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No. 230 愛がなければ

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告白する。 現実逃避としてYoutubeをみることがある。 仕事の合間の息抜きに。 ビジネス系Youtubeもよく見る。 ひろゆきさん、ホリエモン、南原さんなどは、聞いていて、ほおー、そういう考えなのね、と感心することもある。 ほかに長者番付上位の人のYouTubeを見て、家を掃除しなきゃ、とか、啓発はされる。 まあ、そんなビデオを見てきてはいた。 でも、この日曜日、Youtube Channelに下の番組が出てきた。 死に向かう母親の為、病室で結婚式を挙げた、というもの。 その二日後、この方の母親は亡くなった。 百万回再生されている、とキャプションに出てきている。 Leslee Layton Filmという会社がYoutubeにUploadしているので、収入を得ることも目的とはしていると思う。 でも、内容を見ると、ビデオにあふれているのは、「愛」であった。 たまにみているのが、デンジャラス赤鬼のYoutube。 横浜は関内の駅構内と横浜スタジアムの脇で、路上生活をする人たちに、いつも食事を配っている”なきまくん”たちがのチャンネル。 あの界隈は、私が住んでいたところなので、あ、近所じゃん、という背景が出てくる。 そう。横浜ってのは、30-40年ほど前から、みなとみらい、とか言って、開発はすすんだが、あまり美しい景色になはっていない。 汚く、路上生活者がいつも風景にあり、裏には、元遊郭だったソープランド街があり、飲み屋があり、在日韓国人の友達が、素のままで生活できるところーだった。  やくざさんもいまだに沢山いるんじゃないかな。 中華街にある事務所の前だけ、いつも、駐車スペースがあいていた。 関内駅の北側に行けば、寿町、というドヤ街がある。(そこにカナン教会がある。) さて、デンジャラス赤鬼のなきま君たちが、路上生活者の方たちを支援し始めて、であったのが、「おいちゃん」。 先週にそのおいちゃんは、舌のがんで亡くなった。たぶん、寿町の簡易宿泊所だったのだろう。 4か月、ずっとなきま君たちはおいちゃんの世話をしてきた。 売名行為、再生数稼ぎ、という批判も当然あると思う。 でも、おいちゃんの最後の一週間のビデオをまとめてくれて、Upしてくれたのが、この土曜日。 他人にとって、人の死はある意味で快感― シャーデンンフロイデ”Schadenfreude” である。 物見遊山で

No. 229  お客様は、神様じゃねぇ

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以下は、昭和の名言である。 「三波春夫でございます。 お客様は神様です。」 今の若い人は知らないと思うけど、三波春夫さんという歌手がいた。 令和の前の前の元号、昭和の時である。 戦後の歌謡曲の歌手の多くが、教科書通りみたいな歌い方だった。 この歌手の人が、派手な着物をきて、派手なステージに立っているお姿はテレビでよくみた。  男のくせに、お化粧をしてステージに立っていたので、子供の時は、不思議な人がいるなぁ、と思ったことも。 昭和かぁ、テレビ、というメディアが、お茶の間の中心であった時代のこと。 「お客様は神様です。」 結構インパクトが強い文句なので、人々の頭に、まるで格言のように刻みこまれている。 意識に植え付けられている言葉だから、多くの人たちが、勘違いして、この文句を真実と思ってしまっている。 結果、このフレーズは、色々な場面で使われるようになった。 一番利用しているのは、「クレーマー」と呼ばれる人たちかな? クレーマーって、これまた、「Cramer vs Cramer]という古い映画ではなく、「クレーマー」。英語だと、WinerとかComplainerというのかな。 店やサービスしてくれる相手に対して、難癖付けて、ぐちぐち文句言う人達のことらしい。 そこでよく使われるフレーズは、「お客様は神様だ!」らしい。 あたしの商売は一応、客商売+法律+政府に提出、というたぐいである。 でも、クレームはほとんどなし。 困ることは過去数回しかない。 その一部を公開すると、こうなる。 私より年上のお客さんでアメリカ人だけど、順番を待たずに、すぐに結果を急ぐ人がいた。  そういう方には、順番ですよ。ほかのお客様も尊敬しなければなりませんので、私の方で処理しなくてもいいですよ、とやんわり断ってしまう。 私も歳をとると、このように、忍耐が無くなるのか、と怖くなる。 気を付けようっと。 でも、こういう人たちは、まだ、かわいいほう。 問題なお客は、法律を説明しても、従わないようにできないか、と湾曲的に聞いてくる人。 もっと問題なのは、法律を説明しても、それにチャレンジしてきたり、無視して続行という人たち。 そういう人達は、あたしは、”Fire Clients”をする。 日本語に直訳すると、「お客を解雇する。」 たとえ、百万円、二百万円くらいの手数料を毎年頂いていても、”Fire”しち

No. 228 「馬鹿じゃないの?」の使い道

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 仕事中、一息、休みってときに、Youtubeを開くことがある。 また、音楽のYoutubeをBackgoundに流すことが多い。 Youtubeはかってに「お勧め」が表示されるので、題名に載せられて、ちょこっとみてしまうことも多々ある。 そう、あたしはふつーの人間。凡人で、はやりに流される。 んで、ホリエモン、ひろゆき、青汁王子、南原さん。。は結構見るようにはなった。 特にホリエモンやひろゆきさんは、辛口発言が多い。 「XXXXXなことって、馬鹿じゃね?」 「XXXXはもう終わっている。」 「XXXはボケましぐら。」 この「馬鹿じゃね?」という言葉はYoutube, SNS, Twitterなどでは、市民権を得ている。 でも、その言葉の裏に、「なんとかしてよー。」という期待も多少含蓄されていると思う。 そして、この過激な言葉に啓発されて、心ある人、気が付く能力のある人は、改善してちょうだい、という薄い期待感もあると思う。 じゃあ、聖書はなんていっているかな? 箴言9章7節―9節【1955年改訳】* あざけるものをいさめる者は、自ら恥を得、 悪しきものを責める者は、自ら傷を受ける あざけるものを責めるな、 おそらく彼はあなたを憎むであろう 知恵あるものを責めよ、彼はあなたを愛する 知恵あるものに教訓を授けよ 彼はますます知恵を得る 正しいものを教えよ、 彼は学に進む あたしは、てっきり、馬鹿って言っちゃいけないよ、って聖書は言うと思った。 しかし、違った。 聖書では、人を選んで、お小言はいうように、といっている。 きつい言葉は、知恵のある人に、使え、ということだ。 ここのきつい言葉は、改善を求めるという含蓄がある。 聖書のロジックってこうだ。 あざける人を戒めたり、責めたりすると、反対に恥をかくし、反対に憎まれる。 悪しき人に何か言うと、傷つけられる だけど、辛辣なアドバイスは人を選んで、知恵がある人だけに使えば良い。 ということだね。 古い言葉に「馬鹿にバカ、といってはいけない。」というのもある。 そうか、やっきになって、あまり考えず、馬鹿!と言わない方が安全だし、疲れないか。 SNSに何であんたバカなの、という説明を書くのも、時間がもったいない。 言いたくなったら、一晩ゆっくり寝てから、言うかどうか、考える方が賢いね。 あたしも、気をつけようっと。 怒ったり、か

No. 227 顧客が洗礼

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 とても暑い毎日。 ばあちゃんが逝ってまってもうてから、3か月経ってしまった。 人、特に親というものが亡くなると、残った子供たちの間で、お金に関するいざこざが起こるのは、いつものこと。 それやかんだで、緊急事項の対応などで、州外に行ったり、会計やったり、ばたばたしていた。 そんな中で、嬉しいおしらせ。 数年前、お客様を教会に連れていった。 そのお客様が、昨日、洗礼を受けた。 ご本人だけではなく、奥様とお子さんお二人を含む、家族4人全員であった。 私はただ、声をかけて、教会に来ていただいただけ。 すべては、神さんのご計画だと思う。 数年前、教会に来ていただいたとき、たぶんであるが、この家族の為に祈ったと思う。 神さん、お願いしまっせ、って。 でも、そのあとは、どうなのかなぁ、と思っていた。そして、コロナ禍が来た。 その祈りは、忘れてしまったけど、教会のみんながフォローして、コロナの大変な時期に、この家族を支えてくれた模様。 以前、別のお客様を連れてきて、紹介したとき、看護師の方がこう言った。 「お客様でーす、って紹介していたから、次回は、私も、”患者さんでーす。”って連れてこようかな?」 ** 選ぶのは神様である。 私はただ単に、神さんが上から見ていて、ご自由に使われていたにすぎない。 このご家族の祝福を心から神さんにお願いする。 ありがとうございます。神さん!

NO. 226 スーパーばあちゃん天国へ

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入院一回目は5日後に戻ってきたばあちゃん。 そのあと、一日おいて、救急車でまた搬送された。 その翌日の朝、セラピストと会話中、突然、天国にいっちゃった。。。 苦しまず、あっという間に。 あたしは、たまたまその時間に病院に行って様子を見にったのだが、入り口で、引き留められた。”Code Blue”だと。 そのあと、病室の廊下に行った。 病院のスタッフ10人以上がばあちゃんの周りにいて、命を取り戻そうと必死になってくれた。。。CPR30分やってくれた。 牧師先生たち3人が偶然にも、その時にお見舞いの予定で来てくれていたのだが、結果、おみとりとなった。 先生がたに、天国に行くときのお祈りを頂いた。 おばあちゃん、急に心臓が止まった。 大好きなおしゃべりの最中に。 苦しまなかったのは、めぐみだと思う。 そのあとは、ばたばたしたけど、お葬式もだんなの意向で、うちの教会でしてもらえた。 多くの人が私らを助けてくれた。 暖かいお言葉 お祈り ビデオ作製を夜中までかけて作ってくれた お花、カード、お言葉 お弁当、お食事 母の日にかかわらず、礼拝後に残ってくれて、ばあちゃんのお葬式に参加してくれた方々 聖書の言葉に: 悲しむものは幸いです。 そのものは慰められるからである。 (マタイ5:4) 何度となく読んだ箇所である。 しかし、今回のばあちゃんの死去に際し、このみ言葉の本当の意味がやっと分かった。 人間が、聖書の言葉を本当に理解するには、その立場にならないとわからないことがある。

No. 225 スーパーばあちゃん入院、竜巻警報、退院 (1)

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 気が付いたら、5月だ--ーー。 あたしの自宅オフィスは、母屋から、ちょこっと離れたところにある。 と言っても、離れではなく、洗濯場を通って、その先に少し足を延ばした、ってところ。 4月27日の火曜日、相変わらず夜中まで仕事をしていた。 そしたら、旦那か娘がオフィスの方に歩いてきた。夜中まで仕事をしていると、「早く寝ろー!」と文句を言いに来る旦那。 と思ったら、旦那でも娘でもなかった。 107歳のスーパーばあちゃんであった。 コロコロと、買ってあげた歩行補助機を押して、私のオフィスまで来たのだ。 どうしたか、というと、胸やけがひどいので、薬はないか、と言ってきた。 これは、尋常ではない。だって、枕元に胸焼け(胃液逆流)の薬はあるのだが。 以前、ペプトビスモルという胃の薬を上げて、しのいだことがある。 薬を飲んでもらい、ベッドに入ってもらった。 なんとなく、血圧を測ってみようか、という気持ちになったので、図ってあげると。。。 175 / 90 !! もう一回図っても同じ。 この血圧計こわれとるわ! と思って、自分と娘の血圧を測ると。。。壊れていない。。。 どうしたものか。 心臓発作の症状には、胸焼けがある。 頭の片隅に、心配はあった。 でも、痛みは落ち着いたので、ばあちゃん、就寝した。 翌朝、ベッドにいると、旦那とばあちゃんの会話が聞こえてきた。 「気分はどう?」「元気よ。」 そのあと、朝食を食べたらしい。 らしい、というのは、あたし、起きるの遅いのよね。 ばあちゃんは、朝の8時に今に出てくる。私は寝ている。  そのあと、なんとなく、あたしは普通より早く起きた。 ばあちゃんの部屋をのぞいたら、ばあちゃん、苦しそうにしていた。 息ができない、と。 「溺れる!」といっていた。 旦那が車いすを寝室にもってきて、玄関に運ぶところだった。 あたしもパジャマから服に着替えて、バッグをひっつかんで、ばあちゃんを車にのせた。 途中、ばあちゃんは、息ができない!と叫んでいた。 動けないので、抱き起して、車いすに乗せて、救急の受付へ向かった。 旦那のドラテクで、大急ぎで病院に駆けつけた。 まず、保険証と身分証明書。 地獄の沙汰も、金次第か。 救急車で来る人はどんどんトリアージに向かうのに、通常の救急では、またされる。 呼吸困難でも待たされる。 ばあちゃん、「まだかまだか! おぼれ死ぬ!」

No. 224 恐れることは、起こらないかもよ

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106歳のスーパーばあちゃんがうちにキター! 短期滞在なのか、長期滞在か、永遠滞在化は不明。 一年前に、寒さから避難しに、うちにきたのは、一年以上まえ。 ちょうど、コロナ禍が騒がれる前に来て、パンデミック状態になる前に帰っていった。                             *写真はイメージですが、希望でもある。 長年、旦那の弟がほぼ一緒に住むような感じで、面倒を見てきたのだが、そろそろ限界が見えてきた。 ばあちゃんもうちに来たい、と希望したので。 でも、またいつか、”Home, Sweet Home!”と言って、帰りたい、というかもしれないし。 それは、それで、いいと思う。 あたしは、嫁って立場だけど、ここアメリカでは、嫁、という概念は薄い。 あたしは、自分の生活を変える必要はないと思っている。 なので、いつも通り朝から自分のホームオフィスで仕事している。 朝食は、息子である旦那がすればいい。 懸念としては、「家の中の孤独」が存在してしまうこと。 そりゃー自分の家ではないから、不自由もあるだろう。 それに、あたしはそばにくっついて、お話相手はしない。だって、仕事があるもんね。 でも、夕飯だけは、作り、一緒にワイワイと食べる。 それで今は十分だと思う。 こうしてほしい、ということは、こちらでの滞在に慣れて、落ち着いたら、言ってもらおうと思う。 以前、石川県の恩師の家に居候したときのこと。 先生の奥さんは、北陸の穀倉地帯の集落の家に嫁として入った。南国出身の方で、世代だと戦後のBaby Boomer. 旧体制から日本が変わった後で、この世代は自由を謳歌しよう、という世代。 先生のご両親は、離れに住んでもらい、そこに食事を持って行く、という形だが、家の中で二つの所帯がある、という環境であった。 日本の田舎の家はアメリカに引けを取らないくらい、大きいから、それが可能である。 数年後、また恩師宅を訪ねた。その時期は、義父さまはすでに亡くなれていて、義母さまは、少しボケていた。 ある晩、先生の奥さんと夕飯時に飲んだ時、愚痴か、独り言なのか、こういうことを言われた。 「べつべつに離れて住んでいるから、ぼけさせたのは、あんたのせいだ、っていう人もいる。」という意味だったとおもう。 その場にいない人、一緒に生活していない人にありがちな発言だとは思う。 また、日本らしい

No. 223 ジーザスの証”Mercy, Humble, &Surrender”

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 題名は、実はうそだよー! 正確には、映画 The Chosenでジーザスを演じている俳優のジョナサン・ロウミーの証です。 お父さんがエジプト人(オーソドックス クリスチャン)で母親がアイルランド人(カトリック クリスチャン)だということだ。 The Chosenの中では、中東のなまりの英語で演じている。 お父さんのなまりを使えばいいやって、ことで、The Chosenの中でこのなまりがスタンダードとなったそうだ。 Jonathanはオーソドックスクリスチャンだが、彼の証を聞いて、宗派は関係ねぇと思った。 最後の方で、彼が、すべて神さんに投げ出した(Surrender)あとに起こった奇跡がすごいと思った。 すべて英語なので、自動翻訳がもっと進歩すればいいな、と思う。

No. 222 目に見えないものを望むか?恐れるか?

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 信仰、とはなんじゃい? 答え: へブル人への手紙:11章1節 「信仰は望んでいる事柄を保証し、目に見えないものを確信させるものです。」 うーむ。このまま字面(じづら)通りにとらえたら、きっと浅はかな解釈となりそうだ、と思うあたしは浅はかな人間である。 きっと、この聖句の奥にはもっと深いものがあるのだろう。だから、おろそかに、じづら通りに解釈したら、「ぶー!ちがうよー!」と人から言われるんじゃないか、構えてかかるあたしは臆病ものでもある。 しかし!詳しい解説は牧師先生にお願いするとして、私は浅はかな人間のレベルで、字面をそのままとらえることにする。 「信仰は望んでいる事柄を保証し。。」 あれが欲しい、こうなってほしい、こうなりたい、という望みは誰でもある。 あたしは、まず、神さんに、まず感謝して、神さん、あんたが一番やで!って言って、御国がきますように!と祈る。 そのあとに、神さん、こういのほしいんだわー。こうなってほしんだわー、こういうの、なんとかしてちょー、ってお願いする。 「目に見えないものを確信させるものです。」 お願いしたものは、まだどういう形をとって実現するか、わからない。 上記の二つの要素をもっと突き進んで、わかりやすい極意の境地に行くには、具体的に祈る、ということらしい。 韓国の有名な牧師先生の本を昔読んだ。 「大四次元」by パウロ.チョーヨンギ牧師 *のものである。 その中には、漠然とした祈りは神さんはわからないので、具体的に祈ることが大事である、と書かれている。 いわゆる、細かい仕様をオーダーするように、神さんに頼め、ということだ。 また、あたかもすでに実現しちゃったように、目の前に望みがかなったように、宣言してしまう、という大胆なことも必要である、と。 「信仰は望んでいる事柄を保証し、目に見えないものを確信させるものです。」 は、あたし流に書いちゃうと、 神さんをとことん信じ、望んでいる事柄は、すでに頂いてしまった。望んでいる事柄は、目の前に存在するかのように確信して、祈ること、じゃないか、と。 「神さん! XXXをあんがとござんす! いやー、こんなに良くしてくれて、ありがとござんす。」 と先に神さんに行っちゃえば、神さんだって、「おーい、あー、しょうがねぇなぁー。まあ、ここまで信用されてちゃ、人肌脱いで、叶えなきゃいかんなぁ。」っておもって

No. 221 弟子のその後

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 Facebookに、イエスの弟子の死に方、というポストがあったので、簡単に記す。 1.マタイ:刃に倒れて殉教 @エチオピア 2.マルコ:馬による町中引き回しの刑 @エジプト 3.ルカ:絞首刑 @ギリシャ 4.ヨハネ:油で煮られた@ローマー>しかし、死からよみがえった。その後、パトモス島に幽閉。その時に黙示録を書いた。その後、釈放されて、トルコへ渡り、そこで老人となり、平安に最後を迎えた。 5.ペテロ:逆さ十字架にて。イエスと同じ磔だとおこがましいと。 6.ヤコブ:寺(テンプル)から突き落とされたが一命をとりとめた。しかし、鍛冶屋で使うフラーという道具で打ち殺された。突き落とされた場所は偶然にも、イエスが悪魔の試みにあった場所。 7.ゼベダイの息子のヤコブ 斬首刑 @エルサレム    *同行していたローマ兵がヤコブの信仰に感銘を受け、一緒に斬首刑となる。 8.バルトロマイ むち打ちの刑 @アルメニア 9.アンドレ “X”にかけた十字架にて磔(はりつけ) @ギリシャのパトラス *「このような幸せな時間がくるのをまっていた。」と言ったそうだ。 苦しみが長引くように磔に縄で体を括り付けられた。亡くなるまで2日かかった。 10.テモテ   刺される @インド 11.ユダ(裏切りのイスカリオテのユダではない) 矢に射られて殺された。 12.マティアス  石打の刑の後、斬首。 13.パウロ(イエスとは行動していない。イエスの死―復活ー昇天後にイエスの霊に導かれた) ローマ皇帝ネロにより、拷問ののち、斬首刑。

No. 220 "The Chosen" シーズン2:エピソード1

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 先週のイースタ―の週に”The Chosen”:シーズン2が公開された。 シーズン2のエピソード1を今日見た。 イエスが十字架にかかり、復活し、天に戻って、だいぶたったころからの回顧録から場面は始まっている。イエスのことを書き残そうと弟子の一人が弟子それぞれにインタビューをしているシーンから始まる。 YouTubeでみつからなかったので、Angel StudioのWebsiteは こちら 。 ”Season Two”をクリックすれば見れる。 この最初の画面で、うわー、メイクすごいと思った。 シーズン1で、若々しかった弟子たちが、今度は歳をとった顔ででている。 小さいしわなど、見事に作られている。 以下は、公開されたばかりのシーズン2の1.「Thundar  雷鳴(らいめい)」 さて、このシーズン2、エピソード1はイエスとその弟子がサマリアに滞在している時のことである。 井戸であった場末のバーにいそうな女性は、すでにイエスのことを多くの人に触れわたっていて、そこで、伝道が始まっている。こちらは、シーズン1ですでに描かれていた。 弟子の二人が、荒れた土地を人力で耕している。 (この景色、テキサスだろう。背景はComputer Graphicだと思う。) その土地の持ち主は、足を怪我してしまい、生活にも窮している。 イエスの一行は、その家を訪ね、食べものをたくさん携えて食事をした。 そのサマリヤの男は、窮していたので、道すがらに、旅のユダヤ人を襲い、着物や持ち物を取った人であった。 そのあと事故に遭い、右足を折ってしまい、農作業が出来なくなっていた。 そのサマリアの男は、イエスたちと話している時、襲ったそのユダヤ人は死んでしまったのだろうか、と罪の念に悩まされていた。 そこで、イエスは、その人は生きている。大丈夫だ、と伝えた。 その晩、一行はサマリヤの町にに帰った。 翌朝、そのサマリヤの男の家族は、がたん!という音に驚いて飛び起きた。 その男の右足は癒されていたのであった。 子のエピソードの最後は、雷の音が象徴的に使われている。 そして、イエスの母、マリアにインタビューをして、記述をしているのは。。。ヨハネであった。 *** 本当によくできたプロットである。 思わず、”Pay it forward”=先行投資をしてしまった。 先行投資をすることによって、多くの人が無料で

NO. 219 人柱 生贄 十字架  イースター

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我が家に、韓国訪問の際に頂いた、鐘の小さい置物がある。 旦那が韓国出張の際、韓国の方に、慶州(キョンジュ)地方を案内していただいたとき、お土産としていただいたものだ。 私も出張に付いていったので、相手方様が、気を利かせて、観光に連れていってくださった。 慶州にある古墳を見た後に連れて行っていただいた場所には、緑青というのだろうか、うすい青緑色の大きな鐘が下がっていた。たぶん、博物館の外だったという記憶がある。 実は、この鐘は、鳴らすと「エミレー」という声が鐘の音に聞こえてくるとか、こないとか。 説明をきいたが、昔、この大きな鐘の鋳造がうまくいかず、何度も何度も、行ったが、それでもだめ。 そのため、小さい女の子が生贄(いけにえ)として選ばれ、溶けている銅の中に投げ込まれたという。 詳しくはこちらの Wikipedia にて。 **** 学生のころ、横浜の港のあたりは私の「シマ」であった。YMCAでスキーのキャンプリーダーをしていたり、何かとあそこらへんで、知り合い、友人と「つるんで」いた場所。 今は、みなとみらいとか、レンガ倉庫という観光地になってしまったけど、以前は汚くて、ホームレスの方も普通に風景の中に溶け込んでいて、これぞ横浜、という場所だった。 行くときは、”国鉄”(今のJR)より安かった東横線を使い、の最終の桜木町で降りて、山下公園の方へ歩いていった。  桜木町の駅は当時、木造で、ガード下があった。 駅の構内から出て、左に向かい、港に向かって歩き出すと、すぐに、橋を渡る。 弁天橋という。 わたって左側だと想像するのだが、江戸自体に作られた石を積み上げた岸壁があるとのこと。 司馬遼太郎さんの「街道をゆく」シリーズの横浜編に書いてあった。 本のページをめくると、開港後の横浜で、混血児の少年たちが労働に使われていた。この混血児の何人かが、弁天橋の人柱として、橋の下に埋められた、とのことだ。 穴を掘り、そこに入れ、と言われた。いやだと言ったので、無理やり突き落とされて、生き埋めにされた、ということらしい。 開港後、港ヨコハマには、外国人向けの遊郭があった。私がヨコハマをうろついていたころも、ソープなどが立ち並ぶ場所はあったので、過去をさかのぼれば、外国人向けの遊郭についての、資料はあるだろう。 紅葉坂の上にある図書館にあるかもしれない。 子供は生まれてくるものだから

No. 218 天国は退屈なところか

 ちょっと野外でテント張って寝た。 春だし、仕事で息抜きがしたいってことで。 だあれもいないキャンプ場。 鳥の鳴き声と、遠くの農場(らしい)からコケコッコーと聞こえる。 空には、ボールドイーグルのつがいが、舞っている。 前の晩は、寒くてよく寝れなかった。 寝袋に潜り込まなかったため。 もう一つの理由は、外で大きな動物が動き回ったり、テントの外側をひっかいたり、とうるさかった。 テントの横をがさごそと大型の生き物が歩いている音がした。 結構、近くにいる。 果敢にも人を恐れないようだ。 じゃあ、人??  自然の中で出くわすと一番こわいのは、人間なので。 サーチライトで外を見ても、姿は映らず。 しかし、うちの犬は耳をぴんと立てて、音のする方向をじっと見据えている。 そうしているうちに、キャンプファイアのピットの向こう側に、ライトに照らし出された大きな動物を見た。 え!! マウンテンライオン? リンクス? ボブキャット?! 光る眼で、こちらを見据えて、今もとびかかろうとしている格好であった。 うげー!! っと、旦那をたたき起こして、もう一回ライトで照らしてみると。。。 それは、どでかい”アライグマ’であった。30-40キロはありそうな大型。 ぜんぜん可愛くない。 テントの横で聞こえた音は、人間の足音にも聞こえたことに、なっとく。 あの大きさでは、当然だろう。 翌朝、起きたのは9時過ぎ。 旦那はすでにキャンプ場の横を流れる川に釣りにいっていた。 あたしと愛犬は、うろうろ散歩して、キャンプ場と集会に使われる建物のそばにいったり、敷地全体をみてまわった。 そして、キャンプの横にもどってきた。 あたりは、一面黄色い花が咲き、ところどころ、紫色の背が高い花が立っている。 風の音は聞こえるが、遠くから聞こえる工事の音以外は、いたって静か。 犬も私のそばで横になって静かにしている。 天にむかって、「神さん、御国っちゅうのは、こんな感じなんですか?」と尋ねる。 花が咲き、そよ風が吹いて、寒くもなく、暑くもない。 鳥は自由に舞い、遠くにいる者同士で、会話をしている。 水と食べ物はそばにある。 雨風をしのぐテントもある。 ポータブルWi-Fiもってきたので、これが書ける。 数日は仕事をあくせくせずとも、生きていかれる。 アダムとイブは、Wi-Fiは当時はなかったにせよ、裸で、寒くもなく暑くもな

No. 217 こんな祈りしかできませんが、何か?

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おとっつあん、 おとっつあんの、みくに、っていう世界がここにできますように。 おとっつあん、最高だし、おとっつあんがすべてをやってくれるんで、それしかないっすよ。 まあ、おとっつあんの国がここに実現するように、引き続き、祈っていきますが、ちょっくら、きいてくれませんかねぇ? 自動皿洗い気が壊れちゃったので、直すか、取り換えるお金ください。 旦那が年とってきたけど、この人守ってくださいな。引き寄せてあげてください。 スーパーばあちゃんが神さんの決めた寿命の120歳を全うできるようにお願いしまっす。 うちの子供たちは、あの調子ですが、見守っておくんなさい。 仕事、忙しいし、ちょっとちょんぼして出費がありそうなんで、その倍、祝福してくださいな。 夫より先に死ぬと夫がかわいそうなので、順番は夫ー>私にしておくんなせい。 うちの、わんわんも長生きさせてやってください。 教会もコロナ禍の間に、なんだか、人の出入りがあるようで。でも、大丈夫だと思います。あなたがいるから。 教会の中にコロナ禍で大変な人がいるかもしれません。献金がたくさん、その方たちに行くようにしてください。 教会の牧師先生たちを守ってください。 私がもっと家の中を整理できて、きれいにできますように。 もっと多くの人がおとっつあんを知るようになりますように。 日本はどんどんひどくなっていくようですが、おとっつあんが、すごいことをしてくれると期待します。 12月におとうさんのところにいった友人が、母と楽しくやっているでしょうか? イエス兄さん、よろしくお二人にお伝えください。 では、寝ます。 明日の朝、生きていて、目が覚めたら、すんごい恵みっす!

No. 216 親しい人ほど、サタン

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 サタンの攻撃、と書くと、多くの人がひく。 だって、サタンって、矢じりが先についている長いしっぽもっていて、長い槍(やり)をもって、「けけけ。。。」と言いそうなイメージがある。 あまりにも、西洋的で、日本人にはなじみがない。 また、悪魔、と言っても、どうもぴんと来ない。 それほど、身近ではない存在だからだ。 それに、ご自分とは、遠い存在であり、関係ねぇ、と思っている人がほとんど。 しかし、魔が差す、という言葉だったら、わかるだろう。 ここでいう「差す」とは、「刺す」ではなく、「はいりこむ」 という意味。 聖書に、イエス兄さんが、一番近しい、ペテロに対して、 「下がれ。サタン。あなたは私の邪魔をするものだ。あなたは、神のことを思わないで、人のことを思っている。」 (マタイ 16:23) と叱咤した場面がある。 どういう状況か、というと、イエス兄さんは自分が十字架につけられて、殺されることを知っていたので、そのことを弟子たちに伝え始めていた。 そこで、ペテロが、イエス兄さんを引き寄せて、(多分肩を抱えたのだろう)「師匠!そんなこと、ありゃーせんですよ。神さんが守ってくれますから!」と言った。 それなのにさ、「下がれ!サタン!」と反対に怒鳴られちゃぁ、ペテロ、ビビっただろうなぁ。 聖書には残念ながら、その時のペテロの反応が書かれていない。 Online Movieの「The Chosen」にどう描かれるかが楽しみ! さて、私らも、ペテロと同じようなことをしますよね。 「わたし、最近太っちゃったのよー。」 「アラー、そんなことないわよ!」   心の中:あー、確かに。でも、失礼だから、大丈夫っていっておこうっと。 末期がん患者:「あたしは、もう長くはないから、XXXをお願い。」 見舞客:「そんなことないって。治るって。」  心の中:こんなにやせ細って、肩甲骨出ちゃってるし。  でも、”死”という言葉は出せないいっちゃいけない。 と多くが、やさしい気持ち、励まし、同調から来ている。 しかしだよ、あたしは実際にこういったイエス兄さんが言ったような、サタン、コノヤロー下がりやがれ、という経験がある。 15年前のこと。 母の死に際して、まあ、がたがたしたわけですよ。 母は肉親からすごい仕打ちを受けた。  私はそれを目の当たりにした。なので、母を救おうとした。 その時、イエス兄さん、神

No. 215 トランプの確定申告とセンセーショナリズム

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アメリカ大統領選が昨年あった。 まず、断っておくが、私は、共和党寄りでも、民主党寄りでもない。クリスチャンだから、トランプ支持ってことでもない。 昨年11月から今年1月の事象は、アメリカの歴史の通過点に過ぎないと思っている。 政治の課題はそれぞれ、右左で単純に振り分けられるものではないので、問題はそれぞれに考えるようにしている。 ****  昨年2020年のアメリカ大統領選挙の前。当然のことながら、候補同士が、攻撃しあう。 その中で、トランプ元大統領は、自分のタックスリターン(確定申告)を公にしていない、と批判する人たちがいた。 そうしているうちに New York Timesがトランプのタックスリターンを入手 した、と報道。 てなことで、職業柄、内容分析してみた。 歴代の大統領、大統領候補の確定申告 をざっとみてみた。トランプのは、2015だったか2005年のものがみれた。(今、探してもないので、みつかったら、またあとで。) マスコミで騒ぎ立てたのは、トランプが最近のタックスリターンによると、$750のタックスしか払っていない、ということ。 約8万円弱。 億万長者だ、って豪語していた彼がたったの8万円しか納税していない!?  「脱税!」と人々は短絡的にマスコミの記事に飛びつく。 しばらく、TwitterやFacebookはこの話題で持ち切り。 あのねー、まず、ですね、大統領がご自分の確定申告を公にするのは、法律ではない。 自主的にやっているに過ぎない。 だから、強制するなって。 あんただって、自分の財布の中身、のぞかれたくないじゃん。 それを、公職の人だからって、あんたが見なきゃいけない、っていう理由はあるんかいな。 次に、億万長者と思われている人だって、税金はらわないってことある。 だって、トランプの確定申告見たら、ビジネスうまくいってねぇ、という感じだもの。 ウン十億円という大赤字を出したら、それは繰越、繰越となり、紙面上の利益をどんどん食べていってしまう。 なので、8万円弱の納税だって、いいんじゃない? それより、ビジネスがうまくいかず、大赤字に転落していた、という手腕の方が問題だし、さらには、その赤字は敢えて作られた赤字かもしれない。 そちらは、アメリカのマルサに任せればいいので、周りがワイワイいうことでもない。 Mitt Romney(ミット・ロムニー)

No. 214 みくにじん

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 私には面白い友人がいる。たくさんいる。 その中の一人、Yというのだが、声が大きく、いつも「ぎゃははは!!」とわらう。 会社帰りの横須賀線の中とか、スキーに行く中央線の中で、彼女が話すと、周りのまったくの他人が、いやでも聞こえてしまう会話に噴き出していた。 2000年のことであった。 日本では、当時の東京都知事の石原慎太郎氏の発言が話題になっていたころ。 「三国人」という言葉がマスコミをにぎわしていた。 ちょうど、その時帰国したと思う。 仲間と食事をしていた時の話題。その声がでかいYがいた。 「あたしさー、新聞で『三国人』ってたくさん書かれていて、何のことかわからなかったよ。だからさー、あたしさぁ、『みくにじん』って呼んじゃったよ。 んで、『みくにじん』って、誰!?って思っちゃったよー!」 たぶん、周りの人に笑われていたはず。。。 私も浦島太郎だったから、『三国人』ってなんだかわからず。 みくに、って聞いて、とっさに思うのは、「みくにのあられ」。 当時は、亀田製菓より、コマーシャルが多かったと思う。 後で調べたら、そのみくにじん、って 第三国人 のことらしい。詳しくはWikipediaに解説を譲る。 ついでに 石原慎太郎氏 のこともWikiを張っておく。 今日は、寝坊して、礼拝を聞き損ねた。 今日からサマータイム(英語でDaylight Saving Time)であった。以前から、Warningは出ていたのだが、起きたら、もう礼拝が終わっていた。 あー、と思ったが、幸い2時から、日本語による会合がZoomであった。 そこで、教わったのは、祈り方。 イエスの弟子たちが、イエス兄さんがやたら一人で祈っているのをみて、どうやって祈ったらいいんすか?って聞いたので、教えてくれたのが以下。 「天にまします我らの神よ。願わくば御名(みな)をあがめさせたまえ。 御国を来たらせたまえ。われらの糧を今日も与えたまえ。 みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。 われらがわれらの罪を許す如く、地にもなさせたまえ。 われらに罪を犯すものをわれらが許す如く、われらの罪をもゆるしたまえ。 われらを試みにあわせず、悪より救い出したまえ。 国と力と栄とは、限りなくなんじのものなればなり。あーめん。」 この祈りは暗記している。 小学校のころ、友人に連れられて通った地元の教会。心ひそかに思いを寄

No. 213 残した杭(くい)はめぐみだった

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 横浜のある町には、あたしの育った家はもうない。 そんな、寂しさもあるが、最近、Facebookのその町のページがあり、参加した。 昔、ここに、こんなのがあったよね、とか、あそこで、ざりがにとった、とか投稿すると、結構反応がある。 あの店、まだあるんだ、とか、あのバス停、だれも降りるのを見たことがない、など、かなりジモティーな話題で盛り上がる。 昨年は、むかーしからあったアーケードのある商店街が取り壊しになったとか。 あーあ、あそこの魚屋さんで、ウナギをさばくのを見るのが、結構好きだったのに。 なぜか、高校も同じ町にあった。 担任が住むアパートがが高校の裏門と家の中間にあったので、先生より、先に歩いていればセーフ。あとになると遅刻だった。 一応、進学校だった。 こんなあたしでも、中学の時は勉強をまじめにしていたらしいので、この高校に入れた。 同級生は、東大はいないにせよ、早慶上智国立に行く人が多かった。そして、医者も結構いる。 しかしだよ、あたしは、高校2年の時、同級生に好きな子ができて、勉強手につかなくなって、成績急降下。 3年になって、持ち直したけど、その時別の彼氏が夏にできて、そのあとすぐ別れてしまったので、落ち込んで、また勉強できず。 ということで、4年制の有名大学には、軒並み落ちて、とある短大に引っかかった。 勉強していなかったから、当然だけど。それに、すごく格好悪い。 でも、人間って、過去の栄光にしがみつきたくなる。 私もその一人。 女ばかりの短大で、揺れればキャーと黄色い声が上がるスクールバスに揺られて、山の上のあるキャンパスに通うこと2年。 運よく、有名一流企業に就職して、当時としては、悪くない仕事に就いた。上司にも恵まれて、好き勝手やらしてもらって、楽しい日々を過ごしていた。 でも、時が流れ、周りに4年制卒の女性が入社してきて、役職も先に係長、というのをもらっているのをみると、忽然と「こんなはずじゃなかった。」という気持ちがもたげてきた。 秋だったと思う。枯葉が落ちる前の時期、高校のキャンパスを通って、家に帰った。 校庭にはだれもいなかったようだ。 木の下を通り、テニスコートの方に向かうとき、こう思った。 「こんなはずじゃなかった。あたしは、この高校を出たんだから、もっと上にいっているべきなのに。」 今でも、その校庭の彼始めた芝を踏む私の足と、横に

No. 212 神さんはノマドでリモート

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リモートワークがやっと定着してきたこの頃だが、3月10日にテキサスでは、マスクは強制着用ではないよ、っていう宣言が出される。 何考えてんの、テキサス知事のアボット君。 たぶん、ビジネスを持つ有権者からのプレッシャーもあるだろう。それにテキサスは共和党の州だから、そういった意見も出てくるのは、当然のこと。 また、コロナワクチン接種が増えてきたこの頃。先取りしてんじゃないの? でも、このリモートワークって、とっても聖書的よん。 私は父にお願いします。そうすれば、父はもう一人の助け主をあなた方にお与えになります。その助け主がいつまでもあなた方と、ともにおられるためにです。 その方は、真理の御霊(みたま)です。  世はその方を受け入れることができません。 世はその方を見もせず、知りもしないからです。 しかし、あなた方は、その方を知っています。その方はあなた方とともに住み、あなた方のうちにおられるからです。 わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。わたしは、あなたがたのところにもどってくるのです。 ヨハネ 14:16-18 上記は、最後の晩餐の時に言われたイエス兄さんの言葉である。兄さんはパン切れをイスカリオテのユダに渡し、ユダが宴会の席を立って、イエスの居場所をパリサイ人とローマ兵士に告げに出て行った後に言われた。 いわば、イエス兄さんの遺言の一つである。 この翌日、イエス兄さんは十字架にかけられ、人間としての命がおわる。 ここでいう「世」は世間一般の世、というより、イエスと神さんの愛を知らない、または、受け入れない人たちのことであると思う。 聖霊、ということばがでてくる。英語ではHoly Spritである。時に、Holy Ghost (ゴースト)と呼ばれることもある。 え、何!オカルトかい!?と思われるかもしれない。 そうじゃない。 これは、オンライン化した、リモート化した、ひいては、ノマド対応になった兄さんのことだ。 だって、イエス兄さんがイスラエル地域を歩いて、神さんの愛を説いたのは、たった3年。 そりゃー、生身の人間で、瞬間移動できないから、人々に会いに行くには、時間と距離が必要。 でも、それでは、この「うまい話」、つまり福音は世界に伝わらない。 なので、いいこと思いついたんだよね。 リモート化しちゃえって。 2000年も前に、こういう便利なことつくっちゃった

No. 211 かなしい坂|腹切りのDNA 

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あたしは江戸っ子でも、深川のような東側の江戸ではなく、西側。 母の記述には、「武蔵野」という言葉が出てきた。なので、千川とか、玉川上水という名前が親や親せきの会話のなかで聞こえてくる幼少期を過ごした。 玉川上水 は太宰治が入水自殺をしたところ。 江戸時代に江戸っ子への生活用水を供給する為、開発された。 重機がない時代なので、くわで掘った大規模な工事であったろう。工事の期間は1652-1654年である。 多摩の方から掘り進み、福生、日野あたりに差し掛かったところ、岩盤と関東ローム層の地盤に差し掛かり、水が土中にしみこんでしまったそうだ。そこで、難関にさしかかった。 以下、 Wikipediaか ら抜粋する。 「工事にかかわった役人たちは、失敗の責任を問われて処刑された。その際に役人が「かなしい」と嘆いたことから、この坂に「かなしい坂」の名が付いたといわれ、今にいたっている。」 理由は人間の力が及ばない、地盤と土の性質。 なのに、人が死ななければならないのか? ”処刑”させらた、と書いてあるが、たぶんだが、お侍さんだから、名誉の為、切腹だったかもしれない。 玉川上水に関しては、詳しい資料は残っていないようだが、もう少し調べればでてくるかもしれない。 歴史本を読むと、江戸時代は、何かあれば、すぐ「切腹!」であった。 NHK大河ドラマで、あたしたちは、何度も何度も切腹のシーンを見てきた。 江戸時代の日本はいつも人身御供(ひとみごくう)を求め続けてきたように思える。 そして、事象の原因には、どこにもその理由が見当たらないにしても、誰かに「責任」=爆弾を負わせなければ、「気が済まない」「落とし前がつかない」風潮があっただろう。 そして、300年続いた江戸時代の「切腹りDNA」は今の日本人にものこっているのではないだろうか。 2000年から10年間、日本の自殺者数は年間3万人であった。 2010年ごろから減少傾向となり、2018年は2万人。 自殺者が多いのは、働き盛りの40-60歳代。 仕事関係で、責任を取る、という名目で自殺する人が多いからであろうか。 知り合いの人のお父様は銀行のお偉いさんであった。 20年前、何らかの不祥事があったのだろう。自殺されたことを新聞で知った。 近年は、ゆとり世代の方の自殺もニュースでみた。 とある大手広告代理店や飲食業のチェーン店に勤めていた人の