、神さんに、うまく出来るようにしてちょ、と今朝祈った。 だからだと思う。 でも、疲れたなぁ。 *********** ということで、うちのばか犬(その3)の始まり。 ” あんか”とかゆみをどっちをとるか 先週、家族でBig Bend National Parkに行ってきた。 いつものように、テント生活。 イスラエルの民が荒野を40年間さまよっていたときは、幕屋生活。 つまり、彼らもテント生活。 でも、私たちのテント生活は、水道とトイレとレストランと売店は近くにあった。 夜は7時過ぎには、暗くなり、テントに入って寝てしまう。 テキサスといっても、冬は寒い。 テントだから寒い。 寝袋を2枚、敷布団と掛け布団として使った。  ばかちんも寒いとのこと。 なので、手を使って、寝袋を掘るようにして、入ってくる。 私も寒いので、寝袋で一緒に寝てあげた。  しかし! ばかちんにのみがいた。 なので、おなかを食われてしまった。 それでも、寒いので、毎日ばかちんとねんねした。 背中、肩、おなか、もも、とやられた・・・。  帰ってきて、お風呂に暖かいお湯を入れて、犬二匹とも、のみシャンプーで洗ってあげた。 今は、二人とも、きれいよ。 冬のアンカに犬、貸し出し中。 クリスマスの飾りつけ 感謝祭と

No. 117 祈り、耳をすます

昨日の日曜日、教会の帰りに自宅のそばのKrogerというスーパーにいった。 ここらへんは、いろいろなスーパーがある。 Wal-Mart、Albertson, Tom Thum (Safeway)、そしてKrogerがある。 値段は、Wal-Martが安いのだが、うちから数マイルはなれているので、ガソリン代と時間の都合で、家から歩いていかれる距離のKrogerに行った。 Krogerは、値段が多少高いので、客層もWal-Martと比べて違う。  ここらへんでは、経済的に厳しい地域に住んでいる人には、ヒスパニックの移民が多い。 不法移民も多いと思う。 時に最低賃金以下で働かされているから、そりゃー、生活は大変だと思う。 一セントでも安いところへ、となると、ヒスパニック専用のマーケットや、Wal-Martなどの量販店に行く。 私も、家計を預かる身として、節約しているので、なるべくWal-Martで日常品は買うことにしている。 肉などは、オーガニックの店のSproutというのが、近くにあるので、Wal-Martでは買わないで、わざわざ、そこへ足を運ぶ。 オーガニックは多少高いけど、健康のためには多少の出費は覚悟している。 その代わり、洋服などは、ほとんど買っていない。  今週の木曜日は、Thanksgivingといって、アメリカのお盆みたいなもの。 つまり、親戚兄弟友達が集まって、Dinnerをする。 なので、帰省ラッシュというものがある。 民族大移動の週である。 その前の日曜日ということもあって、店の中は、買い物客でごったがえしていた。 多くの人のカートには、七面鳥、七面鳥を焼くためのアルミのでかい入れ物、Thanksgiving用の料理に使う食材。 だれもが、カートに沢山積み込んでいた。 そんななかで、私のカートに入っているものは・・・ ‐ ニッシンのインスタントソース焼きそば(お湯を注いで3分待つやつ) 10個以上 ‐ マルちゃんのカップラーメン 4つ ‐ インスタントのオートミール ‐ V8ジュース ‐ クラッカー ‐ ハム ‐ ランチャブルというインスタントの昼ご飯セット(チーズ+クラッカー+ハム) ‐ ポテトチップス 人が見たら、「ああー、なんてそっけない食べ物でしょう。 可哀想に・・・。 家族がいないのかしら、この人。」と思われるようなアイテムばかり。 確かに

No. 116 山小屋の仙人からのコメント

お気づきがどうかはわからないが、このBlogには、コメントを書き入れることができる。  書き込みの最後にスクロールダウンすると、 投稿者 あかしや番頭  時刻 XX:XX 午後  Xコメント という表示がある。 そこに、1コメントとか、6コメントと書かれていると、それは、私の書き込んだBlogへのコメントがある、ということだ。  No. 112 「命の水」に、一つのコメントがあった。 山小屋に住む仙人の方からであった。 福島県阿武隈山中から、数ヶ月前、下界に降りられたとき、私のBlogを知って、コメントをわざわざ下さった。 更に、山小屋への招待まで頂いてしまった。 仙人さんは、横浜にまで下られて、ImariTonesのToneさんが行かれる教会に行かれたそうだ。 そこで、私のBlogの存在を耳にいれてくださったらしい。 ImariTonesというクリスチャンRock Bandは、No. 112 「ImariTones 伊万里音色 イマリトーンズ」で紹介させてもらったばかり。  福島山中の仙人さんが横浜の教会、それも、アフリカから来られた牧師先生がおられるVictory International Churchを訪問された、ということ。 そのGapがなんとも面白い。 年齢、場所、立場、国籍をとわず、仲良くなってしまう、というのも、イエス営業部のメリットである。 といういきさつで、仙人さんと会話を始めて、このたび、私のBlogを仙人さんのBlogで紹介していただいた。 私も、ここで、仙人さんのBlogを紹介させていただこう。 仙人さんのお名前は、Mr. Sugarさんという。 一時、うちに迷い込んできた猫に娘がつけた名前がSugar。 でも、仙人さんとはまったく関係ない。 なんで、Sugarなのか、ということは、聞かなかった。 でも、甘いものがお好きらしい。 または、「甘いだけのおじ様」ということでもあるらしい。  うちの教会のパタリロ牧師も甘いものがすき。 とくにあんこ。 神さんが好きな人は、甘いものがすきなのか? その仙人Sugarさん、山小屋をこつこつと作っているらしい。 更に、最近は、ダッチオーブンという鉄製の深鍋で、料理を作り始めて、体調が良いとのこと。 野菜も沢山食べるようにされた、というのだから、これはいいですよね。 旧約聖書 創世記の1章29節 で、神さ

No. 115 猫有来=猫来るあり

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一ヶ月ほど前に猫を引き取った。 ハリケーンIke(アイク)でヒューストンから避難してきた猫ちゃん。 ヒューストンで、捨てられたか、不用とされたらしく、現地のシェルターというか、里親の所で一年以上暮らしていたらしい。  しかし、ハリケーンのため非難命令がでて、その里親も避難となった。 となると、猫は避難所には連れていかれない。 なので、30匹の猫たちが北ダラスのここに連れてこられた。 たまたま、犬のえさを子供と買いに行った時、ペットショップで、引き取り手をさがしている数匹の猫ちゃんたちに目が行ってしまった。 いろいろみて、小さくてか弱そうな子に目が行った。 旦那に電話して、今すぐ、犬たちを連れてきて、と頼んだ。 旦那は、ばかちんで懲りていたので、またこれ以上・・・と文句を言いかけたが、すぐに犬たちを連れてきてくれた。 多くの猫たちが、うちの馬鹿犬たちをみて、ふーっ!を毛を逆立てて、怒っている。 しかし、このやせこけた小さい猫だけは、平然としていた。 きっと犬と一緒に住んでいたはず。  子供たちも猫欲しい、ということで、引取りを決めた。 旦那はあきれた顔。 数日後、シェルターに引き取りに行ってきた。 名前も、ゆきちゃんと付けた。 うちの犬たちに囲まれても、平然としている。 でも、呼んでもこない。 きっと、どこかで人間にいじめられたんだろうなぁ。 しばらくして、猫が臭いことに気がついた。 シャワーに入れたら、大騒ぎして、とびあがるわ、もがくわ、落ちるわ、で口を切って血を流していた。 でも、洗っても、また臭くなる。   変だ。 猫って、自分でなめてきれいにするから、さほど臭くないんだけど。 しばらくして、うちで、数人の人たちと集まったとき、猫好きの人がいて、ゆきちゃんと遊んでいた。 その人「この猫ちゃん、舌が長いから、いつもよだれがたれているんですよ。」と教えてくれた。 たまに観察していると、確かに、舌が長くて、外に出っ放しのことがある。 そして、あごのところがべちょべちょ。 そうか、これが臭い原因か、と。 猫アレルギーの人は、猫の唾液に含まれるたんぱく質に反応してしまうらしい。 確かに、ゆきちゃんが私の胸の上にのって、あごを私のあごに乗せたあと、ちょっとかゆい。 私は猫アレルギーではないけど。 また、息子が猫を触った後、目がかゆいということがあった。  そうか・・・、もし

No. 114 アメリカ大統領選挙の夜

ただいま、テキサス時間よるの8時近く。 今日は、投票日。 今晩の10時ごろには、新しい大統領が決まる。 現状では、Barak Obamaが優勢である。 初めての黒人候補なので、黒人の人たちが(黒人と書くとなんか変だなぁ・・・)こぞって投票所に出かけたのだろう。 そして、共和党の副大統領候補のSalah Palinのネガティブな影響が祟って、McCain票がObamaに流れたのかもしれない。 いろいろな課題がある今のアメリカである。 しかし、経済問題が一番である、というのが10人中6人の意見らしい。 これから、テレビに釘付けになるので、今日はこの辺で。 イエス兄さんのこと、書かないけど、許してちょー。 *************** 追記-1 今、テキサス時間、夜の9時20分。 Electoral College Voteという、ん?という投票の仕方で、Obamaが207票、McCainが135票である。 なんと、今まで共和党の牙城であったオハイオ州がObamaに流れた。 また、黒人がたった2%(アジア人、ヒスパニックそれぞれ4%)の白人の州がObamaを選んでいた。 ところで、旦那は、今、メキシコのメキシコシティー。 ホテルニッコーに留まっている。 午後の電話では、予定より仕事が早く終わるので、一日早く家に帰るよ、とのこと。 8時過ぎの電話では、なんと、ホテルのすぐそばの大きな交差点に10-15人のりの小さなジェット機が墜落した、という実況報告。 ホテルの窓からは、インターコンチネンタルホテルが邪魔して見えないけど、かなり酷い状況らしい。 旦那のスーパーバイザーにコンタクトしたら、メキシコで登録された飛行機なので、旦那は関係ないとのこと。 なので、木曜日に帰宅の予定であった。 それが・・・・、な、なんと! メキシコ政府がアメリカ政府に依頼したらしい。 国務長官、つまり、あの、ライス女史からのじきじきの命令で、そばにいた旦那も事故調査に借り出されることになってしまった。  事故調査は、NTSB(National Transportation Safety Board:運輸安全委員会)が担当で、旦那のオフィスは関係ないんだけど。 また、旦那、スペイン語が出来るし、現地の航空業界を知っている。 その上、事故現場まで歩いていかれるホテルに泊まっている。 だから、そうなってし

No. 113 命の水

ここんとこ、疲労困憊(ひろうこんぱい)である。 毎朝一時間運転して片道23マイル(37キロ)運転して、税制の中級コースを取っている。 風邪にもかかりかけていたし、週末も体を休める時間がない。 昨日は、休もうと思っていたら、どういうわけだか、疲れる結果となった。 同じコミュニティーの知らなかった人と不用品がきっかけでその人の住んでいる家まで古い家具を運んであげた。 家に入ってくれというので、入った。 そしたら、家族のために祈ってくれと頼まれた。 そこで住み込みのベビーシッターをしている人だった。 問題のある離婚家庭で、小学校の子供が二人。 その子供たちを面倒みているとのころ。 部屋それぞれ通されて、祈ってくれ、と頼まれた。 江戸っ子だからか、どうしようもない性分のせいで、嫌と言えず、祈ることに。 問題のある家というのは、何かがあるんだよね。 そういう「何か」をイエス兄さんの名前で蹴散らかす祈りをしたんだが、どうしても仕返しが来る。 器の小さい私なので、疲れてしまった、といういことだ。 そういうときは、賛美の音楽が良い。  運転中、ふと気がついて、賛美のCDをかけた。 だいぶ楽になった。 命の水をもらった。 さて、うちの教会でも最近CDを出した。 賛美チームの一人一人が祈って祈って、それぞれ曲を作った。 その集大成である。 題して、「命の水」。 この命の水はイエス兄さんから流れてくる。 そして、あなたを生き返らせる。 旧約 エゼキエル47:8- ・・・・・この水は東の境に流れて行き、アラバに落ち下り、その水がよどんだ海に入ると、それは清くなる。 およそこの川の流れるところでは、もろもろの動く生き物がみな生き、また、はなはだ多くの魚がいる。 これは、その水がはいると、海の水を清くするためである。 この川の流れるところでは、すべてのものが生きている。・・・・・・ 以下、MySpace見てください。 CD欲しい方は、あかしやか、以下にメール下さい。 以下にメールするときは、私のBlogを見てきました、と伝えて下さいね。 iccmusicdallas@gmail.com 一応有料なんですけどね、半年以上、賛美チームの人たちが、土曜日なしで夜遅くまでがんばってくれていました。 それに、良い物を作るには、費用はかかります。  他の教会やクリスチャンバンドでCD出していたら、是非、買

No. 112 ImariTones 伊万里音色 イマリトーン

まずは、以下のYoutubeを見て、そして聞いてもらいたい。 *********** このRock Groupは 「ImariTones」という日本のバンドです。 歌詞は英語で、日本から海外に向けて発信しているかっちょいいバンドなんですよ。 数ヶ月前に、ImariTonesのリーダーのToneさんからMixi上のメッセージが来ました。 インターネットをうろうろしていたら、私のアホBlogに行きあたったということらしい。 このToneさん、クリスチャンになったばかり、という。 そして、Rock BandのImariToneも今は、メンバー編成を行ったばかり。 そして、クリスチャンになってからの新しいアルバムを作成中である。  つまり、Rock Band「ImariTones」は今、トランスフォーメーション中ということ。 その後ろには、神さんの働きがあるように思えてならない。 Toneさんに、どうしてクリスチャンになったのか、と聞いたところ、その経緯は、かなり「自然」であった。 そして、神さんのことを「すんなり」と受け入れることが出来た、という。  ほおーー。 いるんだねぇ、こうやってイエス営業部になる人って。  Toneさんは、Podcastも始めた。 一回30分くらいの放送であるが、彼の神さんへの思い、思うこと、音楽についてなど、なかなか真理をついている、と頷いてしまうPodCastである。 でも、そのPodCastの中で、なんと私のことが話されていて、そのなかで、「海外にすんでいる・・・・おばちゃん・・ですね。」と言われていて、コンピューターの前でのけぞり、爆笑してしまった。 弟9回目の放送の前半か後半。 http://imaritones.cocolog-nifty.com/blog/2008/07/index.html Toneさんとのメッセージのやり取り中にぽろっと彼が吐露した、彼が「子供のころに神様に会っている」、と言われたところにとても興味をもち、そこを教えて頂戴と突っ込んだ。 それは、かなり深くプライベートなところまで話すことになるらしい、ということで、遠慮することにした。  そりゃー、わかる。 私も、未だに詳しくここに書ききれていないもんね。 まあ、いつかダラスに来てもらったときに、一升瓶を前にして、一晩中語り合えるときがくるだろうから、それまで待と

No. 111 神無月の徒然抄

今日は、10月18日である。 旦那が持ってきたメキシコの風邪の菌にやられているのだろうか、今日はとても疲れているのである。  それに、先週の金曜日の夜、はしごから落ちて、右足を痛めた。 右足だけで着地して、全体重がかかったので、足首のどこかに衝撃がいったんだろう。 幸い、ねじって着地したのではなかったので、骨折や捻挫ということにはならなかった。 高校の頃、整形外科の医者に、「あんたは、ものすごく丈夫な足首しているねぇ~。」と言われたことがあるので、きっとこんな痛みで済んだんだろう。 ずぶとい足首を備えてくれた天のお父さんに感謝。 しかし、前回のBlogは9月25日に書いたので、こりゃーそろそろ書かないといかんな、と。 ということで、今回も「抄」ということで、短い文章をつれづれに記す。 ***************** Wall Street 株価暴落 2週間前だった。 それまで、もっていたエネルギーファンドを売らねば、と思っていたが、またハリケーンで原油価格が上がればあがるかも、という変な欲を持っていたがために、結構損をした。 自分のIRAというIndividual Retirement Arrangement内で買ったファンドなので、損失が出ても、Individual Taxの控除にはならない。 購入したときの40-45%の価格で売り飛ばしてしまった。 その後、そのファンドは下降を続けている。 出血を止める処置である。 ともかく、石油などのエネルギーのファンドのことについては、あまりよくわからなかったし、ProspectusというファンドのAnnual Reportみたいなものにも余り目を通さなかった。 欲に駆られた結果ということであるし、ちゃんと調査しないで投資した自分の痛い教育費、ということで、損失をだして終わった。 でも、一つ株を買った。 この会社は、不況でも必要となるサービスを提供しているので、今が買いどき、と思っていた。 $21.50くらいで買ったが、そのあと、また下がってしまった。 なので、売って、底値のときに買いなおした。 $17弱で買えた。 同一株を売り買いを前後30日の間にした場合、Wash Salesと言って、損益をクレームできなくなるのであるが、これもIRA内で買ったので、Tax上の影響はなし。 とりあえず、底値で買えたので、Dow Jon

No. 110  祈りが聞かれた驚いた

土方に明け暮れた夏であったが、今は、きゅうりとオクラを毎日収穫し、成果を楽しんでいるこの頃。 シランチョ(コリアンダー)もベージル(バジル、バジリコ)も生えているので、料理のときは、庭に出て摘んでくる、という便利さを楽しんでいる。 ハリケーン グスタボとアイクの余波で、ここダラス近郊も風が強くなり、雨が降ったので、土方は中止。 ぶどう園にする場所の整地、オーガニックコンポスト建造、木の移し変え、砂利をひいた家の横の通り道、などのプロジェクトが一時ホールドになった・・・・という合間に、Taxのクラスの数々が始まり、代理教員の仕事も入ってきてしまった。 なので、またまた、私らしく、いろいろな土方プロジェクトが中途半端なまんまである。 さて、そんな中、出張が一段落して、家にいた旦那に突然お呼びがかかった。 先週の中旬ごろか、エルパソの東南にある、Big Bendという国立公園のそばで、メキシコとアメリカの国境付近で、セスナ機が墜落した、という連絡が入った。  ハリケーンのもたらした雨で、メキシコ側のダムを放水したらしい。 そのため、国境を流れるリオ・グランデとその支流が氾濫した。 それを視察するため、アメリカとメキシコの役人はセスナ機をチャーターして、Rio Grande沿いの標高2000メートル以上の高度の山並みの間へ飛んでいった。 当日は、視界が悪く、飛行は薦められないという状況であったのだが。 結果として、パイロットを含む4人を乗せたセスナは、山の壁みたいなところに激突して、飛行機の前部が大破。 4人は死亡。 役人が乗っていて、それも、ホワイトハウスが任命したWater Commissionarが乗っていた、ということ、メキシコの役人が乗っていて、墜落現場がメキシコ側ということ、更に、NTSB(National Transportation Safety Board:運輸安全機構とでもいうか?)という飛行機事故調査の担当がスペイン語を話せないということで、旦那に白羽の矢がたった。  旦那はNTSBの職員ではないが、FAA(Federal Aviation Administration:運輸省航空局みたいの)の職員である。 普段は、大型旅客機の安全性の監査などをしている。 事故の現場検証はしない。 飛行機墜落の現場検証はNTSBの仕事である。 これが、一般の個人で勝手

No. 109 ”子供はどうして出来るの?”

今日の子供の日本語補習校帰りに、日本食良品店にいった。 そこで、NY産の中トロを買ってきた。 夕飯には、「寿司、くいねえ!」ごとく、寿司を握ったのである。 う~ん、うまかった! ひさびさに、良いすしを食べた。 息子も寿司が大好きで、まぐろのにぎりは、自分の分を食べた後、私たち夫婦の皿に箸を伸ばして、目を離していると、取られてしまうのである。 それにしても、今日はたくさん食べてくれた。 多少、お金がかかっても、このように、おいしい!といって、たくさん食べてくれると、こちとら、うれしい。 さて、2週間前、寿司食いねえ息子が突然、質問してきた。 「女の人のぱいぱいは何のためにあるの? 男の人のウィンナーは何のためにあるの?」 私は、旦那を呼びつけて、「XXが質問あるってよーー!」と言って、洗濯物たたまなきゃ、と洗濯室に逃れた。 旦那は、「ぱいぱいは、赤ちゃんにおっぱいを上げるため。 ウィンナーは、赤ちゃんを作るためのもの。」と説明したらしい。 一応、息子は、それでなっとくした。 翌日、私は息子の担任に相談した。 何か、参考の本ありませんか?と。 先生、「私も分かりませんーん。 私の娘(息子と同級生)は、何も言ってこないので。 カウンセラーに御相談してみては?」とのたまった。 ということで、その足でカウンセラーに。 彼女も、参考本がないとのこと。 なので、二人で、小学校の図書館にいって、きいたら、そういった本は置いてないとのこと。 う~ん、と考えていると、ボランティアをしている女性が、「XXXXXという本が良かったですよ。」と提案してくれた。 早速、Amazonでオーダーした。(今日、届いたけど、寿司つくりに精出していたから、まだ読んでいない。) その後、2回ほど、特別教室の代理教員をしていたので、そこの先生にも相談した。 正しい知識は教えるべきであるが、今は、深くつっこんだ話はしないでいい、とのことである。  息子のサッカーの練習にくるほかのお母さんで、看護婦をしている人にその話をしたら、「私は看護婦だから、生物的なことも説明しました。 そうしたら、娘は、『ぎょえ~、そんなことはしたくない』、と言ったわよ。」とのこと。  同席していたもう一人のお母さんは、娘の中学校ですでに数人が妊娠している、という話がでた。 また、彼女自身も18歳で妊娠してしまい、その子供を養子に出した

No. 108 徒然抄

前回の投稿をしてから、また時間が経ってしまったわい。 コンピューターのRAMの追加、ウイルスプロテクションのインストール、Routerの設定など、友人の力を借りてやってみた。 特に、今、これを書いている居間のコンピューターが急に遅くなった。 カタツムリ以下。 その対応をとっていたこの数週間であった。 今は、Youtube.comもぶちぶち切れないで見れるようになった。 すでに11時半を過ぎてしまっているので、今回はみじか~く、徒然なるままにしたためる。 ということで、徒然抄。 ********** DNA うちのばかちん(犬)も2歳になり、だいぶ落ち着いてきた。 体もラブラドールらしくしっかりしてきた。 先日、近くの湖へ家族と行った。 子供たちは水で遊んでいた。  ばかちんは、老婆犬とは違って、なかなか泳ぎを覚えなかったのであった。 今回、太い枝を湖に投げて取ってくるという遊びをしているうちに、ついに泳ぐことが出来た。 やったね! ばかちん! さすが、ラブラドールのDNAがあるのだ、と関心した。  その後、鳩猟の解禁日が来たので、旦那は息子とばかちんを連れて、狩猟場に行った。 ばかちんは初めて。 ショットガンを撃って、どういう反応を示すかを確かめるためである。 実は、3年前、ぷっぷちゃんという老婆犬を連れて、鴨猟にいったんだよね、旦那。 最初の銃声で、ぷっぷちゃん、逃げ去った。 2マイル離れた車の横で、がたがた震えていたそうだ。 なので、私はアニマルシェルターでばかちんを引き取ってきた。 猟犬とするために。 ばかちんは、、銃を撃っても、逃げも隠れもしなかった。 ばかちん、合格である。 めでたし、めでたし。  しかし、今日の夜、庭の畑に魚の骨を埋めておいたら、掘り出して食べていた・・・。 泥だらけの足と鼻面で、家に入ってきた・・・・。 ***************** ビデオ 日本で職業婦人をしていたときは、ビデオ機器の企画というものもしていた。 時には、デモテープを作るんで、編集作業をしたり、自分がデモテープに出たり、有名なミュージシャンに曲つくりを頼んだり、とスタジオにいって見学したり・・・と、まあ、今よりも15年以上も前にビデオ編集、音楽編集などは、経験していた。 なので、もう、そういうことはさんざんしてきて、卒業した・・・つもりであった。 ここにきて、コンピ

N0. 107 帰宅後雑感

昨日の8月22日(金)、2週間の休暇を終えて、ダラスの自宅に戻った。 その間、まったくコンピューターとインターネットにかかわらない生活であった。 いつもの通り、今回も爺婆のいるニューメキシコ州のサンタフェへ。 でも、いつもと違うのは、オクラホマ経由で行き来したことと、中一週間、Ghost Ranchというところで、RVキャンプをしていた、ということである。 オクラホマ経由となったのは、旦那がオクラホマに出張していたので、私と子供たちがオクラホマに3時間北上して、そこから旦那と一緒にサンタフェに行くことになった。 通常、フォートワースの北から287という田舎のハイウエイにのってアマリロという町経由でI-40というインターステート(州横断)のハイウエイでサンタフェにいくのである。 北西に斜めに突っ切る感じのルートである。 オクラホマ経由だと、我が家から北上して、オクラホマでI-40を西に向かうという経路になり、三角形の二辺を行く形になる。 それでも、オクラホマからは、8時間。 我が家から直接行くと11時間。 少し、体が楽であった。 Ghost Ranchは、画家のGeorgia O'Keefe(ジョージア・オキーフ)をご存知の方なら、ぴんとくる場所である。  詳しくは、英語の記述しかなくて申し訳ないが、以下のWebsiteにて。 http://en.wikipedia.org/wiki/Ghost_Ranch http://www.ghostranch.org/ このGhost Ranchは、谷間に在って、修養所、自給自足の放牧場、キャンプ場、ハイキングコースがある。 その中の、RV(Recreational Vehicle)専用のキャンプサイトに滞在した。 一般のキャンプ場の一角に、水道と電気のコンセントを設置した場所があり、そこにRVを留める。 水道と電気をRVにつなげば、RV内には、電気と水道が使え、家に居るのと同じ要領で生活が出来る。 もちろん、トイレもテレビも使える。 これまでは、テント生活のキャンプだったが、今回はこのようにものすごく甘やかされたキャンプとなった。 確かに快適ではあるが、私としては、あまりにも資源の使いすぎで、ここまですることもないんじゃないか、とは思う。 しかし、今回は、94才の老人をキャンプに連れていく、という計画もあったので、R

No. 106 宗教ロック by 忌野清志朗さん

今も清志朗さんのビデオをいろいろ見ている。 以下のビデオ、ものすごく気に入った。 本当に、日本ってそうだ。 女性雑誌を開けてみると、ものすごいページを割いて、サイキックのページやら、オーラのナントカというページ。 百鬼夜行の日本である。 清志朗さんのメッセージは鋭い! あかしや

No.105 忌野清志朗さん

うちの旦那はメキシコに出張に毎週のように行っている。 出張先がメキシコ・シティーだと、必ずホテル・ニッコー=日航ホテルに泊まる。 私も以前、仕事でメキシコ出張したときに一ヶ月ほどお世話になったホテルである。  顧客には、日本人が多いので、(ユダヤ人も多かったと思う。)日本語の新聞や雑誌のサービスがある。 ということで、メキシコ・シティー出張のお土産は、日経新聞と共同通信のダイジェスト版である。 昨日、もってきてくれた7月中旬の日経新聞をベッドでぼーっと見ていたら、一つの記事があった。 キヨシローが喉頭がん克服した、という矢先に、今度は、腰の腸骨にがんが移転していた、という記事であった。 キヨシローとは、RCサクセションの忌野清志朗さんである。 私の世代より一回り上の団塊の世代の人で、日本を代表するといってもいいロッカー。 特に有名なのが、「雨上がりの夜空に」という歌。 題名と歌詞がまったくマッチしないけど、こんなサビのある歌。  ♪ どうしたんだ Hehe Hey 俺のポンコツ~ ♪ というと、ああ、あの歌、と思い出す人もいるだろう。  この曲は、サブリミナル・メッセージがあるので、クリスチャンとあまり結びつかないかもしれないけど、でもこういう歌です。 彼が、喉頭がんで治療に専念していた、というのは、海外にいる私でも知っていた。 でも、やっと復帰した矢先に、がんの転移ってのは・・・。 私は中学のときは、井上揚水、吉田たくろう、古井戸、かぐや姫、NSP、などなどのフォークソングのグループが華々しい活躍をしていた時代であった。 当然、私もギター担いで中学校に通っていたわけ。 でも、ロックはしなかった。 だって、エレキギターやドラムは手が届かなかった。 お金のあるお兄さんお姉さんしか出来ないことだと思っていた。 だから、清志朗さんの存在はそのときは知らなかった。 彼の存在を知ってからも、別にファンになったわけではなかった。 そのころは、浜田省吾に没頭していた。 省吾さんのことは、また別の機会に書こう。 でも、たまにテレビなどに出てきた清志朗さんを見ていて、何故か私はこの人に一目置いていた。 存在感もあったし、やさしさというのか、純粋な感じも受けていたからかもしれない。 清志朗さんのニュースを読んでから、改めて、彼の音楽を聴いてみた。 つくづく、彼のロックは、歌詞といい、曲

No. 104 おちこぼれ (その1)

この書き込みは長くなってしまったので、3部に分けた。 辛抱して、読んでくれれば幸いですだ。 ***************** ダラスはこのところ、ものすごく暑い。 華氏98度の連日である。 摂氏にして、35度位だろうか。  先週は月曜日から金曜日まで、ダラスの南にあるCFNI(Christ For the Nations)という聖書学校で、子供たちの日中のキャンプがあった。 そのため、朝、8時前に家を出て、他の通勤車と混じって、ダラスの南まで延々片道30マイル(48キロ)位を通った。  子供をCFNIで下ろしたあと、更に南に向かって、税制の講座を受けていた。 講座が終わったら、CFNIに戻り、お弁当を食べて、図書館にいって、聖書辞書を見ていた。 そして、4時に子供たちをピックアップして、帰宅。 なので、家に帰れば、5時。 6時過ぎには、夕食なので、すぐ夕飯の準備。 結果、自由時間がまったく無い一週間であった。 それに、疲れた。 働いているお母さんって、いつ、掃除、洗濯するんだろう、と思いいった次第。 今は、先ほど漬けておいた韓国焼肉を焼いて味見している。 今は、夜中の11時。 夜食にしては、ヘビーである。 でも、少しおなかがすいた。 ようかんよりは、いいか、と緑茶をすすっている。 昆布茶でないところが、まだ、モダンであろうか??  ようかん、と書いたら、ようかん、食べたくなったなぁ・・・。 島根県から送っていただいた、ようかんがあるんだよなぁ・・・。 島根県のお茶とお茶菓子は、品のある味で、美味なんだよね。   ええい! たべちゃおう! イエス兄さんは、40日間断食をしたのち、悪魔に試みられた。 悪魔が今、私に、「ようかん、たべれるんだぜ。」と言われたら、私は簡単に食べてしまう。 あーあ。 所詮、神と人間。 出来が違うわ。 ******************* 先週の日曜日の礼拝後、教会の日本人の人達と言葉を交わしていた。 十代、つまり、ティーンになると、難しい、という話題。 私自身、十代のとき、悪かったんだよねー。 というと、「ええっ! そう見えない。」といってくれた慈悲深い方がいた。  事実、私はタバコを辞めたのが、14歳のときであった。 始めたときではなく、辞めたとき。 お酒は、10歳から。 親に口答えするわ、とにかく何もかも、反抗的であった。  中学のと

No. 104 おちこぼれ (その2)

(その2):劣等感、短大、会社 さて、私の成績と大学進学はどうだったか、というと、「おちこぼれた」。 一年生のときは、クラスで17番くらいだったらしい。 でも、2年になって、びりけつ。 3年もたいしたことがなかった。 何故か、というと、恥ずかしいが書こう。 2年のとき、クラスの男の子のことが好きになって、勉強が手につかなくなったのである。 あー、はずかしいが、これが事実。 3年のときは、別に付き合い始めた男の子と2ヶ月くらいで別れてしまい、これまた落ち込んだ。 つまり、男が原因であった。 ああ、中学までの優等生がこれである。 ほんとうにださかった。 さらに、私たちの年代は、共通一時試験元年。 英語を勉強したいのに、なんで、物理や化学を勉強せにゃあかんのか! というのが私の大いなる怒りであった。 だって、物理の先生は、紙一重だったので、授業聞く気にならなかった。 化学は、あの化学記号の表を覚えるのが気違い沙汰に思えた。 なので、物理と化学は自主カットしていた。 卒業できたのが不思議である。 まあ、こじつけはともかく、授業料の安い国立大学ははなから考えなかった、という親不孝であった。 さらに、まったく勉強していなかったし、受験勉強がいやだった。 有名私立女子大、英語で有名な私立大学など、一応は受けたけど、受験料の無駄であった。 親には、悪いことをした。 それでも、母が「ここはどうかしら」と持ってきた入学願書があった。 上智短大であった。 「希望が丘を出て、短大なんて。」という自尊心が私にはあった。 でも、一応受けた。 そうしたら、情けないことだったが、補欠合格した。 多くの人たちが滑り止めに受けていたため、入学を辞退する人たちが多かったからだろう。  結果として、自分の意思にそぐわない、女の園の短大に入ることになった。 上智短大は、上智大学のある四谷にはない。 神奈川県のそれも箱根方面にある、秦野(はだの)の山ふたつにある小さな、英語科しかない女子短大。 一学年250人。 たったの250人。  高校までは、バンカラな校風(早稲田に近い)で、一学年540人x3=1080人のマンモス校にいて、それも、すごい輩がいる型破りな学校で謳歌していた。 それが、都落ちというのか、お嬢様が多く全学年500人で、教授は、スペインから来たシスターや、神父様ばっか、というイエズス会(カトリッ

No. 104 おちこぼれ (その3:最終)

(その3):留学~現在 あるときから、私は留学を考え始めた。 それは、会社で出世したいから、というより、「杭をぬきにいく」、ただそれだけであった。 そのため、当時としては、700万円の年収があったが、それを捨てた。 貯金は、余り無かった。 それでも、TOFELなど、こつこつと勉強し、休みのたびにアメリカに赴き、学校を訪問するなど、親にも、友人にも、会社にも内緒で一人でこつこつと準備していた。 無言実行だ、と自分の心に刻印して、飽きやすい私としては、珍しいほど地道に準備と努力をしたのであった。 留学の決意を親に話したときのこと、留学後のひもじい極貧生活、勉強の苦労、そして、就職など、今回の書き込みでは、書ききれないので、別の機会にゆずる。 ただ、母は、「あなたには、やり残したことがある。」と自分が病気なのに、娘を出してくれた。  到着地のニューヨークでのひもじい生活、勉強で寝れない日々はあった。 本当にあった。 しかし、遊びというものをかなりの規模でかなりの深さで、日本での会社員時代に済ませてしまったので、ニューヨークでは、ただ、ただ、勉強に没頭できた。 当時、32歳。 学生ビザだけであったし、会社はおさらばしてしまったので、収入は無かった。 毎日、予習のために、分厚い教科書をかなりのページ数を読まなければならない。 英語を日本で勉強して、仕事に使っていたからといっても、アメリカの学生生活には、足らないレベルでしかなかったのである。 なので、教科書を読むということだけで、ものすごく苦労した。 教科書は当然、英語。 私は帰国子女ではないから、ものすごいハンデがあった。 ニューヨークは8月の下旬から寒くなる。 9月になれば、吐く息が白くなる。 ひもじいわ、勉強は大変だわ、一人ぼっちだわ、寒いわ、金はないは、食べるものはないわ・・・というときに、愛犬の死の知らせが真冬に届いたときは、「私はここで何をしているのだろう。」と半日泣いていた。 しかし、春になって、スピーチのクラスで大きなハードルを越えられたことがあった。 寝ずに、努力した結果であった。  それまで、自分は、日本人にしては、英語が多少は出来るほうだという、お門違いの自負があった。 しかし、スピーチのクラスの教授に、「あなたの言っていることは、クラスのほとんどが分かっていない。」とはっきり言われて、がーん。 大ショッ

No. 103 訃報の折々

今は、夜中の一時近い。 明日は、朝6時起床なんだが、ちょっと書かないといけないなと思う。 いつものぶっちゃけ口調ではなく、今回はちょいとまじめ。 それも、イエス営業部として、まじめに書く。  先ほどまで、日本から来た訃報に返信していた。 父方親戚の3人の訃報の知らせ。 日本とは、半分音信不通の状態であったが、おじが亡くなったので、送ってきたらしい。 おじの訃報以外は、過去の訃報の報告であった。 私は、近年、日本に帰るたびに、「今しかできないこと」を両親と親戚と友達にしてきた。 上記訃報を受け取った3人の方たちには、近年、お見舞いと訪問をしていた。  一人には、泊めさせていただいて、昔の話などを聞かせてもらっていた。 なので、自分なりの満足感というのがある。  葬式は、残された人たちの心のやり場の行き着くところ、死を周りが受け入れるための儀式であって、亡くなった本人のためだけではないと思っている。 だって、死んでしまっていて、この世では本人はやることがない。 それより、本人が生きている間に精一杯のことをしてあげるほうが、同じ生きている者がすることだ、という思いがある。 なので、帰国のたびに、「今しかできないこと」をしてきた。 父が突然亡くなる直前には、シンガポールから飛んでいった。 母の入院と夏の暑さで、げんなりしていた父に食事を作ってあげた。 また、私が母の面倒をみるから、休んでいて、と。 短い滞在を終えて、私が空港に向かうタクシーに乗ったときは、いつものように、半分喧嘩状態であった。 その4日後、父は自宅で一人で倒れてなくなっていた。 その直後は、私は、父が私に言いたかった愚痴を半分だけ聞くだけにしてしまったので、泣いて悪かったと反省した。 しかし、日本に駆けつけてあげたこと、食事を作ってあげたこと、短かったけど、時間を一緒に過ごし、話を聞いてあげた。 それが、私にとって心の平安につながった。 母は・・・。 これは、圧巻であった。 まだ、ここに書けるほど、私の中で熟成していない。 しかし、母が亡くなる前の一年は、激動の一年であり、私が主にものすごい勢いで引き寄せられ、奇跡や不思議なことを体験させられていた。 あっという間にイエス営業部になった。 そして、苦しい道を通り、泣きながら祈る毎日であった。 母は、クリスチャンであったが、このまんまだと、地獄にいっちゃうぞ、