No. 189 クリスマスイブですが、何か?

日本にいた20歳代は、冬は毎週末スキーに行っていた。

東京・横浜を車で夜出発し、お城のようなラブホテルがそばにある相模湖インターから中央高速に乗った。長野県に入ってからは、国道が渋滞するので、自分たちで勝手に名付けた「高速農道」という裏道をスパイクタイヤ(当時は使われていた)で駆け抜けた。

北アルプスの五龍岳の山のふもとに車を置いて、中腹にある山小屋まで荷物担いで山を登り、山小屋に到着。ビールが用意されているので、それを飲んで休む。だいたい明け方の3時ごろの話。

12月から3月までずっとそんな週末を過ごしていた。


中央高速の岡谷あたりだったのか、それとも、塩尻峠を超える道にだったのか、毎週末見る道路標識板に、「高ボッチ高原」という地名がかいてあった。

日本の地名にカタカナがはいっているのも珍しいので、記憶に残っているが、何も気にせず、何のことかわからず、毎週末、その標識をやり過ごしていたと思う。



そのボッチなのだが、「離婚したんで、今年はクリボッチ」というソーシャルメディアの友人の書き込みがあった。

クリボッチってなんじゃらほい、と最初は目が点になった。

栗のお菓子かな、とも思った。が、季節柄、”クリスマスを独りぼっちで過ごす” ってことだとわかってきた。

日本人の省略語ってすごいよね。浦島太郎になった私にはネット検索必要な用語もあるこのごろ。


日本の親戚からこちらは23日なのに、クリスマス、ってメッセージがくる。

また、日本の世間では、「クリスマス・イブ」がクリスマスの当日より、カップルが過ごす日、という社会概念が定着しちゃっている。

最近は、そういったカップルも少なくなっているらしいので、バブルの頃程でもないと思うが。

娘も今晩は彼氏のおうちで夕飯たべてくるっていってるわ。だから、アメリカでもそうなのかな? 

娘よ、早く帰って来いよ!



バブルはじける前、私にはやたらパーティーのお誘いが来ていた。それも、どこからか私の連絡先を見つけたらしく、「秘書」とだけ書かれた名刺が入った招待状。または、誰かからの紹介だったような。六本木だったか、恵比寿だったか忘れたが。

その時は、こういった遊びもやり尽くしたので、飽きていたし、まーいいか、とお付き合いで出かけたんだと思う。

そこで、声かけられた人と名刺交換はした。別に好みでもなかったし、忘れていた。

そうしたら、12月の中旬に電話がかかってきた。「クリスマスはどうするのですか?」と。

その時は、私はイエス営業部ではなかった。でも、クリスマス礼拝には、病気の母を鎌倉の教会に連れて行くのが恒例となっていた。

何を話したのかは全く覚えていない。しかし、以下だけは、記憶に残っている。

「君はクリスマス・イブをどう思っているのか!」と叱咤に近い言葉を受けた。


はあぁーー?? 


きっとその人は、クリスマスイブ=カップルで食事しなければいけない日、と思い込んでいたのだろう。世の中はバブル後期で、世の中がちゃらちゃらしていた時代だったし。

世間とは怖いもんである。



さて、この土地に、羊飼いたちが、野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていた。

すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が周りを照らしたので、彼らはひどく恐れた。

光会は彼らに行った。「おそれることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びをしらせにきたのです。 

ルカ 2:8-10


別のBlogに書いた”The Chosen"のビデオをお時間があったら見てくれればいいと思う。

まず、羊飼いの着ているものを見れば季節は冬ではない。ベツレヘムの12月の平均気温は、摂氏8度から21度らしい。これは温暖化が進んだ現代だけど。

あの格好で、摂氏10度を切る野外にいたら、寒いだろうに。息が白く見える気温だよ。

イエス兄さんが生まれたのは、どうやら10月だったのでは、という説もある。仮庵の祭り(スコット)あたりじゃね、という説も。

また、ルカ書には、東方の博士のことはかかれていない。一方、マタイ書には、羊飼いのことはかかれておらず、ヘロデ王が博士たちを遣わしたと書いてある。

The Chosenは時代考証をしっかりと行っているので、安心して見れる映画である。その中で、マリアの旦那さんのヨセフは、白人っぽく見えない。

マリア、ヨセフ、イエスの外観って、ヨーロッパの絵画に描かれたものが固定観念として定着していることが多々とある。でも、場所からして、肌がヨーロッパの人たちのような感じではなかったと思う。




と言うことで、何か言いたいかっていうと、人間とは、固定観念、社会が作ってしまった意識の中で生きてしまうことがあるってこと。流されて生きれば楽かもしれないけど、本質がなんであるか、と考えてみる時間もいると思う。

クリボッチだって、いつかは死語になるかもしれない。

バレンタインデーの義理チョコだって化石になる日がくるかもしれない。

お菓子屋さんが作った販売促進に過ぎないし。


私にとっては、クリスマスの季節は、面倒くさい季節。11月下旬の感謝祭後のアメリカの買い物シーズンも大嫌い。ウオールマートに殺到する人たちを見ると、なんでや、と思う。


うちは12月生まれが家族の75%を占めている。毎年、この季節を考えるだけでうんざり。

こんなあたしのなので、イブは、「何それ?」でしかない。


大事なのは、クリスマスというのは、感謝をささげる日であること。

何千年と待たれた人が生まれた日なのだから。

この人、30歳過ぎに、人々の犠牲となり、極刑で死ぬ、って知ってて、生まれてきたんだよ。。。。



しかしだよ、今月屋根裏の修理があって、ついでに、クリスマスツリーの入れ物を下してきた。この後、仕事して、やるか、クリスマスツリー。 あーめんど。


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