No. 45 探し物は見つかる その二
二つ目の探し物を見に行く、と書いた。 行ったのだが、ちょっと調子が変で、古い。 悪くはないんだが。 帰り道、車を運転していて、天のお父さんに言われたような感覚があった。 「それ、ちがうんじゃないのかな。」って。 ああ、そうですね、とひとりごとを言った。 家に帰って、専門家に相談したら、その年代に作られたものは、ちょっと問題がある、とのこと。 ということで、売主には悪いけど、断った。 とても良いこれまたイエス営業部のご夫婦だったんだが。 そのもの、彼らのお子さんの為に残しておいたほうがいいと思った。 でも、それを売りたいのは、借金があって、大変だからだ、という。 お子さん1歳2歳3歳といれば、おむつ代だけで、月300ドルは超えてしまうだろうから、そりゃ大変だ。 でも、そのものは、お前のものではない、と天のお父さんにいわれると、悪いけど、断るしかなかった。 大変そうだから、30ドルほど、おむつに使ってくださいって、ウォールマートの商品券でも送ってあげようと思う。 さて、私の探し物はなんでしょうか。 それは、ピアノなんですよね。 ヤマハのアップライトのピアノ。 予算$2000以下。 $4,000あれば、いいのが買えるんですが。 あっしには、お金、ござんせん。 $2,000も借金をする。 もう、いいや。 借金して、どつぼにはまっても。 それでも、お父さん、有難う、って喜んでろって聖書は言うし。 本当に旗からみたら馬鹿だよ。 でも、馬鹿をまじめにやると、すんごいことが起こるって天のお父さんいうから、もういいや。 清水の舞台から飛び降りちゃえ。 今、滞っている事に対しても、「天のお父さん、こんな目になってますけど、それでも、ありがとう。 感謝します。 喜びます。」と祈るようにしている。 馬鹿みたいで、無理そうだけど、言っちゃおう。 ピアノは30年ぶりに弾き始めた。 そのいきさつは、 前Blog にいって、スクロールして、No. 5 ディスコICC その一とその二をを参照のこと。 先週の初めのパタリロ先生の礼拝でのメッセージが「どんなときにあっても喜びなさい」という内容。 とってもよかった。 それに感化されて、自虐的なマゾになった。 うそだ。 言葉でもいいから、どんな苦境にあっても、「天のお父さん、うれしいです。 喜びます!」といってしまうのである。 そうすると、とんでも