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No. 76 ダクトの掃除、その後(No. 75 固定観念の追記)

今日は安息日の日曜日であるが、私たち夫婦は働いた。 朝、旦那は早速屋根裏にあがり、LintEaterでごりごりごりと「正しい」ダクトを掃除していた。 昨晩、手伝うよ、と言った私は、犬と子供達とで、Bedで遊んでいた。 しばらくして、旦那が、「こっちきて、見てみなさい。」と言う。 キッチンの方に寝巻きのままで赴く。 汗まみれの旦那の手にあったものは・・・・・ 「鳥の巣」 だった。  それも、かなり大きい。 ここら辺は、Hay(ヘイ)といって、馬と牛の餌にする干し草が平原にどーんと置かれている。 その干し草をつかった鳥の巣。 屋根とダクトの出口にあり、さらにダクトの中にまで、巣があったそうだ。 確かに、雨水をしのげるし、冬は乾燥機からの暖かい空気でぽっかぽかである。 でも、夏は、住めやしないぞ。 この巣のお陰で、一年近く、乾燥機がうまく使えなかったのだ。 だから、排気を家の中からオフィスのある一角に出していた。 家の一部がほこりまみれになっていた。 旦那の6ヶ月以上続いた出張もひと段落したので、こうやって、やっとダクトを直すことができた。 一休みしてから、庭の芝刈りをするから、とうい旦那。 でも、結構疲れているようなので、芝刈りは、私がした。 木の剪定(せんてい)に、雑草取り。 また、土方焼けにはくがついた。  教会に行く途中、豪雨に見舞われる。 礼拝も大幅に遅れた。 でも、ちょうど庭の水撒きが必要だったので、ちょうどよい、お湿りであった。 鳥の巣、といえば、もしかしたら、暖炉の煙突の出口にも、あるのではないか。 朝、たまに、暖炉から、鳥のピーチクパーチクが聞こえることがある。 また、冬がきて、暖炉を焚く日が来れば、焼き鳥となって落ちてくるか??? ということで、労働してしまった安息日も終わる。 今日も9時までには床に入って、「How doctors think」を読むこととしよう。 今週も安全で、良い一週間でありますように。  あなたにもね。 あかしや番頭     メールを送る

No. 75  固定観念

今朝4時に、老犬に起こされた。 ベッドのわきにきて、「う゛ー」と言われた。 人間の言葉に翻訳すると、「はよう、起きて、あたしを外に連れていかんかい! もれてしまうで!」である。 夢遊病者のように起きて、犬を外に出して、「わん!」と呼ばれるまで、居間のソファーに寝ていた。 自分のベッドに戻ってからは、私のこと、すぐに眠りについた。 旦那はそうじゃなかった。 その時から起きてしまい、家の仕事を始めた。 土曜日の今日の私たちの仕事は、詰まっている乾燥機のダクトを掃除して、空気の流れをよくすること、と、車のメンテであった。 そのダクト掃除には、先日Lint Eaterという道具をネットで買った。 煙突掃除用の細長いワイヤの先にブラシやら、小さなつかみ手のようなものを装置して、ダクトの中を這わせる。  私が起きたころには、旦那は朝食を外ですませ、必要な道具をHome Deptというところで買ってきていた。 屋根裏の板を削る電気のこぎりの音がまもなく聞こえてきた。 うちのばか犬は、何事か?といぶかしげであった。 昔のビクターのマスコットであった、ダルマシアン犬が蓄音機のラッパ型のスピーカーに耳を寄せて首をかしげている、まさにそんな感じで。 下から掃除道具を入れたが、途中、ひっかかったらしく、屋根裏にあがって、上からも詰まったリント(Lint:衣類からでる繊維のごみ)をとろう、という魂胆であった。 ダクトは、地上階から屋根裏に登って、外に熱い空気が排出される用に這わせてある。 日中は40度ちかくなるダラスの夏。 さらに、屋根裏部屋はもっと気温が高い。 その中で、旦那は一生懸命働いてくれた。 途中、旦那が屋根裏からおりてきて、「面白いダクトシステムで、つっかかったのは、なんとFanが途中に入れてある。 おもしろいシステムだね。」といっていた。 私も、「うん。よく出来たシステムだね。」と答えた。 午後は、車のメンテ。 3月のInspection(年次車検というのか)の時、メカニックがパワステ用のオイルというか潤滑油が汚いので、交換しなきゃだめ。 エア・フィルターも汚い、と見せてくれた。それぞれ、$20と$70かかると言う。 うーん。 それは、ちょっと高い。 自分で変えられるからいいや、と断った。 それを旦那と一緒にやろうとしたら、午後、あっという間に旦那がすべてやってくれた。 部品、

No. 74 Have you hugged your children today?: 今日、子供達を抱きしめたかい?

最近、生活のリズムを変えた。  夜、9時から10時が旦那の就寝時間なので、私も同じ時間に床に就く事にした。 朝は、旦那の朝食と昼のお弁当二つを作り、7時には、いってらっしゃい、と送り出す。 その後、洗濯、子供の食事、そして、子供の勉強をみっちりとする。 午後はなんだかんだ買い物などの用が入り、あっという間に6時過ぎには、夕食。 夕食を片付ければ、もう寝る時間。 ということで、コンピューターに向かう時間はほとんど無くなってしまった。 明日は、早く子供達を起こして、ダラスのダウンタウンにある博物館にいこうと思っている。 博物館への行き方をネット検索したついでにこれを書いている。 ***************************** 2日前に6年ぶりにフロリダに住んでいた時のご近所さんに用があって電話した。 うちから4件隣にすんでいたレバノン人の家族であった。 1997年、1998年あたりに、そこの高校生の息子さんの数学の家庭教師をしていた。 優秀なお子さんで、優等クラスに入ったはいいが、数学にちょっとついていけなくなった、ということで、彼の母さんから頼まれた。  ご近所さんだから、毎日来ていいよ、値段も安くしておきましょう、ということで始めた。 背の高い子で中近東人の綺麗な顔をしていた。 毎日、学校が終わると、家に荷物を置いて、すぐに私の家に来た。 お父さんが自分で会社を経営していて、お母さんも事業を手伝っているため、時には、かぎっ子状態であった。 なので、うちで、水とスナックを出してあげた。 育ち盛りだから、よく食べた。 いつも勉強のはじめには、「今日、学校で何があったの?」と聞くようにしていた。 だんだんうちとけて、「今日、俺、伝説を学校でつくったんだ! バスケットの試合ですごい業をしたんだよ。」とか、「あの先生ににらまれた。」「麻薬は学校で簡単に手に入るよ。」などと、自分の親には、話さないであろう内容の会話もしてくれる間柄になっていった。 勉強の方も、試験を受けるコツ、見直しの大切さを教え、幾何学では、箱をつかって立体モデルを作って説明した。 結果として、平均して、95点以上の成績をキープできるようになった。 その子は3人兄弟の長男だった。 妹さんと一番下には弟さんがいた。 時に、頼まれて、妹さんが数学で苦労していたときは、タダで見てあげた。 一度、3兄弟が

No. 73 またやってくれた、ばかちんちん

本来なら、No. 73  すべて任せて飛ぶ その2、と来るはずだったのであるが、今日起こったことを書く。 うちのばか犬は1歳になった。 でも、物を噛む癖はまったく治らない。 毎日、何かが噛み砕かれて、床に散らばっている。 それを片付けるのも疲れてきた。  このばか犬が我が家に来てから、余計な事が増えて、疲労困憊となった一年であった。 あまりにも、いたずらが過ぎるので、最近は、「ばかちん」と呼ぶようになっている。 先週、時差ぼけフルスイングの時に、昼寝をしていた。 なんのきなしに起き上がってベッドの横をみると、ばかちんは、バッグの中から私の携帯電話をそろりと抜き出して、アンテナのところくわえて、そーっと引きずっていた。  現行犯逮捕とあいなった。 今日の午後、自分のオフィス野暮用をしていると、突然、子供達が大声を上げながら入ってきた。 「たいへんだー!! ○○(犬の本名)がマミーの電話を食べたーー!!!」 なにぃーっと、寝室へかけていった。 そこにあったのは、かじられた私の携帯電話。 ソフトカバーをつけてあったのだが、その下半分がかじられていた。 アンテナの先のプラスチックは消えていた。 延長アンテナは、曲がっていて、中に押し込んでも入っていかない。 細い針金が出たまんまになってしまった。 アンテナの元の太い部分には、歯型ががじがじに後を残していた。 しかし、電話は死んではいなかった。 なので、歯型のついた電話だけども、そのまま使うことができるので、買い替えの必要はない。 ただ、ばかちんは、証拠をしっかりと残し、双子の証人もいるので、執行猶予なし、情状酌量なしの確信犯である。  電話を鼻っ面に持ってきて、「ばかちん。 この、ばかばかばかばかばかばかばかーーーー!!!」 と頭とお尻を何回かひっぱたいた。  こうして教えないと、再犯となる。 昨日の礼拝の牧師のメッセージの冒頭は、「Dog Wisperer」(犬と会話が出来、どんな犬でも手なずけてしまう人のこと)の話であった。 そういったDog Wispererは犬を大声で決して叱らない、手を挙げない、とのこと。  そのメッセージを聞いた翌日に、しっかりと飼い犬をひっぱたいている私である。  これを馬耳東風という。 旦那はいつも4時過ぎに帰宅する。 帰宅したところを見計らって、買い物と郵便局に行った。 郵便局では長蛇の列。

No. 72  すべて任せて飛ぶ  その1

今朝、また2時40分に目が覚めてしまった。 日本から戻りすでに5日も経つというのに。  今回の時差ぼけは、かなりきついのである。  いつもなら、帰国後3日目くらいが一番きつくて、その後は、だんだんとアメリカの時間になじんでいくのであるが、今回は違う。 子供達も昼間寝てしまい、翌朝は早朝4時から全開で遊びまわる。 今回は旦那は出張が続き、お留守番で、日本にはいかなかった。 当然であるが、彼には時差ぼけがなく、通常のスケジュールである。 朝の4時から子供達が「ダディー!!」と騒ぐので、旦那にとっては、降ってわいた大迷惑である。 今、私はキッチンでお茶をいれたのだが、うちのばか犬が湯飲み茶碗の音を不法侵入者と勘違いして、「わお わお わおーん」と吠えた。 このばかちんは飼い主にも吠える。 どうしようもない「あほ」である。 「ばかちん!それは、私だ!吠えるな!」と押し殺した声で叱咤したものの、果たして、旦那を起こしてしまったのでは、と冷や冷や。  *************** 今回の日本への帰国は、去年の年末と同様に、「行かねばならぬ理由」があった。 私は誕生日が6月で運転免許の更新が今年となっていた。 日本を出てしまった者にとって、免許証は日本に於ける大事な身分証明書となる。 その為、更新はしっかりやっておきたいと思った。  まだ、親の残した小さな遺産の分割も済んでいないので、分割協議書には、印鑑証明だの、戸籍謄本だの、免許証だの、と煩雑ながらも、いろいろな書類が必要となる。 こういった証明書の類は、先手先手で準備万端にしておきたい。 結果的に、こういった努力が時間と費用の短縮になると思う。 また、日本で働いていた時に加入していた「ガン保険」「介護保険」を解約する必要もあった。 20代、30代の頃の私は、自分は結婚して家庭を持つ、などと思っていなかった。 その為、将来に病気になった時と寝たきりになった時の為に、会社で提供していた上記保険に20才台の後半に加入していた。  アメリカに渡ってからも、多少の蓄えは日本の口座に残しておいたので、そこから毎月の保険料を自動引き落としで支払っていた。 しかし、過去十年は親の件で一年に1-2回は帰国していた為、その貯金も尽きてきた。 そして、口座残高が足りなくなって、保険料を引き落とせなくなっていた。 この春に、保険料未払いの為、保険

No. 71 インターネットのない生活へ

6月下旬まで無沙汰をさせていただきます。 そこには、インターネットが無い、日本海に面した集落というか、村というか、町です。 昔は共同浴場があり、秋には、若者たちが剣を持って踊る祭りがあります。 お寺があって、それを中心に村ができています。 お店は一軒しかありませんでしたっけ。  年を取った方には、その村から一歩もでたことがない、といいます。  ちょっと出ると地平線に砂丘が見えて、そこまでずっと田んぼが続きます。 今頃は、苗代で稲が生長していて、田植えの時期だとおもいます。 過去25年通っていたんですが、最近は駅の周りも華やかになってきました。  おどろいたことに、教会も出来ていました。  では、6月下旬に。 あかしや番頭

No. 70 GPS

先週の終わりから、旦那とのコミュニケーションの時間をしっかりと持つため、夜9時の旦那の就寝時間以降は、コンピューターに向かうのを辞めた。 でも、今日は、旦那は出張。 それに、神さんに書けって言われているようだ。 日本行きの準備やら、ケーブルから光ケーブルのブロードバンドに変える工事やら、息子のサッカーやらでくたくたなので、30分以内で書いてみようと思う。 自慢ではないが、私は野外や路上での方向感覚が悪くない。 太陽の場所とか、感覚的に方向がわかる。 本当に迷って困ったというは、イタリアのベネチアでまよって、ウィーン行きの夜行列車の出発5分前に列車に飛び込んだということくらい。 一方、旦那は始めての場所は方向音痴。 歌も音痴。 だからか、狩猟のポイントを記録しておくためか、GPSのナビゲーションの端末をだいぶ前に購入した。 ちょっとした遠出には、このGPSを持っていく。 GPSとは、Global Positioning Systemの略で、衛星からの信号を受けて、地球上の位置を確定するシステム。いまや飛行機も船も使っている。 この週末、旦那の上司というか、仲の良い人の別荘というか、キャンピングカーの置いてある湖畔のコミュニティーに行ってきた。 これは、2006年の夏あたりの弊投稿「みあげてごらん、夜の星を」に書いた場所。 我が家から2時間のところ。 ダラスの北東にあり、ルイジアナ州よりである。 さて、旦那はこのGPSを車に乗せて発信した。 子供の日本語学校からの出発であった。 私は、一回行った場所なので、方向、使う道、ハイウエイはあたまに入っていた。  このGPS, うるさい。 そろそろ曲がる、ってときに、「ビビッ」と言う。 今、曲がれ、ッちゅー時には、、「ビビーッ!」  さらに、このGPS, 危ない。 運転しながら、旦那、「ピッピッピッ」って、GPSの機械のボタンを押すもんだから、こちとら、事故になりやせんか、とひやひや。 私にとっては、道順と方向をを最初から頭にいれておいて、肝心な右か左かの曲がる方向と場所だけ掴んでおけば、大丈夫なのであるが、旦那は、GPSに頼っている。 なんか面白くない。 あぶない。 うるさい。 さて、日本語補習校をでて、私はてっきりMarshという道を右にまがって、635というダラスを中心の環状線を通って、I-30というハイウエイを東にいくも

くそ忙しいぞ!

5月下旬の日本帰国 -いや、滞在というのか ー に向けて、こまごまとした準備で忙殺されているんだよね。 子供たちを田舎の小学校に体験入学させる。 通学服の色と形が決まっているし、体操着だの、「名札」をつけなきゃいけない。 なにも書いていない真っ白の子供のT-シャツを探すだけで、くたくたになる始末。 ないのよ、子供用の白いTシャツ。 体操着袋、歯磨きセット袋・・・。 それに名前かいて・・・。 うわばきの存在すら忘れていましたよ。 いろんな人に世話になるから、おみやげを選んで。 アメリカってろくな土産ないんだよね。 日本で入っていたいろいろな保険も解約するし。 解約書類、PDFで送ってください、と頼んだけど、「本紙」 - たぶん、厚い紙なんだろう - じゃないと駄目とか。  それに、日本では、免許更新に28年ぶりに高2クラスの同窓会に、いとこと一緒に温泉だ。 親が二人ともいないってのは、やっぱ不自由だね。 「親を敬いなさい」 - 十戒  ほんとうだよね。 出発までに、書けたらかくね。 あかしや

No. 68 パンドラの箱

前回の投稿でかいたように、私は遅刻大王であり、時間の使い方がへったくそである。 そして、家の片付けも大の苦手なのである。 物が捨てられない。 昭和一桁生まれの両親にそだてられたからかも、と理由を死んだ親にこじつける。 昭和一桁生まれの人たちは、第二次世界大戦、または、太平洋戦争のとき、10代を過ごし、戦争中は配給制、戦後派は物資不足の中を闇市で口糊をしのいできた人たちが多いので、物を捨てない。 なので、親からは、「物を上手に捨てる。」ということを習うことをがなかった。 私の捨てられないもの、とは、本。 大学の時の(アメリカでの)ノートと教科書。 子供の書いた絵、作品。 紙の手提げ袋。  とくに、本は、司馬遼太郎がすきだし、そのほか、いろいろな本がある。 何度も読み返すことがあるので、捨てられない。 旦那も一週間に、1-2冊読んでしまう人なので、二人の本の数がすごい。 数ヶ月前、ついに、本棚が重さで崩れ落ちた。 それも修理しておらず、山積みのまんま。 大学の時の教科書は、会計、税制の分厚い本があって、今でも使うので、自分のオフィスの上にしまってある。 ノートもきちんととっていたので、これもすてられない、というか、会計などの技術的なことのノートはあとで読み返すかも、と捨てられない。 さて、これだけではない。 アメリカでは、毎日これでもか、これでもか、とダイレクトメールが来る。 それをいちいち開けて見る時間がないので、そこらへんにぽいとおいて、それが山となる。 これだけは、なんとかしてほしいものだ。 さて、物を捨てられない上に、我が家には、引越し荷物がダンボールにはいったまま、たくさん残っている。 私たち家族がシンガポールからテキサスに引っ越してきたのが、2004年の9月の終わりであった。 となると、今年の秋で3年となる。 それを遡る2002年の9月にフロリダからシンガポールに引っ越した。 となると、2002年から2004年の間に海外引越しを2回したということだ。 私自身、日本にいるときから数えて引越しは、海外引越し2回を入れて合計7回である。 旦那は、その3倍くらいは引越ししているんだと思う。 引越しをするたびに、「なんでこんなに荷物があるんだろう。」といつも驚く。 それは、引越し回数を重ねるごとに、荷物の量は増えるのであった。 引越しが頻繁になると、引越し荷物を開けな

No. 67 時間のやりくりと要領

ここで告白する。 私は遅刻大王である。  中学の頃から、遅刻は得意であった。 まだ、時間あるやーっていつも構えていて、直前になって青くなって、ばたばた・・・。 早くいって待ってりゃいいのに、どうもぎりぎりまで、うだうだしている。 結果遅刻となる。  高校のときは、学校まで7分というところに住んでいて、学校と家の間に担任が下宿していたので、歩いて学校に向かっている担任を走って追い越せば、遅刻にならなかった。 まったく自慢にならない。 母に生前言われた。 あなたは、このことでいつか大失敗する。と。 失敗、とは意識しないまでも、信頼は失っているんだろう。 あーあ。 子供にも悪い影響、与えてるんだろうなぁ。 さらに、私は時間の使い方がへたくそである。 これを少しここでやって、次にこれをここからやって、という芸当ができない。 何か始めて、それに没頭してしまうと、途中で止められない。 次に計画していたものが出来なくなる。 一度始めたことは、集中してしまうと、かっぱえびせんの状態。 ♪やめられない、とまらない、かっぱえびせん♪、なのだ。 以前、上司に「お前は竹槍投げだ!」といわれたくらい、何かを始めると、職場にも帰ってこなかったり・・・。 しかし、竹やりって、今でもあるのか? まあいいや。 そんなことで、毎週のように、後悔ばかりしている。 このBlogだって、今日は辞めとくかと、思っていても、書き始めると一気に書いてしまうので、結果として、寝るのが遅くなり、翌朝つらいのである。 そんなことしてるから、朝は、子供たちを短時間で食べさせたり、あげくのはてに、送っていく車のなかで食べさせるということになる。 ぐうたら母親である。 さて、こんなアホがMIXIというオンラインコミュニティーにはまったらどうなるか、それは火を見るより明らかである。 28年ぶりの高校の同窓会の連絡をMIXIでやっていた、という理由もあるが、別のコミュニティーで、いろいろあり、そこで時間をさいて、投稿していた。 なので、結構時間を取られていたようである。 いつものことながら、どつぼにはまっていたんだと思う。  これが度を越すと、日本語では、「○○中毒」「○○依存症」と呼ばれて、英語だと、「○○Abuse」とか、「○○Addiction」となるんだろう。 しかし、先週の日曜日から一日のスケジュールを変えた。  朝は

No. 66 わたしゃ、妖怪ではないぞ!

ごぶさたで候。 さて、このブログを読んでくれている人たち何人かから、「なんで、あかしや番頭なの?」と聞かれる事がある。 もったいつけて、「それは、ブログを読んで。」とじらしているのである。 あかしや番頭とイエス兄さん、なんの関係があるんだろうか、と悩んでいる方へ、今日はその意味を説明しよう。 苗字の「あかしや」は「吉本興業」からか? さんまと関係でもあるのか? と思われる人もいるだろう。 あれは、「明石」(あかし)からきているんだと思う。  でも、私のは、別の漢字の「証」(あかし)、から取った。 ほんじゃ、「証:あかし」ってなんじゃらほい?という方たちへ、説明しようね。 わたしゃ、牧師でも牧師の奥さんでも、神学校の生徒でもなぁーい。 ただの、普通の主婦。 旦那のことをほっぽらかして、自分の部屋で、夜はコンピューターにむかって、カタカタとキーボード打って、うつつをぬかしている、ただのぐうたら。 おまけに、まだ聖書全部読み終えていなぁーい。 こんなんだから、神さんとイエス兄さんのことを格調高くはなせなぁーい。 理論に沿って話せなぁーい。 この文読めばわかるっしょー。 XXXXXという御言葉(みことば)は、○○○○○の手紙の△△章◇節にある、なんて、辞書みたいに出てこない。 でも、イエス兄さん、神さん、聖なるバディーは、私たち家族を津波から救ってくれていたし、母を天国に連れていってくれたし、このコンピューターをただでくれたり、もう、いろいろ世話になりっぱなし。 なので、せめて、心にじぃーんときたこと、思うことを自分の出来る範囲の稚拙な文章でなんとか表して、感謝の気持ちを表現したい、っちゅーことなんだよね。 自分の体験、心と魂でじぃーんときたことを私なりの言葉で表現して、お友達とか、知り合いに話すこと、それが「あかし:証」なんだよね。  別のいいかたすれば、彼氏とか彼女のことを、「こんなにいい人で、こんなにいいこと、私にしてくれたんだよーん。」って「のろける」ことなのさぁ。 「神さんって、こんなにいい人で、すごくってさぁー、こーんなこと、私にしてくれたんだよねー。」って調子で。 牧師さん・神父さんが持っているちゃんとした知識が私になくても、「のろける」ことなら、アホな私にだってできるもんねぇ。 そうだしょ?  じゃあ、そうやっていこうかぁーって、苗字を「あかしや:証屋」にし

イースター:オクラホマにいっとるで~

イースターの週だ。 ここ、アメリカでは、学校が休みになったり、交通量が増えている。 メキシコに用があって、連絡したけど、返事なし。 そうだ、Semana Santoといって、「聖なる週」ってことで、仕事してないと思う。 4月3日がイスラエルのお祭りの「過ぎ越しの祭り」なんだよね。 その祭りが始まる前に、イエス兄さんは十字架の上で死んだ。 そして、3日後に蘇った。 ちゅーことは、本当の復活の日は、今年は、4月5日ってことか? 暦の上では、4月8日がイースターとなっているけど、これは、日曜日だから。 本当は違う日ではないかなぁ。 さて、下痢から復活した私ですが、家の汚さ、洗濯物がエベレスト、という状態で、がたがたしていたんです。 それなのに、今度は明日から、オクラホマに一泊してきます。 親戚まわりでんがな。 今日の夕方から、うちの教会が間借りしている教会で、合同礼拝があった。 うちの教会+韓国の教会+アメリカの教会とで。  クワイヤー(合唱団)に参加してきたんだけど、今日一日歌っていたし、睡眠不足もかさなって、今日はもう、くたくたのくたさん。 だめだわ。  イースターのことなど、書きたいな、と思っていたけどなぁ~。 日本だと、あまりイースターって聞かないよね。 ん? たまごに色を塗る? イエス兄さんとは関係ないものだよ。  まあ、お時間あったら、マタイによる福音書の26-28章を読んでみてくださいなぁ。 っちゅーことで、わたしゃ、もう寝るわ。 おやすみね。

No. 65 寝込んで思ふこと

この金曜日、3月23日に11時間運転してサンタ・フェから帰ってきた。 帰ってくる日から気持ち悪くて、家についてからは、ダウン。 胃にくる風邪らしい。 日曜日の夕方、すこし良くはなったので、固形物を少し食べた。 その夜中、ものすごい腹痛とものすごい下痢。 恐れていた「げげ」はまぬがれたものの、真夜中、一人で結構苦しんだ。 なにせ、トイレには5分おきに行かなければならなかった。 ばか犬も眠くて、起きて来やしない。 その苦しみのなかで、現在、抗がん剤の副作用に苦しむ友を思った。  抗がん剤の副作用の吐き気と下痢、脱力感とは、これ以上のものであろう。 私のこの症状は一週間でなんとか治るであろう。 しかしながら、彼女はこのつらい状態が一年続くわけである。 それを思ったら、苦しみのなかでも、「神様、私のこの苦しみを取り払ってください。」と自分の為に祈るよりも、その友人の為に祈ることとなった。 このつらさも、多分、彼女の苦しみの百分の一を理解できるように与えられたんじゃないか、と。 それを思ったら、また、マゾ精神なのか、この苦しみを有難うございます。 これで、彼女の苦しみが少しわかります。 もっと彼女のことを祈っていきます、と祈った。 そして、いつの間にか眠りについた。 しかし、こういった苦しみを家族から離れた病院で絶えているご老人たち、いかに寂しいだろうか、と思う。 夜中の病院、ブザー押して、「痛い。 助けてください。」といっても、夜中は看護士が手薄だから、希望がなかなか叶わない。 家族の負担はものすごいけど、やはり、お年寄りは家で家族と一緒に最後まで過ごせるのがいいのかなぁ。 家族といっても、嫁とか姑とかあるから、複雑だろうけど。 その翌日の昨日、前夜の苦しみの再発が怖くて固形物を食べれず、何も食べずに、寝ていた。 直腸がんでなくなった親友の旦那さんを思い出した。 腸が癒着して、最後には何も食べれなかった彼。 下がふさがっているから、食べ物が下からでない。 逆行するのみ、という地獄の苦しみ。 「俺、本当はチャーハンたべたい! 餃子たべたい!」と言っていた。 その気持ちも分かった。 3時にはなんとか子供たちを迎えにいって、その脚で、スーパーにいき、ゲーターレードを沢山かってきた。 日本だったら、ポカリスエットを迷わず10本は買っているんだが、合成着色料がまかり通るアメリカ。 赤

春休み

3月19日から一週間、子供の学校の春休みです。 ということで、また、じじばばの住むSanta Feに行ってきますだ。 また、600マイル、旦那と交代で12時間運転か・・・。 でも、ばばが楽しみにしているので、行ってきます。 明日の朝、3時起き。 気が向いた人は、天のおとうさんに、「道中、守ってね。」って言ってみてくださいね。 では、3月の下旬まで! あかしや

No. 64 怖いもの

今朝、いつものように、ばか犬(ぴっぴちゃん)と老犬ぷっぷちゃんを散歩に連れていった。 いつも車を停める駐車場にバンを置いて、二匹をおろした。 もちろん、呼んでもそばにこないばか犬は、首輪に引き綱をつけた。 その駐車場から森への小道にいくには、道路沿いにある歩道をほんの少しだけ歩く。 その歩道にさしかかるころ、ぴっぴのばか犬、行きたくない、という。 「なにぃ~、なにしとるんや! ほれ!いくんだよ!」と綱をひっぱって、森の方に向かうと、今度は、猛ダッシュしやがった! こちとら、そこの高い靴(ハイヒールというより、全体が高いブーツのようなもの)をはいているんで、危うく、こけそうになった。 危ない! ぐいんってひっぱるから、へたすりゃ、鞭打ちになるよ。 老人になったら、こういったばか犬は飼えない。 こけて、骨折って、寝たきり老人となってしまう。 そんなことを考えている私のことは、どうでもよく、ばか犬はぐいぐい、ひっぱっていく。 森の小道に入ったところで、首輪と引き綱をはずしてやった。 それでも、道を先へ、どんどん走っていく。 「お~い、どこへいくんだぁ??」 それでも、しっぽを下げて走っていくあのばか犬。 後ろを振り向くと、今、通ってきた道路の分離帯では、工事をしていた。 その工事現場には、キャタピラー社製の大きなパワーシャベルが土を掘っていた。 ぐお~ん、ぐお~ん、という音と、エンジンの音がしている。 そうか、これだったんだ。 ばか犬がこわがっていたのは・・・・。  そうね。 犬にしてみれば、パワーシャベルの用途なんて理解できるわきゃぁないわ。 あの黄色くて、どでかいロボットのような手のものが、ごぉ~って動くんだから、そりゃあ、怖いかもしれない。 人間にしてみれば、ジャイアントロボにせまられてるようなもんだ。 (* ジャイアントロボ:1960-1970年代のTV番組:でかーいロボットよん。)  老犬のぷっぷちゃんは、べつに~と普通に歩いている。 さ~すがぁ、年の功。 年季はいってるよね、このおばさん。 年輪を重ねると、あまり驚かなくなるってことね。 ばか犬でも、怖いものがあった。 怖いといえば、思い出すのが、野茂投手。  13年前、日本人ただ一人、アメリカの大リーグで勝負するために来日した。 ロス・アンジェルスのドジャーズに入団。 あのナックル投法で、多くのスラッガーを三

No. 63 読んでくれて有難うござんす

来月で、このBlogを始めて一年がたちまする。 不定期発行で、時には2週間も書かない、ほんまにいい加減なBlogなんですが、それでも、ちょぼちょぼ、ここに辛抱強く来てくれる人たちもおられます。  心より、御礼申し上げまする。 最近では、スリランカにいる日本人の人のBlogに「もうリンクしました。」なんてメールが来たり、どこかの神父さんか牧師さんからメールで、コメントをうけたまわり候。 さらに、28年ぶりの高校の同窓会が今週末あって、それを機会に昔の同級生、同窓生と通信が始まり、同級生、同窓生もこのBlogを読んでくれたり候。 あっしは、敢えて、熟練クリスチャンにはなりたくなく、むしろ、イエスって何者?という時の自分にいつもたちもどり候。 どういったことで「クリスチャン」という言葉にたいして抵抗があったか、どういうことが分からなかったか、などを振り返りながら、敢えて口語体で、筆をはしらせたり候。 それもあほな、江戸弁、横浜弁、関西弁をごちゃまぜにして候。 先週、ここダラスの日本人の人から、わざわざ電話ももらいたり候。「おもしろい。 罪ってこう書かれると俺でもわかるよ。」と言ってくださり候。  てなことで、相変わらず、誤字、脱字、まちがいの多い文しかかけまへんが、見逃しておくれやす。(これは京都弁か?) では、これからも、よろしく、よろしく、お頼み申し上げ候。 めちゃくちゃ日本語で候。 だから、あほなんよ。 やはのうえ本舗 イエス営業部 小間使い あかしや番頭

No. 62 恩人の言葉

2007年、2月ももう終わろうとしている。 速いもんだなぁ・・・。  私がマンハッタンに留学生として降り立ったのが、1992年の8月だから、アメリカ滞在、もう15年目となるんだ。 日本では、バブルが1991年にはじけて、その打撃が個人レベルで感じられるようになった年に日本を出た。 なので、「失われた10年」というものを経験していない。  ここまでの15年、いろいろあり続けたけど、今日も、朝起きて、私は生きている。 毎朝、毎朝、それを第一に、天のお父さんに感謝している。  1992年当時、私は30歳をちょっと越えたばかり。 そんな年で、結構よかった年収の仕事を辞めて、アメリカに留学、と決めた。 でも、母は難病を抱えていたし、そんな状態で親を置いて、出ていいものか、という躊躇もあった。 一応、私は長女で、父と母は私を頼りにしてくれていた。 そんな時、高校からの親友の旦那さん交えて、食事をした。 彼は、大企業の部長さんに、30台後半で昇格したばかり。 北陸出身の人で、北陸の有名国立大学を卒業して、東京に本社のある会社に勤めた。 彼は、私に言った。 「いつかは、親を捨てる時がくる。」 と。 その一言が私の運命を後押ししてくれた、と言っても過言ではない。 この人の言葉で、私は踏ん切りがついた。 彼自身、若いころ、父親を亡くした人であった。 東大に入れた人でもあったようだ。 しかし、母親を残すことに躊躇し、地元の国立大学に入った。 その後悔があったらしい。 彼は、その後悔を私に託し、前進しろ、と背中をこの言葉で押してくれたのであった。 難病の母も、私には、やりのこしたことがある、とわかっていたらしい。 「行ってきなさい。」と言ってくれた。  父は、ぶすっとしたままであった。 そして、両親と多くの友人たちに見送られて、1992年の8月の上旬、成田空港から飛び立った。 英語の苦労、極貧生活の最初の一年であった。 つらい日々の後は、仕事が与えられ、口糊をしのぐことが出来るようになり、さらにそれがきっかけで - といっても、風が拭けば桶屋がもうかるの類のきっかけであるが - 旦那にもドイツでめぐり合うことが出来た。 今は、双子の元気(すぎる)子供と2匹の犬たちと、私にはもったいないくらいの旦那と、楽しい家庭を持つことが出来ている。  だいぶ後の2年前にわかったことだが、アメリカ行きは、

No. 61  うちのばか犬 その2

いっそがしい一週間であった。  バレンタインズデー、娘の初めての歯医者、息子をドラムのコンサートに連れて行き、日本人学校、娘のクラスメートのお誕生会に・・・と、学校と家を何回も往復したり、子供のクラスで、バレンタインズデーPartyするってんで、御菓子一人一人包んだり。  双子で、二クラスだから、子供36人。 足すことの、先生二人。 こんなにキャンディーもらってどうすんねん! だから虫歯になるんだ! それに、キャンディーの色っちゅーたら、赤青黄色・・・。 どれも人工着色料じゃないか。 あれは毒だ!! と叫んでも、いつのまにか、娘は平気な顔をして、キャンディーをあっというまになめ終わっているのである。  さて、そんな忙しい一週間であっても、うちのばか犬は一向に反省する気配なし。 最近は朝、人が寝ているところに、どーんとのっかってきて、べろべろしながら、手(犬の)で人の顔を殴るのである。 起こしてくれるのは、ありがたいが、お手柔らかに頼む。 先々週の金曜日の夜、掃除機を解体した。 夜、食事が終わり、お皿を洗ったあと、新聞紙をひいて、ドライバーを出してきて、よっこらせっ、っと床に座って始めた。 なぜ、解体か? Mixiの日記にも書いたので、Mixiで日記読んでくれている人はご存知である。 金曜日の日中、家の掃除をしようと、まず、リビング・ルームから掃除機をかけた。 タイルの上にカーペットが引いてある。 赤、茶色、ベージュの一般的なイラン模様のカーペット。 その上も掃除機をかけた。  しばらくして、やたら臭い。 ん?????????? やっぱ臭い。 ん???????? なんと、うちの馬鹿犬のウンチがカーペットにあったのだが、うんちがカーペットと同じ色だったので、気づかずに、その上を掃除機でがーっと・・・・・。 ウンチは、カーペットの上にのりのようにのばされ、へばりついていた。 知らぬまま、別の場所に、ウンチ付き掃除機かけたもんだから、うんちは、一箇所だけにとどまらなかった。 さらに!掃除機の車輪の中にもめりこんでしまったのであった。 ひえぇぇぇぇぇーーーーーーー!!!! 当然、犯人はあのばか犬。 少し下痢気味だったのか、ゆるい状態のもの。 見事、カーペットの模様になじんで、カメレオンのように、擬似体となっていたうんちであった。 掃除機をひっくり返して、底をみたところ、結構奥

No. 60 うちのばか犬

うちにぴっぴちゃん、というラブラドール雑種の犬がきてから、6ヶ月になった。 今は、生後8ヶ月。 ここんとこ、ぴっぴちゃんは、「Idiotta! (イディオッタ)」と呼ばれている。 つまり、「おばかちゃん」「ばかもの」転じて、「ばか犬」となってしまった。 なんでかっていうと・・・ (1)未だに、ちゃんと外に出しておしっこさせないと、家のなかで、「じょー」ってしてしまう。 この間は、人の目の前でしてくれた。 (2)子供のぬいぐるみ片っ端から引きちぎる。 家に外出先から帰るたび、詰め物の綿が、床一面に広がっている。 (3)人の(特に子供達の)食べ物をテーブルから盗む。 鶏の骨など、犬の腸には良くないのだが、テーブルの下から、長い舌を出して、ものすごい勢いで盗む。 「こらーー!!」と追いかけると、逃げ回る最中に、骨を飲み込んでしまう。 すごい芸当だ。 それでも、翌日、生きている。 (4)人に飛びつく。 娘は、ほっぺたに引っかき傷をつけられた。 (5)家の庭の大切なもみじの根っこを掘り出した。 ばかものー!! そして、泥だらけの足で家のなかを走り回る。 (6)そのくせ、怒られると、すぐ仰向けになり、服従の姿勢をとる。 いや、ただ単に、おなかをさすってもらいたいだけか。 (7)私のベッドの足元で寝るんだが、動かそうとすると、「う”--ん」とうなる。怒る。 私のベッドだぞ! (8)呼んでも来ない。 車に轢かれても知らんぞ! (9)まだ、歯がすべて生え終わっていないので、人の指をかみかみする。 痛い。 (10)車のシートベルトをカチッとはめるところを、がりがり噛んでくれた。 食卓に使っている椅子も噛んでくれている。  (11)子供をお風呂にいれたあと、湯船のお湯を抜くのを忘れていた。 お湯を抜きに行ったら、ちゃっかりと、「いーい湯だな」と浸かっていた。 (12)犬2匹と旅行した帰り、知人の家に一泊した。 そこで、しっかりと、じゅうたんの上にうんちをした。 $100払ってきた。 (13)庭は、うんちだらけ。 毎週、拾い集めるのだが、2-3キロにはなる。 そして、そのうんちに、子供の色付きねんどが入っていて、うんちがピンク色交じり、緑色まじり、青まじり、となっている。 この間は、ドラムスティックの先のプラスチックを発見。 いろいろな家庭にあるものが、混じってでてくる。 それでも、生きて

No. 59 骨なし野郎の試作品

このBlogはGoogleのBloggerを使っている。 新機能ができたというか、Beta版から脱却したということで、変換したら・・・あじゃぱ~~、右のE-mailとLinkが文字化けしとるわ。 海外にいて、海外使用のコンピューターで、日本語を書こうとすると、IME(Input Method Editor)を使って日本語を書く。 でも、相手方によっては、文字化けすることもある。  まあ、しょうがない。 ゆっくり直していきます。 ********************* 昨日、ダラス地域に雪が降った。 これで、3-4回目。 ダラスでの3回目の冬であるが、今年は冷え込む。 気温もぐっと下がる。 こちらは、華氏を使っている。 華氏32度は摂氏の0度だから、華氏30度台は寒い。 これが20度台だと、零下を十に越えているから、凍る気温、っちゅーわけ。 昨日の朝の気温は28度であった。 子供を学校に送っていったあと、いつものように、犬2匹連れて、森の中へ行く。 犬たちって、あんな薄い毛皮しか着ていないのに、寒さや雪は大丈夫。 まったく、人間だけだよ。 服着なきゃいけないの。 まったく、アダムとイブのやつ。 どうしてくれんだよ。 駐車場から、森の遊歩道に行くまでのたった、30メートルの道のりには、なんと橋がある。 その橋を下を流れる大きな運河というか下水を見ながら通り過ぎる毎日である。 しかし、昨日は、歩みを慎重にした。 だって、凍ってるんだもーん。 ちらちら降った雪が解けて、それが凍って、すべりやすくなっている。  こういう日は橋の上を運転するときには、注意が必要。 スピードを緩めて、決して、橋の上では、ブレーキを踏んだり、ハンドルを切ってはいかんのだ。 車、好き勝手な方向にワルツ踊っちゃう。 事故になる。 ということで、昨日、25マイル離れたところで聖書の学びの会があって、そこでピアノ弾きしとるんだが、それを、「わたしゃ、お休みやで。」と休んでしまった。 ごめん、じゃみら。 凍った橋を通り過ぎて、森の中の遊歩道にはいる。 土の上に積もった落ち葉の上に、雪がちょっと積もっている。 小枝、木々も銀世界になっている。 いやー、きれいっすねぇ、お父さん! 寒いことより、景色の美しさにしばし、とどまっていたんだ。  地面に目をやると、土の上は雪が解けはじめている。 やっぱ、土って暖か